トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2006年 09月 29日

映画バトン

カイエのlapisさんのブログにあったレンタル屋さん映画バトン。映画好き人間としてむらむらとやってみたい意欲がでてきてキャッチしてみることにした。Lapisさんのような広範囲な知識がないのでどうなることやら、後悔先に立たず。
内容はlapisさんの説明のまま以下の通り。
『あなたはレンタルビデオ店をオープンすることになった。とりあえず50音1本ずつ作品をそろえなければならない。さて何を選びますか? 
【ルール】
・自分の好きな映画から選ぶ
・1監督につき1作品とする
・自力で思い出す
・外国映画、日本映画は問わず』

あ:
アンドレイ・リュブロフアンドレイ・ルブリョフ


タルコフスキー監督はMirrorも大好きなので迷ったが。13世紀ロシアのイコンの画家ルブリョフを主人公に描く。随分前に1回観ただけだが、鮮明に心に残っている。白黒の世界に最後イコンのみに色がともる。

い:
f0097102_1926495.jpgイザドラ・ダンカンの生涯を表した映画Isadora.
Isadora
モダン・ダンスの先駆者であるイザドラ・ダンカンの波瀾万丈の人生をイギリスの名女優バネッサ・レッドグレーブが演じている。スポーツカーの車輪にスカーフをまきこまれ事故しする最後の場面はあまりにも壮絶で今でも目に焼き付いている。


う:
ウッドストック

60年代のフラワージェネレーションの精神をそのまま表したロックコンサートの祭宴。
当時まだ小学生だったが姉達とともに公開初日に映画館に行った。


え:
エイリアン
エイリアン

SFサスペンスの草分け、リドリー・スコット監督初期の傑作。スイスの画家、イラストレーターのガイガーの絵からインスピレーションを得たセット美術がまた凄い。



お:
All about my mother

オール・アバウト・マイ・マザー
大好きなスペインの監督ペドロ・アルドモバルの最近の映画。彼の描く人間は本当に血肉通う
生の人物達だ。最近のイタリア映画にないダイナミズムがある。最新作はペネロベ・クルス主演の"Volver".







か:
カオス
Chaos
タヴィアーニ兄弟の傑作。以前にも紹介した。イタリアの詩情が好きな方は必見。



き:
木靴の樹
木靴の樹

やはり大好きなリドレー・スコット作「キングドム・オブ・ヘブン」を入れたかったものの
諦めざるを得ない。この映画は最近のディレクターズカット版によって価値を増した。
映画自体はフロップと言われているけれど、現在の西欧とイスラムの微妙な問題を十字軍の時代を通して実にうまく自身の世界哲学を入れて主張している力作だと思う。再評価されて良い映画だろう。
さて「き」としてはこの映画を選んだ。北イタリアの農民の生活をネオリアリズム的に淡々と表した名作。映像も素晴らしい。



く:
クライング・ゲーム
クライング・ゲーム

またまたリドリー・スコット監督の「グラディエーター」を出せないのは残念。「ブレードランナー」はどうしよう。
というわけで大好きなニール・ジョーダン監督に登場してもらう。悲しくしかし人間性に救いを持てるとても良い映画だ。




け:






こ:
Gone with the Wind
風と共に去りぬ
「か」がふさがっているからあえて原題にて。説明の必要なし、あまりにも有名な映画。
ビビアン・リーが美しい。

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by jamartetrusco | 2006-09-29 19:44 | Cinema (映画)
2006年 09月 27日

レオナルド・ダ・ビンチの世界観


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少し前のブログ記事で紹介したロンドン、V&A美術館にて開催中に展覧会”Leonardo Da Vinci - Experience, Experiment and Design"を実際に観て来た。
展覧会自体は小規模であるが、実際のレオナルドの肉筆のデッサンや筆跡をみて、その緻密さと繊細さにまずは驚嘆する。とにかく細かい字である。限られた紙に多くのことを書き収めたいという意図からか、虫眼鏡で見る必要のあるほどの小さい字でびっしりと埋めれたノート。もちろん鏡文字なのでさかさま。イタリア語で書かれているとは言え解読不可能である。一生懸命根をつめて読もうとしたが目が疲れてしまって途中で諦めた。

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この展覧会のテーマはレオナルドが終始一貫して持ち続けた、いかに宇宙が、世界が、自然が、そして人間が作用し、動くかという広大なる神秘への探求である。人間はマクロコスム(大宇宙)である宇宙大自然に相応するミクロコスム(小宇宙)であるという原点にたって、人間のメカニズムを追求する。 人間の体は宇宙自然の機能を内包する、と考えるのである。

骨を石に喩え、川の流れを血の流れに喩える。まがりくねり、流れを妨害された川がうまく機能しないのと同じく人間は血の流れがスムーズでなくなると衰える。人間がすべての自然のミニチュアであると考えると、調和と不調和の真実が見えてくる気がする。やはり流れがよく、
汚染されず、すべてが調和した姿が自然の本来あるべき姿なので、人間もしかり。そう思うとますます自然との一体感が人間の然るべき処である事実が明白になる。簡単に見えて実は完璧に把握することの難しい真実に確実に到達していくレオナルドの頭と心。

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そして「目」を大切にする。視覚というのが感覚の中で一番高貴であり、確実のものである、とする。なぜなら直接「体験」に結びついているからだ。頭脳に直結する目によって確信された知識は確かなものである、とするのである。確かに人間は目で見る行為によってすべてをまず認知するのであろう。「目は何故に夢においてより鮮明に物事を見れるのか、覚醒時の想像力よりもはるかに」 なかなか奥が深い言葉である。

これら一連の人並みはずれた探求の面白さはもちろんのこと、レオナルドのデッサンの素晴らしさは文句なしである。馬の図が特に素晴らしい。アンギアーリの戦いのための下絵であろう。馬のダイナミックな動きを表したデッサン。思いの他小さいので驚いた。


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最後に彼の格言を鏡文字にて。La Sapienza è figliola della sperienza. 文字通りの訳は 「知恵は経験の娘である」 絵はがきである。

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by jamartetrusco | 2006-09-27 17:28 | Arte (芸術)
2006年 09月 25日

モジリアニ再評価

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ロンドン、ロイヤル・アカデミーにて"Modigilani and His Models"「モジリアニと彼のモデル達」という展覧会を開催していた。モジリアニは今まであまり好きな作家の範疇になく、まあせっかく開催されているから見てみようと入ったのである。しかし思いがけず素晴らしい展覧会でモジリアニの力量を再発見した。

アマデオ・モジリアニ、Amadeo Modigliani (1884~1920)はトスカーナの港町リボルノ生まれのユダヤ系イタリア人である。フィレンツェ、ヴェネチアにて学んだ後1906年にパリに渡る。
結核をわずらい、過度の飲酒と薬物使用に健康を侵された生活を波瀾万丈に生き抜き35歳の若さで亡くなるまで肖像画を数多く残した作家である。

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1910年代のパリのモンパルナス地区は世界からの芸術家、音楽家、作家、ボヘミアン気質に溢れる活気に満ちた芸術環境を作っていた。近代芸術の展開を担う重要な時代であり、場所である。モジリアニは当時のパリのカフェで出会う女性達や限りない彼の愛人且ミューズをモデルにした肖像画や裸体女性像、そして彼を囲む人物達(モジリアニの人生に欠かせない友人であり美術商のゾボロフスキーを初め、健康回復のため少し滞在した南フランスの庶民など)の肖像を描いている。モジリアニの肖像というと首の長い、線の細い感じの人物像という印象が強かったのだが、今回の展覧会のモデル像を見ていて、その色使いのうまさと眼差しから来る微妙な表情の個性に感心し、セザンヌのそれに近い「絵画的」な平面のダイナミズムを感じた。

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そしてそのかなり細長くデフォルメした人物像はどこかイタリア、マニエリズムの画家達、ポントルモやパルミジァニーノを想起させる。穏やかとはほど遠い生活をしていた作家による激しい表現はそこにはなく、どこか奥底に秘められた憂鬱が表れているようにも思える。やはり若くして亡くなったエゴン・シーレの憂鬱に通ずるような。

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画家というイメージの強いモジリアニであるが、もともと彫刻家を目指していた。1909年のブランクーシとの出会いに触発されて石の彫刻を手がけ、25点の彫刻作品を残している。ほとんどが石灰岩材の頭像。
そしてこの頃彫刻に関連したcaryatid (女性人柱像)のデッサンや絵画を制作している。この初期の一群のモジリアニの作品はシンプルで力強い線と量感があって私は特に好きである。
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当時のパリがアフリカやアジアの原始的,根源的な芸術を発見した時期であるので、その影響もあるだろう。この抽象化された人間を超越したような静かな眼差しの頭像。どこか仏像にも近い精神性があるような気がする。

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by jamartetrusco | 2006-09-25 19:22 | Arte (芸術)
2006年 09月 23日

モルドンの戦いーBattle of Maldonーのあった島

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ロンドンより車で約2時間、エセックス州、モルドンより2kmほど海へ向かうところにノーズィー島、Northey Islandがある。ロンドン出張の機会を使って週末一泊した。というのもこの島にある唯一のコッテージが義兄の親戚に使用権があり、年に1〜2回姉一家も利用しているのである。

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このNorthey Island, 実はなかなか歴史が古く、さかのぼること10世紀。991年にバイキングとアングロ・サクソンのモルドンの戦いはこの島にて繰り広げられたらしい。この戦いは「アングロ・サクソン年代記」に書かれている他、「指輪物語」にて有名なJRRトールキンがその著書「妖精物語の国へ」のエッセイの中の第3章「ビュルフトエルムの息子ビュルフトノス」にて戯曲的叙事詩として扱っている。 ビュルフトノス率いるアングロ・サクソン軍はこの戦いにて敗北するのであるが。

f0097102_19353874.jpg狭い土手道を通って辿り着く。この道は満ち潮の際は隠れてしまうので島へのアクセスは一日に引き潮時の限られた時間のみ。島自体はNature Reserveー 自然保護地域に指定されている。









このコッテージを建てて住んでいたのは1933年ノーベル平和賞受賞の英国の作家、ノーマン・エンジェル(1872〜1967)。
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静かに仕事ができる場所として家も彼が手がけたらしい。いかにも素人作りの追加建築の塔もあって面白みのあるコッテージである。最上階からは360度景色が望める。この部屋でペンを走らせていたのだろうと想像することができる。

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94歳まで生きたこの作家は生涯独身であったため、この島は最終的に甥に残されるのであるが、この甥が義兄の大叔父であった。この大叔父、後に相続権の問題や島の環境が損なわれるのを懸念したのか、島ごとナショナル・トラストに寄贈してしまうのである。このおかげで今でも島は自然のまま、そして親戚家族は島の使用権を与えられ、こうしてわたしまでその恩恵に被ることができたわけである。コッテージ自体、休暇用に一般にも貸し出されている。

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散歩するといっても小さな島なのでここ30〜40分で一周できる。周りは典型的marshー沼地ーの美しいとは言えない寂れた風景。それがまた心に残る。たまたま珍しく天候に恵まれ散歩すると汗ばむぐらいの気温であった。牛の放牧もあり、顔のおっとりした牛達であった。
カメラを向けると一斉にこちらを向いてくれた。
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聞こえる音は鳥の鳴き声と自分の心臓の音とも言えるような真の静寂感。こんなところで書き物や制作ができたらさぞ集中できるだろう。静けさというのがいかに尊いものかを実感した。

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by jamartetrusco | 2006-09-23 20:03 | Viaggio(旅)
2006年 09月 14日

Gatto e Olivo 猫とオリーブの木


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もう数回登場している猫ビルバ。他の家の飼い猫であるが我が家に顔を出すこと2ヶ月。ここが気に入っている理由のひとつを最近発見した。
ある夜、ビルバはいつものように我が家を訪問。そのうち視界から消えたのでどこに行ったのだろうと家を探してみるとアレのスタジオにいる。そして彼の彫刻のひとつをなめているのである。その彫刻はオリーブでできていて、まだ未完成であるのだが、彫った部分が少しあるのでそこはややフレッシュである。ビルバはなんとこの部分一カ所のみを必死になめているのである。何故かな? アレも興味津々にてそのオリーブの木をテラスに持ってきた。するとさらに満足げにこのなめる行為を続けるビルバ。

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アレ曰く「オリーブが猫にとって何かdroga(麻薬)的な効果があるのでは?」。まさかねーと私。
ところが今日イタリア語のサイトを検索していて、なんとオリーブの木が猫にとって麻薬のような効果があり、なめることによって陶酔状態、ほろ酔い加減のような気持ちのよい気分になるそうである、と書いてあるのを見つけた。やっぱりアレの想像はあたりだったのである。
なるほどビルバの顔もどこか気分が良さそうである。

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生きるものすべて、気分の良いのはやはり一番。猫さんはオリーブの木で酔うのですね。
ということはトスカーナの猫さんはオリーブの木に囲まれているのでいつも気分はほろ酔い加減なのか。またひとつ自然の面白い発見をした。


追記:
明日から恒例のロンドン出張。週末は義兄の親戚の持ち物であるロンドン近郊の「島」に遊びに行く。初めての訪問なのでどんな島だか楽しみだ。
ということで1週間ほどお休みです。Buon weekend a tutti!
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by jamartetrusco | 2006-09-14 21:58 | Natura (自然)
2006年 09月 13日

海外にての日本陶芸の展覧会

ここのところ立て続けに日本陶芸の展覧会がロンドン、ニューヨークで開催中または予定である。そこで少し紹介したい。

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ひとつはロンドンで指折りの陶芸ギャラリー、ギャラリー・ベッソンにて開催中のJapanese Crafts展。9月6日から28日まで。これは陶芸だけでなく染色やファイバーの作家も含まれている。このギャラリーの主人であるアニタ・ベッソン女史はもとはフィッシャー・ファイン・アートという画廊に働き、そこで初めてイギリスの現代陶芸の草分け、ルーシー・リーやハンス・コパーの作品を紹介した方である。英国現代陶芸の市場を作りそして開拓したその貢献は多大なものである。そしてすばらしい目の持ち主。ルーシー・リーとは友情関係にあったこともあるが、ルーシーの逸品を多く持っている。以前より島岡達三、鯉江良二の作品展を定期的に行っていたが、今回は工芸作家を10人集めてのグループ展である。
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ニューヨークにて展覧会ふたつ。ひとつは日本陶芸の専門ディーラーのジョーン・マービスが以前はアールデコなどデザインの専門アートディーラーであり、今では家具、デザインを含め美術一般幅広く扱っているバリー・フリードマンのギャラリーにて日本現代陶芸展を企画。“Transcending TraditionーJapanese Contemporary Ceramic Art" 9月26日〜10月7日まで。
彼女は近代、現代陶芸を多く扱っており、やはりニューヨークにある実力ある陶芸ギャラリー、ガース・クラークがより現代性の強い陶芸を紹介するのに対して、彼女は伝統工芸志向である。
そしてもうひとつ。これは個展。Zetterquist Galleriesで開催予定の京都の作家、滝口和男の新作展。9月17日から29日まで。読みにくい名前のギャラリーであるが彼は随分昔、おそらくもう15年ぐらい前に私の友人の知り合いとして紹介された。自身のアパートにて日本の焼き物を扱う仕事をしていた。今では公開画廊を経営しているのだろう。頑張っているので嬉しい。滝口さんは有機的な形体のオブジェを作る一方、味わいあるかれならではの美学のこもった生活食器も作っている。そしてカタログなどのグラフィックはほとんど自身で手がけておられる。すばらしい頭と心の作家である。是非ニューヨーク展成功お祈りしている。

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by jamartetrusco | 2006-09-13 02:21 | Arte (芸術)
2006年 09月 11日

夜空を仰ぐ

9月に入ってから初秋の快晴の日々が続いている。雲一つない空というのはまさにこの頃の空のこと。故に夜空も素晴らしい。9月7日は満月。そして知らずして部分月食を見た。満月が山の彼方から登ってきているのに、どうもおかしい。雲ひとつないのに月の上部が欠けているのである。最初は雲がややかかっているのかな、と思って見ていたが、上がれどもやはり同じ形に欠けている。

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Frate Indovinoのカレンダーを見てみたら、満月の今晩は部分食と書いてあって納得。このFrate Indovinoというのはペルージャ近くの小村Cerqueto生まれのPadre Mariangelo、マリアンジェロ神父が元祖であるalmanacco(歴書)である。Frateは修道士、Indovinoは予言者を意味する。60年経った今でもアシジの聖フランチェスコが開祖であるフランチェスコ派の中の修道会のひとつであるカプッチーニ派(Frati minori Cappucini)の修道院が作っている歴書で、普通のカレンダーと違って日ごとに聖人の名前やことわざ、格言などのっている他、健康、食べ物、月や季節の変わり目のことにも触れている。格言はかなりカトリック的なものが多いが、なかなか言えてて真なりや、的をついたこともあり、案外面白い。グラフィックが美的とはほど遠く、さすがに部屋にどうどうと飾りたい感じではないので、アレのスタジオの片隅にかけてある。 ちなみに9月10日の言葉、Se il settembre caldo sarà - un inverno freddo verrà. (9月が暑ければ冬は寒くなる)。ぞーっとする天気予報である。

昨日は週末3日間続いたグレーベのワイン祭りの最終日。締めを飾る花火を見るには我が家のテラスが特等席である。毎年ワイン祭りのあたりの日々は天気に恵まれずひんやりした夜でテラスで見るにもセーターが必要なのであるが、今年は思わぬ好天気。日中は暑すぎて濃くのあるキャンティの赤ワインには少々合わない日差しであった。そのおかげで12年来、初めて薄着にて花火を楽しむ。

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9月11日の今日はニューヨーク9.11のテロの5周年ということもあってこちらのメディアも特集番組が多い。そんな中、今日のFrate Indovinoの格言を見てみると、Saremo tutti onesti, saremo tutti buoni,dicono i manifestsi in tempo di elezioni. 「我々は皆正直ものである、我々は皆善良である、とは選挙時の宣伝ポスターの文句。」  5周年の今日、ふと考えさせられる言葉である。
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by jamartetrusco | 2006-09-11 19:50 | Paese (土地柄)
2006年 09月 09日

Il Museo "La Specola" ー 動物学と解剖学の博物館

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フィレンツェにある数多くの美術館、博物館の中で、動物学や解剖学に興味のある方は欠かせないLa Specola。今回で2回目の訪問だ。普通の日は9時から1時までしか開館していない。水曜日は休館。土曜日はさすがに最近では5時まで開いているので家族連れも行きやすくなった。

世界で有数の自然史博物館の生物の剥製のコレクションに勝るとも劣らない収集品を持つ。無脊椎動物、爬虫類、両生類、魚、鳥、哺乳動物。そして今では絶滅してしまった類まで含め、広範囲に渡るコレクションには目をみはる。展示されているもの以外に3百万種が収蔵されているとのことである。なにしろ18世紀の後半から始まったコレクションであるから当然の数であるかもしれない。ただイタリアの美術館や博物館が常なるように解説が少ない。どの展示ケースもそれぞれの種の学術命名が書いてあるだけなので、よくわからないのが難点である。要するに視覚に訴えるのみ。それでも古めかし木製とガラスの展示ケースはいかにも当時の博物館さながらで、趣きはあるが、せっかくのコレクション、少しさびれた感じが残念だ。
さて、海の生物、鳥はやはり個人的に最も興味を引かれる分野である。特に鳥類の展示室は圧巻でところ狭しと色合い様々な鳥達がケースを埋め尽くしている。それは見事である。
鳥恐怖症の方は失神ものだが。
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哺乳類の部屋は剥製の状態が古く完璧でないせいか、なんだか禿げかけたぬいぐるみを見るようでなんだか痛々しい。ただ猿の種類が驚異的に多い。形相が凄まじく怖い感じ。夜間、人気がないときに迷い込んだらさぞ悪夢。
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そして以前の記事で紹介した7月の海辺にて発見したウニの殻。ありましたよ!ここにも。学術用語Diadema Setosum。なんだか嬉しかった。

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そして貝殻のみで作りあげた薔薇の造花。あまりにも珍しいので画像に収めた。

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しかしこの博物館の圧巻はなんといっても解剖学の部屋。ここは血や内臓、生皮剥がれた人間、などなど苦手な方にはおすすめしません。とにかく人間を形作るすべてが解剖されて目の前に置かれているのである。最近、世界を巡回したドイツ人ギュンター・フォン・ハーゲンの発明である”Plastination"された屍体を展示するThe Body Worldsという展覧会があった。特殊な方法で保存された人間の屍体を解剖学的な見地から見せるのであるが多少猟奇的に走りすぎていて賛否両論あった。彼はLa Specolaを訪れたに違いない。

La Specolaの解剖学展示の模型はすべて蝋でできており、18世紀後半から19世紀初頭にかけて彫刻家、版画家であるクレメンテ・スシーニ(1754~1814)が中心になって作成したもの。筋肉の一本一本、細胞のすべて見事に蝋にて再現されている。あまりにもリアルで強烈なイメージである。医学生にとっても興味深い資料であろう。
興味のある方はcere anatomicheのサイトを検索して頂ければその内容がよくわかる。
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さらにコレクションの中で卓越した17世紀の奇怪で美しい蝋細工の彫刻。シチリア出の蝋細工師のガエターノ・ジュリオ・ズンボ作。疫病による人間の変貌を象ったグロテスクであるが芸術性の高い3組の小品である。
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17世紀の死と幻想的なロマンティシズム溢れる時代性から生まれた産物であろう。
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by jamartetrusco | 2006-09-09 03:54 | Natura (自然)
2006年 09月 07日

ローマは一日にしてならず

日本領事館に用があり、ローマに日帰り旅行してきた。古代ローマの建築物のスケールの大きさ、歴史の重み、皇帝の権力、今のローマ人の心意気、そして日差しの暑かったこと。なんと歩いたことか。疲れた足を噴水の冷たい水に入れたときの快感。すっかり疲労困憊して、観たいものの半分もみれずに帰ってきた。
町自体のスケールの大きさ、遺跡が街角にごろごろしていて、また知らずに入る教会の中に芸術の大傑作があったりする。昨日も何気なく入った教会の中にベルニーニの彫刻の傑作
「聖テレザの法悦」に出くわした。
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教会は建築設計もベルニーニが手がけた有名なマリア・デラ・ヴィットリア教会だったのである。この作品はかのダン・ブラウンの「ダヴィンチ・コード」の前作であるAngels and Demons「天使と悪魔」の小説にも出てくるのでさらに一般に知られるようになったのだろう。中にたくさんの観光客がいたので驚いた。ちなみに私はこの「天使と悪魔」の方が面白かった。最後はすこしやりすぎで、荒唐無稽になっているが。
それはさておき、今回の訪問では、アレともどもどうしても古代ローマに畏敬を払いたく、コロッセオめがけてとにかく歩いた。炎天下、日陰と言えば建物の少しの影ぐらいで後は容赦ない日照りである。娘は根をあげるし、すこしづつ休みながら歩く。
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イタリア大統領がおわすカンピドリオ周辺を抜けてさらに行くとFori Imperialiに辿り着く。
フォロ・ロマーノという名前がよく知られるローマ帝国の公共広場。さまざまな皇帝が作り上げたモニュメントである。その巨大なスケールにただただ感心するばかり。
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Fori Imperialiのサイトがとても興味深い。歴史を語り、そして2000年前のローマがどうだったか、視覚的に再現してくれる。今では単に朽ちたる遺跡が実は壮大、絢爛豪華な建築物であったのが目の当たりにわかるのである。
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(下の図は上の図の2000年前の姿?)
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コロッセオなどすべての開口部に皇帝の彫像が立っていたである。
その当時はいかなるものだったのか、考えるだけでわくわくしてくる。ルドリー・スコット監督作のグラディエーターさながらである。
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さらにすごいのは皇帝が代わる度に前の皇帝の建造物を埋めてその上にまた新たに自分の権威を誇る建造物を上乗せしていったらしいことだ。だから発掘研究が進むと、下から想像を絶する巨大空間が出てくるらしいのである。
もう頭は古代ローマ。今生きる私など虫けらのごとく。巨大ということはやはり畏敬の念をいだかせるものだとつくづく感じた。ローマにただただ圧倒されて。

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by jamartetrusco | 2006-09-07 04:04 | Storia (歴史)
2006年 09月 05日

Libro Apertoの見える山の家

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Libro Apertoー開いた本ーという名称を持つアベトーネ山脈の中で有名な山脈。
フィレンツェから30キロほど北西に上がったところにあるピストイアの町の背後にある山の峰。
標高1896メートルのモンテ・ベルヴェデーレと1937メートルのモンテ・ロトンドのふたつの山の頂上が合わさる部分が開いた本のようにみえるからそう呼ばれる。山の峰の姿を本に例えるとはなんとも詩的ではないか。

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ピストイアからアベトーネ山脈に向かいSan Marcello Pistoieseという古くから有名な夏の避暑地を越えて、小さな山の町Spignanaを過ぎて車でさらに上がること5分。そこに友人カップルがもう一人の友達と山の家を5月から5ヶ月間借りている(画像の赤い屋根の家がそれ)。
フィレンツェの夏の暑さを逃れるため週末だけの利用でも家を借りるという生活、なかなか贅沢である。遊びに来たらというので日曜日一泊で行って来た。この1週間、目もくらむような素晴らしい初秋の快晴日が続いているが、昨日もそんな天候に恵まれた。ピストイアからどんどん山道を上がっていくこと約40分。山の家はこの近くのアグリツリズモのご主人が経営するいくつかのアパートのひとつである。キャンティ地方のような内外からの多数の観光客あふれる地域と違って、地元の人々が週末訪れたり、また彼らのような数ヶ月単位で借りる人たちが多い地域のようだ。久々に人気のない、素晴らしい山々に四方囲まれた絵に描いたような「山の家」なるものを味わってきた。目の前は牛を放し飼いにする草牧である。

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白いキアニーナの牛の群れが太陽の日差しを浴びて佇む様子はまるでマッキァオーリ派の絵の一幕を見るようだ。そして遠くにLibro Apertoの山頂が望める。
空気は澄み、日差しは痛いくらいに強い。動きの止まった空気の透明感と山の眩しいばかりの緑、そしてこれでもかというほど青い空。

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そして家畜たち。いずれ食肉になってしまうかもしれないこの牛たち、でもこんな素晴らしいところで自由に草を食べ、歩き回ることができるから、彼らはせめても幸せだな、と思った。
そして久々に馬、牛、山羊、ろば、豚、身の回りの動物達とこの山の自然と空間を共有してきた。ありがたき幸せ。

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by jamartetrusco | 2006-09-05 01:57 | Natura (自然)