トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2006年 11月 30日

雷効果

先週の火曜日だったか、深夜から大嵐となり、猛烈な雷の響き、トスカーナ地方の一部でも木が倒れたり、床が浸水したり、といった多少の被害があった。
我が町でも深夜のすごい落雷の音に、びっくりして目が覚めるほど。
コンピューターの電源は切っておいたけれど、テレビまでは気がまわらず眠さに負けてそのままに。次の朝寝室に置いてある小さいテレビが動かない。落雷の被害にやられたらしい。不思議なのは機械のすべてに影響があるわけではないこと。
そしてこの後テレビが何台もゴミ捨て場に捨てられてあった。被害は案外大だったようである。

ところが被害はこの小さいテレビだけに終わったのではない。この落雷の次の日からAirmacのブロードバンドのつながりがおかしい。繋がったり繋がらなかったり、不安定である。また一日中繋がっている日もあればまったくコネクションゼロの日もある。

ここからが大変である。イタリアに住んでいることをつくづく恨みたくなる毎日。
イタリアのNTTにあたるテレコムという電話会社があるのだが、このサービス番号187にまずは電話して問題を告げる。ところが応対するオペレーターというのがまたすべてに言うことが違ったりする。ひとりは「あーそれはこの近くで今ライン拡張の作業をしているのでその影響に違いない。月末までは続くかもしれないのでご了解ください」。いったんはあーそうだったのか、と納得したものの、悪名高きテレコムの今までのいきさつのことを考えると(オペレーターがいい加減なことを言うのはもう通常のこと)信用できない。
ということですぐに次の日にまた電話する。すると今度は「ラインが繋がっていない、故障だから技術者をよこすように予約をいれておきます」、との対応。次に日まだまだ信用できないので再度電話。すると電話したときにたまたまラインが繋がっていて、「繋がっているからそちらの問題では?」という答えで、それ以上どうしようもない。

そして昨日思いがけず早く技術者が現れた。このいきさつもなんだか変。どうも私たちの故障を見に来たわけではないようである。それでもとにかくラインのチェックなどしてもらって、一応修理完了かに見えた。アーよかった、とほっとするのもつかの間、もう夕刻には繋がらなくなった。結局なにも解決しなかったわけである。
そして今日は一日中繋がらない。常時お世話になっているMacの技術者にも来てもらってこちらにはなんの問題がないことを確認した。
つまりテレコムに修理してもらうしか、もう道はないのである。それもあまりあてにできないオペレーターと技術者との戦い。電話を通して名無しのオペレーターとしか話せない、それも毎日違うオペレーターと。誰も自分の言うことに責任を持たなくてすむ、なんとも理不尽な仕組み。一人の名前のある人物と合い面して問題を話せない、このことの非人間性と不便さ。
そしてやってくる技術者がいい加減であればもうお手上げである。

インターネットという現代の素晴らしいテクノロジーに完璧にがんじがらめになっている自分という存在は無視できないものの、つくづくこういった大企業のシステムの弱さ、盲点、非人情を感じてしまうのである。

ということで当分続くテレコムとの格闘。いつになったら解決することやら。

でもいつものMacをとことん知り尽くしているお兄さん、アレッサンドロは今回も出張サービスでいろいろ見てくれて、そしてなにも料金を請求せずに行ってしまう。そんな人間味のあるつきあいもあるのでやはりイタリアも捨てたものでない、と思えるのである。

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by jamartetrusco | 2006-11-30 02:45 | Vita (人生)
2006年 11月 27日

ホルバイン、ヴェラスケス、ホックニー

ホルバイン、ヴェラスケス、ホックニー。
この時代も様式も全く異なる3人3様の画家に共通することは?

ひとつには現在ロンドンにてその展覧会が開かれていること。
ひとつには3人とも肖像画を多くなしたこと。
そして3人ともいわゆる「絵画的」絵画を制作する画家であること。
こうしてみると同時期に展覧会が開催されているのも偶然とは思えなくなってくる。

ハンス・ホルバイン(子)は1497/8年、南ドイツ、アウグスブルグ生まれ、1543年ロンドンにて没。エラスムスに後押しされて宗教改革真っただ中の激動するイギリスにてヘンリ−8世の宮廷画家として仕事を得る。その当時年間30ポンドの給与であったという。
彼のヘンリ−8世の肖像画はあまりにも有名だ。
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素材が手に取るようにわかるその写実的手法は彼独特のものであり、また等身大の人物肖像はまるで本人と合い面している錯覚にも陥らせる圧倒的なリアリズムを持つ。しかし周囲とモデルとの大きさのバランスのせいなのか、どこか空気感が超現実的で、ホルバインの画法の技巧を駆使するための手段としてどっしりと画面を被っている対象物として表現されているように見える。
色とテクスチャーと人物の表情。すべてが呪文をかけられて静止したようである。


ディエゴ・ヴェラスケス(1599〜1660)はセヴィリア生まれのスペインを代表する大画家である。1623年来スペイン王室の宮廷画家として数多くの肖像画を残し、晩年の「ラス・メニナス」は美術史上の大傑作である。

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彼のカンバスは17世紀初期のものとは思えない即興的な筆使いで、まるで2世紀先を行っているようである。

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彼の初期の庶民を描いた風俗画はまた魅力的だ。宮廷画にある色彩の鮮やかさはなく黒と茶を主調とした厳かな作品である。彼の茶は崇高である。茶色をこれほど上手に使いこなした画家はいないのではないか。


デヴィッド・ホックニーはイギリス、ヨークシャー生まれで、現在も現役で活躍中のイギリスを代表する現代作家である。大規模な回顧展がナショナルポートレート・ギャラリーにて開催中である。
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初期から現在に至るまで、とにかく多くの肖像画を制作している。家族、友人、愛人、彼のスタジオを訪れたあらゆる人々、そして愛犬まで、膨大な数の肖像画の群。時代時代によって色彩や手法も変化しているが、一時期のポラロイド・カメラによる写真コラージュの時代を除いてすべてが油彩、水彩による筆さばきのなまなましい絵画である。絵の具という存在がカンバス全体に声を大に主調するのが感じられる。色彩もロサンジェルスに移ってから光がより強くなるが、常に、明快、透明である。
ホックニーのパレットには黒は存在しないかのようである。

冒頭に共通点を挙げたが、しかしこれほど様式の違う画家3人もいないだろう。
時代の違いはもちろんのことであるが、細い筆の重なり合い重厚な色調にて写実描写を試みるホルバイン、即興的な筆使いにて色彩調和の美としての画面を構築したかのようなヴェラスケス、そして明るい色彩で油彩をあたかも水彩のように自由に駆使するホックニー、この3人の色と筆使いの違いは一目瞭然である。しかし3人とも筆と色彩という絵画のもっとも基本である要素をとことん突き詰めていることにおいてまさに「絵画的」な画家である。
絵画の醍醐味を真に味わう機会を与えてくれる。
抽象、ミニマル、コンセプチュアルな表現では得ることのできない作者とカンバスの対話を生に感じることのできる3人の画家の作品である。

とは言え個人的にはやはりヴェラスケスの偉大さに脱帽した。
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by jamartetrusco | 2006-11-27 19:39 | Arte (芸術)
2006年 11月 25日

彫刻と猫

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頭部の木彫。もうすこしディテールが入った。
ローマのチェンタウロのような顔。
こっそりとスタジオに忍び込む猫いっぴき。彫刻のまわりをうろつく。
この顔が少し人間らしくなったので、ややうさんくさく思っているようで、
こやつは何者ぞ、と匂いをかいで、眺めている様子である。

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そして昨日、オリーブの彫り屑を食べているのをついに目撃。
アレのオリーブの彫刻の現場である。
オリーブの木の持つ根っからの、くねり、曲がり、官能的なカタチ。
彫るうちに人ガタに似てくるのは常なること。

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ビルバのお気に入りの一作。毎日のようにそばに寄って来ては
有り難く拝む。そして舐める。

彫刻と猫。

短編小説が書けそうだ。

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by jamartetrusco | 2006-11-25 17:43 | Arte di Ale(アレのアート)
2006年 11月 23日

Devil in the Detailー細密画の巨匠

ロンドンの南部にダリッジという緑豊かな瀟酒な住宅街があるが、そこにあるDulwich Picture Gallery (ダリッジ絵画館)はレンブランドやプーサンなどの名画を含む小さいながらも優れた所蔵品のある絵画館である。1811年に設立されたイギリス最初の公共ギャラリーであり、建築もギャラリー展示を考えて設計された建物という歴史を持つ。最近ではイギリスの好景気の恩恵もあり、カフェができたり、優れた企画展がしばしば開催されている。
イギリス18世紀の画家ジョシュア・レーノルズ卿所蔵の「モナリザ」の最良の模写の展示も興味深い。レーノルズ自身この絵が本物であると信じていたらしい。確かにモナリザの表情などルーブル美術館蔵のものと変わらない出来である。しかし使っている木版の素材がレオナルドが使ったはずがないものである、ということで模倣と解明された、との説明があった。

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さて今回この絵画館にてアダム・エルスハイマーというドイツのバロック時期の画家の特別展"Devil in the Detail"(文字通りの訳は「悪魔的緻密さ」である)を開催しており、初めてその作品の芸術性の崇高さと神秘性に触れる幸運を得た。久々に驚きと深い感動を覚える作家との遭遇であった。

Adam Elsheimer (1578~1610)はドイツ、フランクフルト生まれである。32歳という若さでローマにて没。その短い生涯の中で、銅版に描かれた小さな細密な絵画作品ー通称キャビネットペインティングとも呼ばれる箪笥の部分を飾るために制作された絵画の伝統ーを残した。完璧主義とややメランコリックな性格の故、制作ペースは遅く残された作品で確実に彼のものとわかっているのは40枚ほどという寡作の作家である。経済的にも恵まれず多難な人生であったが、後世の作家に残した影響は多大であった。ルーベンス、レンブラント、クロード・ロランなどの有名な画家達の作品にその足跡はくっきりと刻まれた。特に同時期にローマに滞在したルーベンスは生前からエルスハイマーと交流があり、早逝の折に、ルーベンスは以下のような畏敬の言葉を残している。
「この偉大なる画家の喪失によって絵画そのものが喪に服さねばならない。彼の芸術の後継者を探すことは容易ではあるまい。細密な人物像、風景、そしてその他の題材において、彼の右に出るものはいないだろう。」 
フラマン派の大画家をしてこのような言葉を述べさせるエルスハイマーはただ者ではない。

彼の名声をヨーロッパに広めたことについては、その弟子として晩年に住まいをともにしたHendrick Goudt(ヘンドリック・グート)が少なからず貢献している。裕福な家からくるこの画家は師匠の絵の多くを買い取ったことでも知られ、また負債に苦しむ師匠を牢獄に送り込んだ張本人でもある。買い取った作品の模写である銅版画を制作し、それを後に自身のサインのみで世に送り出すという恩義を仇で返すような人物ではあったというが、銅版画家としての手腕には長けていたのである。これを見たレンブラントを含めた後世の画家達がエルスハイマーの芸術に触れることとなったというのはなんとも皮肉なことである。

家業が芸術とは関係がなかったためエルスハイマーは14歳にてすでに親方に弟子入り。その後ミュンヘンを経由してヴェネチアに向かい、そして22歳の時にローマ入り、死ぬまでこの地に住み制作する。ちなみにイタリア美術勉強のためにベネチアやローマを訪問するのは17世紀の画家達のお決まりコースである。ベラスケスもルーベンスもこの道を辿っている。
アルトドルファーに通じるドイツの北方絵画の伝統の上に立って、カラヴァッジョの明暗法の明らかなる影響を受けながらも、自然主義的な風景描写は彼独特のものである。
しかし彼独自の個性が十分に発揮されるのはローマに渡ってから描いた作品群だろう。

ローマにて落ち着いたエルスハイマーはそこでフェデリコ.チェイ侯爵(1586〜1630)らが創設者、主導者であったAccademia dei Lincei (アカデミア・デイ・リンチェイ)に賛同する。このアカデミーの紋章を描いたのも彼である。このリンチェイ学院は1603年に創設され、かのガリレオ・ガリレイも1611年来主要メンバーとなった数学、自然科学、哲学の研究アカデミーである。1871年以来イタリアの公式な自然科学アカデミーとして存続している。Linceiとは「明敏な人々」の意で、Lince(オオヤマネコ)の目が鋭いことに由来するLinceo, 炯眼な、という形容詞に基づく。アカデミーのモットーとしてチェイが選んだ言葉は「大きな結果を得るためには些細な事象に注意を払わねばらない」である。
このような世界を科学的に分析する方法論と哲学は当時の法王に導かれるカトリック教会とはまっこうから対立することとなるのだが。
エルスハイマーとこのアカデミーとの関わりは晩年の彼の制作にも如実な軌跡を残すことになる。

そこでエルスハイマーの作品中、特に印象的だった作品3点。
すべて1607−9年の死の直前に描かれた晩年の作品ばかりである。個人的な意見ではあるが、ローマに着いてからの彼がアカデミーとの接触によってその芸術性を深めたことは間違いない。

「ミネルバの王国」
8.7 x 14.6cm 銅版に油彩

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この作品は「ビーナスの王国」、「ミネルバの王国」、 「ユノの王国」の3作シリーズの中の一つ。愛と美の女神ビーナス、知と芸術の女神ミネルバ、そして家庭の守り神と言われる女神ユノはそれぞれ官能と瞑想と活動の象徴である。3番目の「ユノの王国」の原画は失われ、1646年にプラハ生まれのEnzel Hollarが残した同シリーズを模写した銅版画にてのみその図を知ることができる。この頃までにエルスマイヤーの絵画のいくつかはイギリスのアルンデル卿の所蔵にあり、その模写をしたのが卿に仕えるこのHollarであった。
兜をかぶり槍を片手にしたミネルバはデューラーの銅版画「メランコリア」にあるように片手を頬に当てて瞑想している。薄暗い室内の光景もメランコリーな様相を持ち、裸体をデッサンする画家2人と地球儀や書庫を前に研究する4人の学者がいる。
闇の中からぼーっと浮かび上がる室内の細部と人物像。目を凝らしてみると次々と新たな発見がある作品である。人物一人一人にもなにがしかの意味があるような気がする。


「フィレモネとバウシスの家にて休むジュピターとマーキュリー」
1608年頃制作
16.9 x 22.4 cm 銅版に油彩

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ギリシャ神のジュピターとマーキュリーが旅人を装って貧しい老夫婦フィレモネとバシウスの家の戸を叩く。そこで受けた歓待からこのあばら屋を神殿に変え、老夫婦を神殿の守り人とする、というローマの詩人オヴィディウス作の「メタモルフォシス(変身物語)」にあるギリシャ神話の1エピソードを描いている。絵画のギリシャ神話の主題としては他に例の見られない珍しい題材であるらしい。
ここでも闇から浮かび上がる煌々としたふたりの神々が普通の室内画の一部として描かれている。フラマン派などの北方ヨーロッパの絵画独特の手法であろう。細微にわたっての室内描写にその技巧の素晴らしさが伺われる。


「エジプトへの逃避」
1610年制作
31 x 41 cm 銅版に油彩


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他の2点に比べればサイズはやや大きい。 この作品を前にまず目に入るのは詩情豊かな月夜の自然である。水に反射する満月おぼしき月明かりのもと、中央にヘロデ王の赤子虐殺の命を逃れるためにエジプトヘと避難する聖家族。光源は右側の月明かりと対称的に左側に位置する羊飼いのたき火の灯。キリスト誕生を見舞う羊飼いの暗喩であろう。
この絵画がとりわけ興味深いのは空の様子である。絵画史上初めて銀河が正確に描写された
作品であるという。さらに天文学者の調査によるとこの星空と月の位置の様子からこの夜空は
1609年の6月16日に当たるらしい。年月日の詳細まで銀河の風景によって割り出すことができるというのはなんとも驚きである。そしてこの事実はエルスハイマ−の夜空の描写の正確さをそのまま物語っている。作家と天文学などの研究にも従事したアカデミーとのつながりは明確であり、実際に作家が望遠鏡にて空を眺めて記録したか、またはその記録を見て描いたことは疑いの余地なしである。

こうしてみるとエルスハイマーという画家の神秘性が増してくる。ローマでの10年間、このアカデミーとともにどのような交流があったのか、ルネッサンス以降の学者の間で必ず研究の対象となった天文学、錬金術、哲学などの奥義をどれほど深く理解していたのか。単に想像するしかないが、晩年に描いたいくつかの主題やその描き方を見るとこれらの細密画の裏に隠されている作家の意図とアカデミーの哲学がぼんやりとでも見えてくる。もしかするとアカデミーの思想を映し出すために描いた寓話的な作品であったのかもしれない。
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by jamartetrusco | 2006-11-23 01:54 | Arte (芸術)
2006年 11月 20日

陶器の町ファエンツァの文化サロン

フィレンツェからたったの2両編成の山越え電車にて行く程2時間弱。
アペニン山脈を越えるとエミリア・ロマーニャ州の人口55,000人程の陶器の町ファエンツァに辿り着く。焼き物をさすフランス語の言葉 Faience(ファヤンス)はこの町の名に由来する。
マヨルカ陶器とともに歴史を歩んできたこの町。町の産業の中心は陶器生産であり、陶芸家も数多い。

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そして設立からすでに100年の歴史を持ち国際的にも有名なMuseo Internazionale delle Ceramiche in Faenza ,通称MIC (ファエンツァ国際陶磁器博物館)が町の観光名所のひとつである。さらに隔年開催の国際陶陶磁器コンペはすでに来年2007年にて55回目をむかえる。過去には日本からも金賞受賞作家を輩出している。
また陶芸家、陶芸デザイン、陶芸への道へ進む人材育成の陶芸美術学校G Ballardiniもあり、国内外からの学生で一杯だ。

97年には世界で初めて樂焼を紹介するダイナミックな展覧会"Raku: A Dynasty of Japanese Ceramists"を主催した地でもある。この展覧会はMICにて開催の後、パリの日本文化会館、オランダ、レーワールデン陶磁器美術館に巡回した後、帰国展が東京のサントリー美術館にて開催されたのも記憶に新しい。

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ファエンツァの町角には陶芸が満ちている。店のショーウィンドーなどに焼き物作品をデザインとしてならべているところも多いし、作家紹介の場となっているレストランもある。
陶芸とは切っても切れない歴史を持つ町ならではの誇りと意気込みが感じられる。

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この週末この町にて芸術、文化に関心のある人の間で知らぬものはなかろうMuky夫人の屋敷にて日本の陶芸家の方の作品紹介とコンサートの夕べが開催されていたので行ってきた。ファエンツァにて陶芸を学び現在では一線で活躍している陶芸家であり、この時期3ヶ月ほどファエンツァに戻られ再び作品制作に挑んだ。
会場はMuky夫人の屋敷の一部をサロンとして使用しており、定期的にコンサートと陶芸作家、画家などの作品を組み合わせた文化サロンの夕べを企画されている。亡き夫がやはり著名な陶芸家であったり、未亡人となった今、昔ながらのサロンの主人としてこの町にてはすでに主のような存在であるようで、今回のイベントにも300人以上の人々が訪れとということで、その人気を物語っていた。

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この夫人との友好があったさまざまな芸術家、作家、陶芸家に一言署名してもらった焼き物の大皿、小皿が屋敷の壁を処狭しと埋め尽くしている。あまりの量に圧倒される。
かなりエキセントリックな人柄を思わせるが、しかし18世紀の自宅を駆使してこのような文化的イベントや交流を老齢に負けずに企画されているこの夫人の情熱と活力は素晴らしい。
天井を飾る独特のフレスコ画が目に留まった。


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by jamartetrusco | 2006-11-20 19:21 | Viaggio(旅)
2006年 11月 18日

自然の断片ー写真でみる「黄昏」展

とりたててその美しさを主張するのではないが、なぜか目にとまる自然の断片。
ロンドンの旅よりいくつか。
飛行する空高くから鳥瞰図に見る山脈。
雲が手に取るように眼下にある。
空気が何層の色にも見える不思議。ここはもうスイスか。

テームズ川沿いで水のしぶく音がした。
下を見れば淀んだ水に黄褐色の落ち葉が
寄せる波に戯れる。 

深紅の実をつけた紅葉の木。
極めて自信たっぷりに冊の背後にどっしりと立っていた。

雲に被われた黄昏の空。もうほとんど夕闇になりかかる寸前の
陽炎のような、むらむらの光。


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ところでV&A美術館にて実に美しい展覧会を観た。
"Twilight"と題する黄昏をテーマにした写真展である。
「黄昏」を主題に現在活躍する6人の写真家のそれぞれの黄昏解釈である。
黄昏がもつ魔術と幻想と緊張感を6人独自の表現にて表したものである。
会場全体がブルーの光に被われて雰囲気はすでに黄昏である。各作家の作品が暗闇から
一筋の光のように浮かび上がる。

特に印象的だったのはオーストラリアのBill Henson (ビル・ヘンソン)、フランスのChrsytel Lebas (クリステル・ルバ)、アメリカのGregory Crewdson (グレゴリー・クルードソン)、 ウクライナのBoris Mikhailov (ボリス・ミハイロフ)の表す「黄昏」。


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グレゴリー・クルードソンはいかにもアメリカの風景。まるで舞台装置のような時間の静止した平面の風景。そこでは主人公は光の及ぼす効果である。




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ビル・ヘンソンの写すイメージはまるでカラヴァッジョの絵画を見るかのように、明暗の美そのものである。写実そのものでありながらまるで夢の中の映像のように幻想的、超現実的である。



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クリステル・ルバのテーマは森である。黄昏の森をさまざまに映し出すAbyss「深淵」のシリーズ。フランス語で黄昏のことを「犬と狼の間」と呼ぶそうだ。日常が危険をはらんだ魔性に変わる時、という暗喩だろう。 まるで伝説の森、神話の中の森のようだ。




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ボリス.ミハイロフの「黄昏」はソ連崩壊後のどこか憂いを感じさせるごく普通の人々の日常にある黄昏。すべてが青色のベールに被われた淋しげな悲哀あふれるイメージ。黄昏を通してのひとつの社会ドキュメンタリーを万華鏡のように見せてくれる。
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by jamartetrusco | 2006-11-18 00:00 | Natura (自然)
2006年 11月 17日

滑り台がアートになるとき

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ロンドンのテート・モダンの入り口を入るとまず吹き抜けの奥行きの長いホールに直面する。この長さ155メートル、高さ35メートルの通称Turbine Hallでは2000年の開館当初からさまざまな現代作家のインスタレーション・プロジェクトースポンサーの名前をとってUnilever Projectーが企画されてきた。過去にはLouise Bourgeois(ルイーズ・ブルジョワ)、Juan Munoz (ホアン・ムニョス)、Anish Kapoor (アニシュ・カプール)、Olfur Eliasson (オルファー・エリアソン)、Bruce Nauman (ブルース.ナウマン)、Rachel Whitehead (レイチェル・ホワイトヘッド)の6人の作家がそれぞれ独自の表現方法にて、この広大なホールに見合った大規模作品制作を手がけてきた。
特にデンマーク生まれのエリアソンのWeather Project""(気象プロジェクト)は観衆の関心を集め、人気の高いプロジェクトであった、巨大な霧のかかったオレンジ光を放つ太陽をホール奥背景に設置し、気象が象徴するもの、そしてそれに導かれる想い、瞑想、体験など、人と宇宙の万象との心理的、物理的関わり合いを、極めて圧迫感のある巨大太陽の光のオーラの中に映し出そうとするものであった。じっと見据えざるを得ないこの幻惑的な人工の太陽は人間の古代の記憶を想起させるような瞑想的なものであると同時にどこか神経の吐き気を伴うような魔力を持っていた。

現在開催中の7回目に当たるプロジェクトはベルギー生まれで現在はスウェーデン在の作家Carsten Höllerの”Test Site”(実験現場)と題するインスタレーションである。作家自身かなり経歴が変わっていて、ドイツにて農業経済学者として勤しみ、また昆虫間の臭覚にたよる意思疎通を研究していたらしい。案外美術学校など行っていない方が制限のない想像力が生まれるのかもしれない一例である。
さてこのプロジェクト、平たく言うと巨大滑り台である。長いもので55メートルの渦を巻いた銀色に光る滑り台が大小5種、設置された。
一番長いものは美術館の最上階レベル5から下降するものである。

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ホーラーは以前から観衆と作品との相互作用を目指した空間を使ったビジュアル・インスタレーションを制作する作家である。過去のプロジェクトもすべて訪れる観衆を巻き込んだもので、巨大なキノコを逆さまに吊るした空間に観衆を導くUpside Down Mushroom Roomや、空中に飛行させるFlying Machine、フリスビーいっぱいの部屋のFrisby Houseなど、すべて大規模なスケールの制作作品だ。視覚的、物理的効果をもとに、人間の本能と共通の体験の枠を通して、観る人の頭脳や心理へ作用していく。

滑り台のプロジェクトはすでに以前にもミラノのプラダの本拠地にて行ったことがあるが、その時には、ボスであるプラダ氏の事務所と駐車場を結んで滑り台が組まれるというユニークなインスタレーションであった。

今回のこの"Test Site"プロジェクトは、作家によると、「頭と体に訴える遊技場」であり、「精神病と戦う一手段にもなり得る」そうだ。確かにこの長い滑り台を滑り降りる瞬間に喚起される恐怖、歓喜、驚異など諸々の感情は人間の根源的な本能を極めて直接的、物理的に吐露させ、滑り降りるものすべての人々の頭は一時的に子供の無心に戻るであろう。頭が真っ白になる瞬間。さすがに怖そうで試すのを控えてしまったが、貴重な体験を逃した気がしている。
体験していたらひょっとしてどこか感性に変化をもたらしていたかもしれない。

さらにインタビューの中で、彼は述べていた。滑り台をもっと都市計画に有効に使うべきだ、と。
確かに道路は車に満ち、これからの環境問題を考えると、ガソリンや電気にたよることなく、都市内の簡単な移動が巨大滑り台によって可能になるなら、いかにも夢ある未来的都市が広がりそうだ。悲鳴を挙げて下降していくビジネスマンなどの姿を想像すると思わず笑いがこぼれる。ちょっとしたストレス解消にもなりそうだし、なによりも満員電車より人間的で楽しそうなのは間違いなしだ。 

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by jamartetrusco | 2006-11-17 00:16 | Arte (芸術)
2006年 11月 08日

ジャクソン・ポロックの話題

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つい先日ニューヨーク、サザビーズ・オ−クション会社を通してジャクソン・ポロックの1948年制作の作品「No 5」がなんと14億ドルにて買い取られたというニュースを読んだ。これはニューヨーク・タイムズ紙が公表したもので、サザビーズ側の正式な発表があったわけではない。というのも公開オークション外の取引であるからだ。もしこれが正確だとすると史上最高値での絵画の売買となる。先6月に売却されたグスタフ・クリムトの作品の13億5千万の取引をさらに上まることとなる。買い主はメキシコの金融業者と言う。

ジャクソン・ポロック(1912〜1956)は絵の具をたらした即興的な絵画手法、drip painiting にて有名で、特にこの1948年前後は対戦直後のアメリカの抽象表現主義運動がポロックによって開花した時代でもある。ポロックによってヨーロッパ芸術のへその緒を断ち切ったとも言え、彼はアメリカ現代美術、果ては世界の現代美術にとって鍵となる存在である。交通事故にて44歳の若さで逝ってしまうその悲劇的死は彼の存在をますます神話化している。
ポロックの重要な作品は世界の大きな美術館収蔵となっているため、これほど重要な作品が個人売買されるということは今後もないであろう。

そして新たにポロックにまつわる面白いニュース。話題の人は元トラック運転手の女性。1991年カリフォルニアのがらくた店にて7ドルを値切って5ドルで冗談のつもりで買った120x165cmのサイズの絵画が実は本物のポロックかもしれない、というのだ。

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もし本物だと認定されればなんと4億か5億、いやもっと上がるかもしれない価値という話。彼女の喜びたるや想像に値する。またふるっているのは74歳のこの彼女、ジャクソン・ポロックなど皆目聞いたこともく、なんの価値もわからずずっと倉庫にしまってあった。この絵画を友達に売ろうか、ということから、近くの大学の美術教授の目にとまり、追求が始まる。そして今、真否を決める手がかりは絵画についた指紋とのこと。ポロックの持っていた絵の具の缶や既存の作品についた作家本人の指紋がこの作品に残っているものと同一らしいのである。DNAとまではいかにまでもケイ・スカーペッタ(パトリシア・コーンウェル作の犯罪小説の検屍局長である主人公)顔負けのいかにも最新の技術を使った調査方法ではないか。
ということでもしこれが是であるとわかればこの持ち主、一日にして大金持ちになるわけである。最近あまり聞かなくなったびっくり玉手箱の話である。


追記:
また明日から1週間ロンドンにて、少しお休みします。
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by jamartetrusco | 2006-11-08 23:11 | Arte (芸術)
2006年 11月 06日

サン・ロレンツォ市場と錦市場姉妹提携

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11月3日、フィレンツェの中央市場、サン・ロレンツォ市場内にて、フィレンツェのサン・ロレンツォ市場と京都の錦市場との姉妹提携の調印式が行われた。これは同日やはり調印がかわされたトスカーナ州と京都府の姉妹提携の一貫である。フィレンツェ、京都が姉妹都市提携して今年で41年目。そして今年、州と府とのあらたなる姉妹提携。それに準じて両都市の食文化のシンボルである市場同士の提携が実現した。

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それでは具体的になにができるのか。フィレンツェにては京都の食材や食文化の発信があり、それと呼応して京都にてはフィレンツェの食材や食文化の紹介をする、という相互促進事業である。常にそれぞれの市場にてスタンドを持ち食材を売るという具体的な商業政策なのかどうかはわからないが、食文化イベントを将来様々な形で企画するプロジェクトとなり得るであろう。「食」という重要な生活文化の紹介促進をフィレンツェと京都がそれぞれに担うというのは従来の「〜フェア」という一時的な企画にとどまらず奥深く理解を極めることのできる可能性があり、興味深い歩みよりである。うまく展開すれば庶民レベルでのカルトを創造することも可能である。

しかしどうだろう。ひとつの問題は両都市、いや両国の理解のレベルの落差が大きいことだ。日本のイタリアへの興味、知識、好奇心、そしてイタリアの食文化への思い入れはこの数年目覚ましいものがある。それがいかに表面的なものであるにせよ。錦市場でのフィレンツェ食文化の展開が人々の感心を惹くことは間違いない。

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しかしイタリア側の日本に関する知識は微々たるものである。イタリア人の日本訪問者数とその逆とでは膨大な違いがあるはずだ。そんな中でフィレンツェの市場にて京都の錦市場の何が紹介できるだろう。食材を使いこなせる人がどれほどいるだろう。最近の健康食ブームからの寿司ブーム、Sushiという言葉はもう当たり前のように普及している。この日も寿司とお酒が振る舞われた。イタリアにはわかりやすい食の紹介ではあるが、寿司は京都のシンボルではない。そしてニュー・エージの延長線である、ミニマルな室内空間や生き方のファッションとしての"Zen"という言葉をちらほら見かける。しかしこれぐらいでは真の日本の文化の理解とは言えない。これはイタリア側だけの責任でもなく日本が自国の歴史、文化の紹介の努力を対イタリアにはあまり行ってこなかったという事実でもある。

より一般的な話としてはイタリアのマスコミの責任もある。日本の紹介のなんと偏ったことか。日本に関するニュースで耳にするのは奇異な事件があったり、というときのみであるし、また不可思議な国というイメージをことさらに語る紹介記事が多い。余談になるが、私の怒りの一つはイタリアのマスコミは自爆テロの行為を表すのに“Kamikaze"という言葉を使うことである。神風の歴史背景も知らずに現在の自爆テロに同義としてこの言葉を無神経に使用するこのジャーナリズムには腹が立つし、またこういった間違った言葉の使用に対して一言も文句を言わない日本政府も信じがたい。(大使館もあるのだし、抗議する方法はいくらでもあるでしょう)

京都とフィレンツェはそんな両国の状況の縮図であるのだが、それでもこの二つの都市はその街の歴史や地理の共通項から交流に努力を注いでいる。
特に両都市の交流に尽力をおしまないのは、地道であり、経済的にもあまり報われることなくとも、それを敢えて引き受け両国の架け橋としての大切な仕事をし続けている個人レベルの人たちである。私の京都の友人などはその一人だ。京都府や京都市との協力のもとにもう20年このような仕事を続けている。その都度の困難を乗り切りながら。その素晴らしい情熱とエネルギー、もうただただ感服するのみである。
錦市場でのアート・プロジェクトに限らず過去にすでに様々の京都、イタリアの文化発信を試みてきた。今後もまだまだ面白い展開をみせてくれるだろう。文化の紹介は大変な努力と時間が必要である。この市場提携が今後あってなきにしがごとしにならずに少しづつでも京都の、果ては日本文化の真の表出の機会となってほしい。

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by jamartetrusco | 2006-11-06 21:46 | Paese (土地柄)
2006年 11月 03日


ある霧の朝寝室の窓辺にてシルエットと化したビルバ。

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霧は朝晩すべてを覆い隠す神秘のベールである。
霧は下にある物も音もすべてふさいで沈黙と静寂の世界を生む。
空気が粒子となって見える瞬間。
大気と大地が触れるとき。雲が下界に降りてくるとき。

イタリア語ではnebbia、英語ではfog.

ロンドンの有名な霧はその昔暖炉で石炭を皆が燃やしていたからだと聞く。
だから石炭を炊くことのなくなった今では自然現象以外の霧はあまり見られない。
この街に住み出した当初不思議と目に入ってきたのは霧下でもよく見えるためのオレンジ色をした街灯であった。
飛行機の上からぼーっと浮かんでくるオレンジ色の都市ロンドン。

ロンドンの霧に満ちた夜景の幻想美を極めた作家としてJames Abbott McNeill Whistler(1834-1903)ウィスラーの右に出る者はいないだろう。アメリカ、マサチューセッツ生まれであるが、その後イギリスに移り住む。
北斎にも影響を受けた構図もさることながら、産業革命後の工場の立ち並ぶロンドン、テームズ河沿いのバタシーの霧に被われた寂とした風景。音のない風景である。

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霧にまつわる恐怖映画作品
ザ・フォッグという1980年制のジョン・カーペンターのゾンビを扱った映画があった。
アメリカのある漁村にて100年前の怨念を果たそうする亡霊たち。
霧が効果的に扱われたホラーである。
つい最近リメイクもあったがこちらの方は観ていない。


世にも怪奇な物語 (1967)
霧の効果が恐怖へとつながる一作。
エドガー・アラン・ポーの怪奇幻想小説3作を映像化した、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ3監督によるフランス、イタリア合作のオムニバス映画。
その3作目の「悪魔の首飾り」。フェリーニのすべての特色が恐怖映画に使用されるとどうなるか、という典型のような映画。テレンス・スタンプ演ずる人生落ちぶれつつある有名役者が球をもった悪魔の少女の幻影を見る。最後には霧に満ちる深夜、行き止まりの道へ車ごと突っ込み命を立つ。この霧のシーン、少女の顔の恐ろしさが相まって、なんとも恐怖感を導く効果であった。

スリーピー・ホロウ(1999)大好きなジョニー・デップ主演のティム・バートン監督映画の舞台も霧に満ちていた。ティム・バートンならではのブラックユーモアが混ざったゴシックホラーである。


霧の持つ幻想の美しさとその背後に隠れる未知なるものへの恐怖感。
奥深い森林や山道を被う霧景色。
ドラキュラやフランケンシュタイン、切り裂きジャックやジギル氏とハイド。
これらに霧はつきものである。

自然の現象と人間のある種の心理反応とのつながりは実に面白いものである。
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by jamartetrusco | 2006-11-03 02:17 | Natura (自然)