トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2006年 12月 15日

Auguri

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2007年は亥の年なので、少し違うが豚の絵はがき。
豚をよく食べるトスカーナの人々。トスカーナのことわざである、Del Maiale non si butta via nullaー豚は捨てるところなどないーという言葉からもわかるように豚のすべてを食するのである。豚さんも本望であろう。
わが町にある1729年開業の古い肉屋さんMacelleria Falorniが印刷している
ポストカードであるのですべて豚付きのユーモラスなデザイン。アンティックな挿絵を使用しているのでどこか趣きがある。

ということで今年の締めはこれにて。


明日から1月11日まで日本です。
また来年お目にかかります。皆様どうぞ良いお年を!。
Buon Natale e Felicissimo Anno Nuovo!

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by jamartetrusco | 2006-12-15 18:37 | Vita (人生)
2006年 12月 15日

12月13日の夕方ーフィレンツェにて

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昨日は朝から大切な用事でフィレンツェへ。
一日中フィレンツェの町で過ごした珍しい日。
クリスマス直前のフィレンツェはクリスマスの照明装飾がことさら美しい。
滝の流れのような光。見上げて思っているだけであいにく画像には残さなかった。
残っているのはクリスマスツリー、イタリア語ではAlbero di Nataleのポツンとした姿。
フィレンツェ中心部のリプブリカ広場に設置されている。前を歩く人の靴の白さだけがやけに目立っている。
アレと娘と夕方の光を楽しもうと待ち合わせた広場である。
かなり冷え込んできて石のベンチが肌まで沁み入る。

クリスマス前のフィレンツェはプレゼントを探しまわる人々に満ちている。なんとなくザワザワとした目抜き通り。
その目抜き通りにあるブティック、Luisaは昔からフィレンツェにしては奇抜でアーティスティックなショーウィンドーで有名である。アレも若き日にこのショーウィンドーの背景の絵を描いたと言っていた。

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そんなわけでフィレンツェを訪れるときに必ず前を通る店。
今回は村上隆ばりの大小さまざまなミッキーマウスのような人形が飾られていた。なんとなくかわいらしなとじっと見て写真を撮っていたら、横から中年の女性が”Che carino!"(まあなんとかわいい!)と語りかけてきた。
まわりの雑踏の人々の動きとは全く関係なしにこのショーウィンドーを見て一言二言かわしたこのご夫人との会話。イタリアで一番自由に自身を表現し、外国人の区別なく話をできるのは高齢のご夫人やお爺さんである。少なくともわたしの僅かな体験ではそうだ。

日常の中の超現実的なひと時であった。
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by jamartetrusco | 2006-12-15 04:47 | Paese (土地柄)
2006年 12月 12日

オリーブの根株ー変貌の過程

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先日散歩をして見つけたオリーブの根っ子。85年の寒波でトスカーナのオリーブの木が大被害に遭ったのだが、そのときに死んでしまったオリーブの木の名残りである根株が未だにオリーブ畑付近に掘り出されたままほっぽらかされていることがある。最近ではそれでもだいぶ見なくなってきた。大体の場合は暖炉の薪になったりするので見つけた場合は即、頂いてくる。もちろんアレの彫刻の素材である。かなり重いので近くまで車で行って取ってくる。
土のついた部分には小さな雑草も生えている。決して美しい色や形体とは言えないのだが、古木の年輪を感じさせて存在感大である。

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まずは持ち帰ったそのままの姿。
どっしりと象の足のような色合いと形。かなり大きな根っ子である。まずは黒い外皮を彫りそいでいく。ざくざくした部分は比較的簡単にはがれていく。
どんどん積もっていく屑。

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少しきれいになったところで一休み。ますます象足のようだ。

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また彫る。彫る。彫る。

案の定ビルバは待ってましたとばかり周りをうろうろ。落ち着かない。

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かなり迫力のあるフォルムである。人群か、怪物か。
角度によって様々に見える形。
下のオリーブらしい生地が出てくるにはだいぶかかりそうだ。

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日が照っている内は12月でもこうしてテラスで仕事ができるのは有り難い。

いつからか畑端にて土と生き、炎とともに灰と化す運命にあったこのオリーブの根株。
朽ちたとは言え生命力の強さを常に感じさせるオリーブの木。それは長い間生き続けた年輪をその歪曲した木のムーブメントに体現しているからだろう。
人の手によってまたあらたに変貌をとげる日が待ち遠しい。
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by jamartetrusco | 2006-12-12 00:10 | Arte di Ale(アレのアート)
2006年 12月 10日

聖母受胎の日ーPresepio

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12月8日はイタリアの祝日、Immacolata Concezione というカトリックの教義でいわゆる「聖母受胎」の祭日である。原罪のない聖母マリアに御子が宿る日を祝う日である。伝統的にはこの日にクリスマスツリーやプレゼピオーpresepioーを家に飾るのである。 プレゼピオというのはキリスト降誕を表した模型であり、一般には小さな人形を使って馬小屋で生まれるイエズスを囲んで聖母マリア、ヨセフ、そしてろばや牛や羊飼いが集まり誕生を祝う風景を表すものである。
凝ったものでは夜明けから夕暮れまでの光の移り変わりまで再現し、風俗画のように生活し営む人々の様子も再現する。家や山野原の効果も取り入れ、子供達にはわくわくするような小さな町の模型である。

Presepioの言葉はラテン語のpraesaepeで意味は馬槽のこと。赤子のキリストが眠る馬槽である。カトリックの国ではもともとこのプレゼピオがNatale(クリスマス)の装飾として一般的であったが、最近では町や家庭の装飾にもクリスマスツリーが圧倒的に増えている。まだ伝統的な南イタリアではプレゼピオを飾るところが多い。
ナポリのプレゼピオは特に18世紀以来その職人芸で有名である。クリスマス前のこの時期、町のSan Gregorio Armeno通りはプレゼピオの人形を売るスタンドで溢れる。プレゼピオの伝統を見るならここが一番であろう。

このプレゼピオの歴史を辿ってみると実は以外と古くエトルリア時代まで遡る。もともと亡き先祖を象った蝋かテラコッタでできたsigillum(シンボルや画像の意)と呼ばれる人物像を家の祭壇に置いて家族の安泰と繁栄を願うという風習から生まれたらしい。そしてNatale(クリスマス)が近づくと子供達が家長の家に集まり、この像を磨いておのおの好きなように田園風景を表した囲いに置く。そしてその前に食物とワインを入れた小鉢を置いて家族全員で祈りを捧げる。そして次の朝この小鉢に先祖からの贈り物である菓子やおもちゃが置かれている。
ローマ時代になってカトリック宗教がこの祭りを自分たちの教義に置き換えて今のクリスマスの祭事となったということである。
こうしてみるとわれわれ日本人の仏壇にご先祖さまの位牌を置き、おもりものを捧げ祈る、という風習はほぼエトルリアのそれと同じであることがわかって面白い。
要するに人間の本能として先祖を守り神として奉りすべての安泰を祈るというのが自然の摂理であり、宗教はその上にかぶさっているだけなのであろう。

イエズス降誕の後1月6日にイタリアではさらにEpifaniaという祭りがある。キリスト誕生を祝って東方から3賢人が見舞うその日である。エピファニアの晩には魔女のような風体の老婆Befanaが良い子の靴下一杯にお菓子を贈り、悪い子には炭(炭の形をした菓子)を贈るのである。クリスマスの贈り物を靴下に入れておくという風習も実はここから来たのであろう。世界の多くのキリスト教国ではこのふたつの祭りがひとつのなってクリスマスとされている。しかしカトリック本国イタリアではNataleとBefanaは別物である。24日の晩と5日の晩の2度にわけで贈り物を心待ちにするイタリアの子供達は幸せである。
子供達なら皆知っているこんな歌も残っている。

La Befana vien di notte                           
con le scarpe tutte rotte                         
col vestito alla "romana"                         
viva viva la Befana !!                             
Porta cenere e carboni                            
ai bambini cattivoni                                 
ai bambini belli e buoni                              
porta chicchi e tanti doni !
 ベファーナは夜やってくる。
 靴はぼろぼろ。
 ローマ風の装いで。
 万歳,万歳、ベファーナ!
 悪い子には灰と炭を、
 良い子には
 たくさんのお菓子と贈り物を!

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さて我が家は折衷派で、通常クリスマス・ツリーもプレゼピオとも飾ってしまう。ツリーの華やかさはクリスマスの象徴として捨てがたいし、小さい頃から我が家でもツリーを飾るのは恒例であったのでその伝統が生きている。イタリアに来てからはアレの小さい頃から使っていたプレゼピオがあり娘が生まれてからはプレゼピオを飾ることも習慣になってきた。自分たちで作っていく生誕の風景は子供心に訴える何かがある。

今年は年末年始と日本に帰るのでツリーは飾れない、ということで何も飾らないのではやはりどこか淋しいのでプレゼピオだけ飾ることにした。
場所がないので、小さな台の上、やや手狭であるが、ありったけの人物や動物達をのせた。

本来は赤子イエズスは24日の深夜を過ぎてから置くのがしきたりである。教会などのプレゼピイオはすべてそうだ。

光が灯るといよいよクリスマス季節の幕開けである。

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by jamartetrusco | 2006-12-10 00:03 | Paese (土地柄)
2006年 12月 08日

行方不明のフラ・アンジェリコ再発見

ルネンサンス美術の愛好者であれば興味津々の最近のビッグニュース。

15世紀のドメニコ派の僧侶であり画家であったフラ・アンジェリコ(1395〜1455)。フィレンツェ北部のムジェロ地域のヴィッキョで生まれた。その地にはフラ・アンジェリコの生家もある。イタリアでは宗教画を描いたことからBeato Angelico (至福のアンジェリコ)という名前で知られる。
フィレンツェのドメニコ派修道院跡のサン・マルコ美術館は有名である。僧侶の各小部屋に描かれたキリスト生涯のフレスコ画はアンジェリコの晩年の筆、特に「受胎告知」の美しさは天上のものである。この修道院には後にフィレンツェでの宗教改革にて怒濤の波を引き起こしたサボナローラ僧も在した。

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さてフィレンツェ・ルネサンス黄金時代の立役者であるコシモ・ディ・メディチ(コシモ大公)のために1430年終わりから40年初めにかけてフラ・アンジェリコが制作した祭壇画があり、聖母子像の中心画に伴って、ドメニコ派の聖人が金ぱくを背景に描かれた8枚のテンペラ画パネルがあった。制作から約400年後、ナポレオン戦争時代にこの祭壇画は破壊され、ばらばらとなり、そしてパネル画は散乱してしまった。戦争が美術品の略奪や破壊に必ず貢献するというのは今も昔も同じだ。その内6枚の存在はすでに確認されていたが、残りの2枚は未だに行方不明であった。

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ところがその2枚が今年になって再発見された。イギリスのオックスフォード州に住む、元美術館の写本の学芸員のご夫人の自宅の寝室の壁にひっそりと飾られていたのである。彼女の父親が美術収集家で60年代に数100ポンドにて購入したものだそうだ。その後ずっとこの家に眠っていたのだが、最近になって高齢になった彼女が手元の絵画コレクションの価値を鑑定してもらうにあたってこの絵を見せた専門家が「もしかして失われたフラ・アンジェリコのパネル画では?」と追求にあたったのである。

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すでに発見されている6枚と同サイズで同手法、ポプラの木版上のテンペラ画。主題もドメニコ派の聖人である。この専門家の興奮は大変なものだったらしい。
イタリアルネサンス絵画の専門家数人の意見も仰いだ上でこの2枚が本物であるということを確認し、この11月に最終的にこの旨を公にした。 このご夫人あいにく発見後亡くなってしまうのだが、家族は今まで当たり前のように見ていた絵を持つ手が震えたと言う。

今後この絵はどうなるのだろう。他の6枚はどこにあるのだろう。皆個人の持ち物になっているのか。おそらく競売にかけられまた高値で落札され世界のどこかのお金持ちの家に置かれることになるのだろう。本筋を通すならサンマルコ美術館に戻されることが最良であろうが。

お宝が家に眠っていたというニュースがここのところ相次ぐのだが、さて我が家には何か眠っていないかな、なんて言わずもがなのことを考えてしまう。
それにしてもこんな素敵な小品を寝室に飾って密かに楽しみたいものだ。
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by jamartetrusco | 2006-12-08 20:42 | Arte (芸術)
2006年 12月 08日

今年のTurner Prize 受賞者を見て

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英国にて1984年より存続する現代美術家のための賞ターナー・プライズ。
19世紀半ばの画家ターナーの名前が現存し活躍するアーティストに捧げられる賞の名称というのは不思議に思われるかもしれないが、ターナー自身、彼の時代にはその描写法から異端の画家としてみなされていたという事実から、ある時代を先行する作家を選んで与えられる賞という意味合いを持っている。最近では厳密にイギリス人、またはイギリス在住の50歳以下の作家で過去1年間を通じて優れた展覧会、または他の形式での作品呈示を試みた作家に与えられる賞である。そして最終候補者4〜5人の中から1人選ばれる仕組み。この最終候補者はテート・ブリテン内にて選考の前にそれぞれ作品のプレゼンテーションをする。その作品如何によっても審査員の判断は変わってくるということもあり得る。

英国においてはこのターナー賞を獲得するということは現代作家としての名を確立する登竜門のようなものであり、現在活躍中の作家の多くがこの賞の受賞者である。古くはマルコム.モーリー、ハワード・ホッジキン、さらにギルバート&ジョージ、リチャード・ロング、トニー・クラッグ、リチャード・ロング、アニシュ・カプール、ダミアン・ハーストといった今では英国を代表する現代作家が受賞者リストに挙げられる。 2003年にはチャップマン・ブラザーズをしのいで磁器の壷に風刺的な図画を描くグレイソン・ペリーが受賞し、焼き物を使った作家の初めての受賞ということで工芸界は湧いた。

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さて今年の受賞式は、この12月4日にテート・ブリテンにて行われたばかり。久々の女性作家、Tomma Abts (トーマ・アッツと発音するのか)の受賞となった。2000年以来英国在住の外国人作家にも門戸が開けられたため、彼女はドイツ生まれである。過去12年間ロンドンに住み制作している作家である。そして興味深かったのは彼女の表現は驚くべきほど古風で絵画的であることだ。彼女の描く絵はすべてサイズが決まっている。48 x 38cmのカンバス。そしてまったく絵画を学ぶエリートコースを歩んでいない。ほとんど独学で今に至っている。
描くのは幾何学的な形をまるで3次元のように見せる。それでいて完璧に平面である。
そして見てるうちにその形と色に魅了される。まるで催眠術にかかったかのように。
もうすでに構成主義やバウハウスなどのモダニズムの世界で到達したかのような表現のように見えて、妙に新しい。奇抜、特異、手法が斬新、あっと驚かせる、コンセプチュアル、そしてビデオを使った現代テクノロジーというようなものがアートの傾向として捉えられてもう長かった。そのような傾向の中で、まるで時代錯誤のように、伝統的な小さいカンバスに描かれた抽象画。そこに新鮮味を審査員が覚えたのは偶然ではあるまい。小さいカンバスの持つ魔力に惹き付けられそして魅了されたに違いない。

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この作家の受賞でなんとなく勇気が生まれた。というのもアレもどちらかと言うと彼女のような作家であるからだ。特に目をみはるような経歴はなく、ただこつこつと絵画を自分の信念のもとに描き続ける。そして彼女も絵を描く際には平面台に置いて制作するそうだ。これもアレと同じである。こういった地味でありながら自身の世界を築き上げる作家がターナープライズを受賞したこと自体に次世代の表現の確認をみるのである。ありとあらゆる表現を試み、もうどんな表現も陳腐になり、アートの飽食化を感じるこの表現の世界に対して、古風でありながら自身の小さい世界を追求する一画家の存在の大切さを再確認したのではないか。
そしてアレもまだまだ希望を捨てられない、と端から常に応戦するのみである。


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by jamartetrusco | 2006-12-08 04:41 | Arte (芸術)
2006年 12月 06日

彫刻の庭 構想

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ここのところの人と人との輪を再発見させてくれたのは最近になって変更した銀行の支店長。
今まで使っていた銀行があまりにもサービスが悪く手数料は高く、そして入った瞬間に気が滅入る空間。ある場所に漂う「気」というのも実に大切なような気がする。それは中にいる人との関連もあるのだろう。自分に良いオーラを放ってこない空間や人は幸運を呼ぶはずもないであろう。

そしてついに先月銀行を変えた。地元の銀行という感じであまり大規模でないし、支店も少ないので使っていなかったのだが、以前からこの銀行の支店長のことが気になっていた。なんとなく楽しい雰囲気で感じが良い。であるから変更はこの支店長のいるこの銀行へ、と即決。

入った瞬間にどこか空気が違う。皆が楽しそうである。なぜならこの支店長が楽しそうなのである。それにつられて従業員も皆リラックスしている。なんの変哲もない銀行の空間なのだが、雰囲気が明るい。以前の銀行とは大違い。

そしてわかったのは、この支店長、なんと最近では趣味であった絵の制作に本格的に挑み、展覧会も行っている。そしてグレーベから少し丘に上がったところにある将来は移り住む予定の田舎家に彫刻の庭を作りたいという。心が即通う人と久々に出会った。

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アレも昔から庭を使った制作というのに興味があったので、すぐに意気統合。今のところトスカーナのベテラン彫刻家に作品を寄贈してもらったものが1点設置されている。月を象徴するかのような作品であるので、太陽から月への行程、といった宇宙自然の営みを表した庭にしたい、と言う。竜安寺のような石庭が好きだと言うこの支店長。
頭の中にはいろいろな構想が浮かんでくる。


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取りあえず場所を拝見した。グレーベから上がっていくこと10分。キャンティ山の中腹である。
手つかずの森林や小道や丘陵。エトルリアの息吹を感じる場所。

ここでいったいどんな庭を作ることができるか。
アレの中にあるフィレンツェ、エトルリアと京都の美がどのように融合できるだろう。
これからの展開を考えるだけでもわくわくする課題である。

先日書いたファジャーニとの久々の再会も実はこの銀行内でのこと。
この支店長との出会いが私たちの人生の行程に暖かい光をともしてくれたような気がする。

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by jamartetrusco | 2006-12-06 20:00 | Vita (人生)
2006年 12月 05日

ホックニーもどき

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しなやかなる動きは瞬時の空気を捕まえそして次の姿へと変貌する。
スローモーションフィルムを見るように
ビルバの美しい肢体で遊んでみた。

猫、そして猫、これでもか猫、またまた猫。
続ねこ、続々ねこ、まだまだ猫。


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デヴィッド・ホックニーは一時期写真による肖像画を多く制作した。
1982年、ポラロイドカメラで撮った写真によるコンポジション。
被写体を様々なアングルより撮ったポラロイドの写真を白い枠組を残したまま並べて
一枚の大きな人物像を作り上げる。
並列している画像はぴったり合っているわけではないのに、単に一枚の写真として
撮った肖像写真より、ずっと躍動感があり、そして内面を映し出し、
また空間を感じさせる。
そこにあるのは単なる写真ではなく写真という手段を使ったひとつの絵画であるようだ。


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他にも普通のプリント写真を使ってある動きのある場面を再現する手法も制作しているが
わたしはこのポラロイドのコンポジションが妙に好きである。
白の枠がモザイクのような面白さを生み出しているせいかもしれない。
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by jamartetrusco | 2006-12-05 21:01 | Natura (自然)
2006年 12月 03日

古き知己との再会

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Panzano in Chiantiはグレーベから9キロ程シエナよりにある500メートルほど高台にそびえる古い城塞の町。
周囲は誰が許可するのか甚だ嘆かわしいことだが、見るも安普請の新興住宅群が続々と建ってしまっているが、歴史的地区(Centro Storico)は昔のままの趣きを残して美しい。そしてこの町の眼下には通称La Conca d’Oro(黄金盆地)と呼ばれるキャンティワインの生産に最適とされる地形、地質、日当りのある葡萄畑が全面に広がっている。夏は観光客に満ち、アグリツーリズモの宿も多い。
フィレンツェ出身のデザイナー、ロベルト・カヴァッリもこの辺りに屋敷を持つと聞く。

30年程昔、このキャンティ地域一帯がまだ今のようなワインブームやアグリツーリズモなどなく、石造りの田舎家も二束三文で買えた時代に、外国人(主にドイツ人)やナポリの人々が多く入植してきてこの地近辺に住み出した。アーティストや音楽家、作家などなど芸術に携わる人々やこの地に移り、古びた家を自身で改装して、なんとか職をなすような気骨に満ちた人々が多かった。すべてにおいてarte d’arrangiarsi —うまくやり抜ける技—に長けているナポリの人たちはここにて様々な仕事につき、この地にいる外国人と出会う。ナポリ人と外国人とのカップルを私たちも数多く知っている。よそ者はよそ者同士理解しやすく交流しやすい、という典型が今でも生きるキャンティ地方。地元の人対よそ者の構図はこの地ではしっかりと根ざしていて、よそ者である私も主人もこれは肌で実体験してきた。

パンツァーノはそんなわけで古き中心地区にはナポリの人の経営するレストラン、ワインバー、知り合いのナポリ人画家カルミネのスタジオ兼店、ドイツ人女性の友人カーリンの経営する不動産屋Chianti & More、オランダ人の女性陶芸家の工房兼店など国際色豊かである。そしてこの辺りではもう主である手作りの革靴の店を始め経営するファジャーニ(Carlo Fagiani)、そしてかなり前からキャンティに住み、その後点々と場所を変えながら再びパンツァーノに移り住んでいるドイツ人の画家ニコラウス(Heinrich Nicolaus)がいる。

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このファジャーニとニコラウスは私たちも12年前にキャンティに移り住んで以来知己があり、皆多かれ少なかれアートに足をつっこんでいるのでどこか互いの行動が気になりながらも、あまり深入りのしない友人であった。そんな彼が画家ニコラウスと監修することとなったアートスペース、「リモナイア」。
レモンの植木を保存するために使われていた建物のことをイタリアではLimonaiaと呼び、大きな屋敷などには必ず存在している。大きさはその屋敷に見合って大小あるが、我が大家さんなどは小型アパートに改装して人に貸している。そして去年パンツァーノのリモナイアはトスカーナ州によって展示空間と成り代わった。去年の7月にはFesta degli Artisti (アーティスト祭り)を企画したという。リモナイアの前の庭にてアーティストを含める大勢を招いての夕食会のオープニング、3日間の祭りであったそうだ。現在はTusciaElecta2006の一貫の作家のグループ展が開催されていた。

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つい先日アレはファジャーニとたまたま再会した。
ファジャーニが靴の店を開店し成功し始めた2001年の3月、私と娘は京都に行っており、一人こちらで法然院の4月末の展覧会のために作品制作中のアレのスタジオを訪れ作品を見ていったいきさつもあり、ファジャーニからこのリモナイアの話があり、アレに展覧会を持ちかけて来た。
まるで偶然とは思えない新たなる再会。昨日スペースを見に行ったが、ちょうどニコラウスも居て彼のスタジオ兼自宅も訪れた。入り口にはMOMAPとあった。Museum of Modern Art Panzano. 彼の洒落が感じられる。

来年はこのリモナイアにてなにか出来そうだ。人と人とのつながり、そしてそこから生まれる「何か」、人生はそれしかないように思う。


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by jamartetrusco | 2006-12-03 19:03 | Vita (人生)
2006年 12月 01日

ルネッサンス期イタリアの人々の家とは?

At Home in Renaissance Italy, ルネサンス期のイタリアの住まい展。まだまだ続くロンドンで観た展覧会の話。
これはテーマが異色である。あるようでない展覧会だろう。ルネッサンスに生きた人々の生活空間、風俗をトスカーナ地方ととヴェネト地方いう当時の2大都市のある地域に焦点をあてて見せている。当時の人々がどのように生き、どのように楽しんでいたか、そして家の仕組みはどうあったかなどが具体的にわかる。とは言え今でも残っているのは裕福な家族の謳歌した空間や美術に限るのでかなり限られた図であるのだが。
興味深いのはこの当時のヨーロッパはまだいわゆるFine Artと呼ばれる純粋美術と装飾美術、或は工芸の区別がなかったことである。日本は未だにこの区別がなく故に「工芸」と呼ばれる芸術性の高い「用」の機能のある美術がひとつのしっかりした分野として存在している。工芸という言葉は翻訳するのは不可能である。英語でいうCraftsというと語弊が出てくるし、またDecorative Art(装飾美術)でもないのである。

ルネサンス当時のイタリアもまたしかりである。著名な画家や彫刻家も用の器や装飾を制作したり、家を飾る持ち物一つでその家族の社会的位置がわかるようなオブジェの神聖化があった。裕福な家族や貴族の家に入ると絵画や彫刻に限らず、ベッド、天井、壁の装飾や細工、家具を飾る絵やデザイン、絨毯や身支度をするための化粧箱ひとつにしてもひとつの美術品としての価値を持っていた。工芸品という言葉がまさに当てはまる美術の範疇がしっかりと存在していたようである。

さてイタリア語でいうCasaの定義。Casaは家屋としての「家」と家族、家庭としての「家」の両義を持ち合わせた言葉である。故にCasaは15,6世紀のイタリアにおいて家族の、社会の、活動の中心的位置を占めた。ある程度の家にはかならず、Sala(広間)とCamera(寝室)、Cucina(キッチン)そしてScrittoio (書斎)があった。

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Salaでは客人を招いての食事会が開かれたり、音楽会が開かれたり、外からの客を通す公な場所であった。そして家族の地位を外に誇示する場所でもあったので装飾もそれ相応のものである。家紋を施した暖炉や壁を飾るタペストリーや絵など家族の地位の象徴である。そして宴会の際には使用する食器や銀器なども象徴のひとつであろう。キリストが初めて行った奇跡の舞台「カナの婚姻」の絵はヴェネチアの屋敷である。水をワインに変えた新約聖書にある逸話である。ヴェネチアの当時の屋敷での披露宴の様子がわかる風俗画としての興味がわく絵だ。

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反対にCameraは家族身内の者のみのなごむ場所。寝台以外にもそこで洗ったり、着替えたり、くつろいだり、刺繍をしたり、というプライベートな空間である。そして出産や死というドラマが繰り広げられるのもこの場所である。
ヴェネチアの15世紀の画家、カルパッチョ作「聖母マリアの誕生」の絵をみるとその当時のCameraの様子がよくわかる。2匹のウサギは多産、繁殖の象徴であろう。

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次にCucina. キッチンは通常Salaに近くないところにある。料理のにおいがあまり匂ったり、また皿を準備する騒音など客人に聞かれては困るからだ。大体の場合煙突の煙がでやすい天井裏か地上階にあったらしい。
ヴィンチェンツォ・カンピのキッチン風景の絵は面白い。肉をその場でさばいたり、臼で何かを引くお祖母さんがいたり、パスタを今と同じように延ばしている女性も。そしてユーモラスなのは腸を巡って争う猫と犬の表情。この猫たいした迫力である。猫が勝ち目あり、というのが一目瞭然である。
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最後に書斎。ここは当時は男性の領域であった。書庫や収集品などが置かれていた自身の知識や興味の宝庫。15世紀のシチリア、メッシーナ生まれの画家、アントネッロ・ダ・メッシーナの「書斎の聖ヒエロニム」、大好きな絵である。フラマン派の画家ヤン・ファン・アイクやヴェネチアのジョバンニ・ベリーニなどの影響色濃い作品であるが、書斎を飾るエキゾチックな動物やオブジェの数々。まるで博物館の展示室のように明快に並べてある室内である。その室内がまたさらなる建築の中に置かれているという建築を表すために描かれたようなシュールさがある絵だ。そして私自身もこんな自分の好きな本や物を集めた書斎がほしい。
中に入ればそこは自分だけの世界、なんていうのは実に魅力的である。
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by jamartetrusco | 2006-12-01 04:27 | Paese (土地柄)