<   2007年 02月 ( 8 )   > この月の画像一覧


2007年 02月 26日

キクラデスの小像


f0097102_122081.jpg


キクラデス文明とは紀元前3200年から紀元前2000年にかけてエーゲ海の220にもおよぶキクラデス諸島一体に栄えた文明である。この諸島で良質な白大理石が豊富にとれたらしい。
書記が残っていないのであまり詳しくわかっていないが、この文明が残した大切な遺産は大理石でできた女性の小像である。

初めてこのキクラデスの小像の実物に出会ったのは大英博物館だったか。その後他の国の美術館や博物館に行く度にこのキクラデスを探した。
白い大理石の柔らかな感触の小さな女性の立像。というより宙に浮いているような超然とした様子である。いずれも腕を前で組んでやや上向き加減に頭を持ち上げながらはんなりと佇んでいる。そのフォルムの簡素さと抽象性に心打たれ、それ以来このキクラデスの小像はわたしを魅了してきた。その後に栄えるギリシャ古典の均等のとれた彫刻や左右対称の端正な壷などを前にしては味わうことのできない「何か」を感じるのである。
このやや上向きかげんの姿から祈祷の意味を持つものともされ、または豊穣のシンポルである女神とも考えられている。そういえばイースター島の巨大頭像の上向きの角度に似ているかもしれない。

f0097102_1221981.jpg


キクラデス像のエッセンスは実に様々な近代の芸術作品に認めることができる。ブランクーシやピカソ、モジリアニまたハンス・アルプなど近代の作家の彫刻にもそのの息吹が感じられる。
(ブランクーシについては後日触れたい)
そして陶芸においてはドイツ生まれであるが第二次大戦中にイギリスに移り、やはり似た運命にあるオーストリア生まれのルーシー・リーとともに近代英国の陶芸作家の第一人者とされるハンス・コパーの陶彫にはキクラデス像の本質がそのまま宿っているようである。
このことを指摘するのは別に私に始まったことではなく事実、コパーのこの手の作品はcycladic-「キクラデス」ーと呼ばれている。


f0097102_1225355.jpg



今回訪れた英国ノリッジのイースト・アングリア大学内のセンスベリー・視覚美術センターのコレクションにも優れたキクラデスの像の一群に出会うことができた。そして珍しい大理石の壷にも。やや歪んだような気負いのない美しい形に見とれる。


f0097102_1314857.jpg



サー・ロバートとレイディー・リザ・センスベリー夫妻が長年に渡って集めてきた、日本美術、アフリカ、アジア、オセアニア、アメリカ美術、20世紀絵画、彫刻、陶芸などの質の高いコレクションは現在ではEA大学に寄贈され、故に幸運にも大学敷地内のモダンな建築物内にその膨大なコレクションを展観することができる。サー・ロバートはイギリスを訪れたことがある方なら目にしたことのあるだろう創業1869年のスーパーマーケット・チェーン、センスベリーズ(Sainsbury's)の子孫である。

ご夫婦の美術への拘り、好みが一目瞭然にわかるコレクションの作品群。キクラデスの像はやはりあるべくしてあった。それも数多く。5000年以上も前に生まれたこの小さな像の前でしばし時の流れるのを忘れ遥かなるエーゲ海へ想いを馳せた。
偉大なるキクラデス。

f0097102_1223661.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2007-02-26 01:46 | Arte (芸術)
2007年 02月 24日

COLLECT 現代工芸アートフェア

f0097102_2355511.jpg


2004年来今年で4回目の国際工芸アートフェア、COLLECT。私の訪問も今年で4回目である。1971年に設立された英国の国立工芸促進機関であるクラフツ・カウンシルの主催である。クラフツ・カウンシルは国内の工芸家に関しての情報提供、作家の活動促進、援助を目指すとともに、国内外の工芸分野の教育的、文化的交流を展覧会などを通して行ってきた。

COLLECTという名称からも察せられるように、このフェアの趣旨は工芸の芸術的価値を再確認し、未来の工芸収集家を育てることによって工芸分野全体に活力を注入することにある。いわゆるファイン・アート(純粋美術)に比べてどうしてもマイナーに捉えられてきた工芸のイメージを高めようという目的である。

英国にはアーツ・アンド・クラフツ運動の提唱者のウィリアム・モリスやジョン・ラスキン、また産業デザイナーの草分け的存在のクリストファー・ドレッサーなど装飾美術の世界で思想的な構築をなした重要人物が存在し、またモダン・デザイン、建築の巨匠マッキントッシュ(スコットランド人であるが)を生んだ国でもある。同時に浜田庄司とともに民芸運動の推進者である陶芸家、思想家のバーナード・リーチがいる。英国のスタジオ・ポターの先駆的存在であるリーチは1920年代にセント・アイブスに形成された芸術共同体の主要メンバーであったが、その作家グループの中には彫刻家のバーバラ・ヘップワースや画家のベン・ニコルソンなどもいた。工芸と純粋美術の融合の場となり得る機会であっただろう。

このように19世紀半ば以来、思想の裏付けのある美術と工芸の歩み寄りが活発に展開されていたにも関わらず、近来のイギリスで"Crafts", 「クラフツ」という言葉から浮かぶイメージはマイナー・アート(メイジャー・アートに対して副次的なアート)のそれである。
クラフツというと安価な日常雑器や趣味の手芸といった感が強く、日本の伝統にあるひとつのしっかりした一ジャンルである工芸への概念とは全く異なるものとして発展し、例えば絵画には1000ポンド出せるが、焼き物に50ポンド以上出すなんて考えられないという状況がかなり続いていたのである。そのような状況を打開すべく始められたのがこのCOLLECTである。

開催場所が国立の装飾美術、工芸、デザインのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館内であるというのも注目すべき点だ。国立の美術館の中で販売のあるフェアが開かれるというのは日本では考えられないことであろう。4年間の試みを通じて、美術館を訪れながらCOLLECTを観るというひとつの文化イベントとして定着しつつある。

参加ギャラリーをみると、イギリス以外には近間のスカンジナビアやオランダからの参加者が圧倒的である。作品はジュエリー、焼き物、ガラスが主流である。販売という件になると、今まで培ってきたお客をかかえる地元のギャラリーがやはり有利である。価格的には売れやすいのは100ポンドから500ポンドまで(円にすると感じとして20,000円から100,000円ほど)。

内容的に見ると、少数の作家の作品を展覧会の形式で展示するギャラリーは少なく、広く浅く、多数の作家の多数の種類の作品を集めた店に人々は集まる。作家の芸術性を紹介しようとしているギャラリーにはまだまだ厚い壁である。事実、ギャラリー作家の3人展のような見せ方をしていたオランダのギャラリー,Carla Kochは来年は参加しない、と言っていた。
これは、すでに工芸の収集家を育てようという本来の趣旨に沿ったギャラリーが減っていって、雑多なオブジェを売るギャラリーが優勢となる傾向を示している。ひとつの作家の作品をじっくり見せるという努力なしに工芸のイメージのレベルアップはないような気がするのだが。
過去長年に渡ってギャラリー作家をじっくりと育ててきたロンドンの代表的画廊Barrett & Marsden GalleryGalerie Bessonが2軒とも参加していない、というのもどこか納得のいくところであるし、またこのフェアの限界を示しているのかもしれない。

f0097102_2361633.jpg


しかし一方、自国の陶芸家を国際的に促進すべく設立された機関による「デンマーク近現代陶芸」を見せるスタンドもあり、これはひとつの興味深い展開である。焼き物の産地の多い日本からもこのような参加が可能であろうと思う。

f0097102_2363788.jpg


また代表する作家の作品色がはっきりしたギャラリー、Flowや日本の工芸を長く扱ってきたKatie Jones、彫刻の庭を運営し、繊細な日本独特の感性に裏付けられ草を使った作品を制作する日本人作家Kazuhito Takadoi氏の作品を扱うHanna Pescher Sculpture Gardenのスタンドも見逃せない。

f0097102_2472786.jpg


そのあり方に改善の余地など必要があるかもしれないが、このような試みは大変興味深く、また毎年続けることの努力とエネルギーは素晴らしい。そして毎回訪れる度に目を惹く作品との出会いもある。イギリスにおける工芸の促進ということにどれほど貢献するかはまだ未知の段階であるが、もう少し追い続けてみたいと思っている。
[PR]

by jamartetrusco | 2007-02-24 04:37 | Arte (芸術)
2007年 02月 11日

エトルリア人の宇宙観

ここのところエトルリア続きである。
エトルリア文明は神秘に満ちていることは以前も書いたことがある。
その文明がローマ帝国に吸収されて以来2000年経った今でもエトルリア人がどこかか来たのかはっきりしていないし、その言語の起源も解明していないのである。

その宗教、儀式、人生哲学などを知ると驚くほど超越していることがわかる。
エトルリア文明の研究者のRaymond Bloch氏によるとエトルリア人がギリシャやローマ人と明らかに異なるのは彼らが神や運命に対してそのまま身を任す、宇宙から与えられた運命には逆らわないという点である、とのことだ。その点においては主体ではなく受け身の姿勢である。
要するに流れる水に身を任す、自我を通さない、という哲学に通じるのである。その精神性は多分に東洋のそれに近い。

バチカン美術館蔵の腸卜師のブロンズ像
f0097102_19422092.jpg


彼らは身の回りの自然とその営みを「宇宙の大法則に従うものとして」見なしていた。
であるから自然の現象は宇宙ー神ーが人間の義務や未来の運命を示す指針であった。
故にエトルリアにはこの人間の行いのすべを予言するindovino(易者)やsacerdoto(司祭)が存在した。彼らは鳥の飛行をみて吉凶を占い、生け贄となった動物の肝臓を腸卜した。稲妻や雷鳴を読むことに長け、自然の驚異や災害を予言し、その恩恵を仰ぐことも防ぐこともできたのである。なんとも素晴らしい自然との共存ではないか。
こうしてみるとレオナルド・ダ・ヴィンチの人間の体は宇宙の仕組みを体現する、という概念もこの思想と相通じるものである。エトルリアの神秘を血に受け継ぐトスカーナ人ならではであろう。

今でも我々は空を仰ぎ、風の向きを感じ、鳥の往来を見ては季節や天候を確認する。
ナマズが動くと地震が来るとか、鼠が逃げ出したらその船は沈む、などという説もあながち嘘ではあるまい。


肝臓占いの図
f0097102_19361932.jpg




f0097102_1945799.jpg



追記:
明日から22日までお休みします。ロンドン、ミュンヘン、アムステルダム、パりの駆け足旅行。
帰宅後旅で見たもの何か書ければと思います。
[PR]

by jamartetrusco | 2007-02-11 20:23 | Storia (歴史)
2007年 02月 09日

撫牛と撫猪

f0097102_22182581.jpg



京都の北野天満宮、この季節はの芳香で境内が満ちる。また月一度の骨董市は訪れるのに楽しい。個人的には東寺の骨董市より規模もちょうど良く見やすいので好きだ。

さて、この境内には臥牛の像がいくつもある。自分の体調の悪い部分を撫で、そして牛の同じ箇所を触ると治療できるという開運縁起のこの牛を「撫牛」と呼ぶ。

f0097102_22184622.jpg


f0097102_22464423.jpg


石の種類の違いも牛の姿に変化を与えて面白い。臥した牛の像のあちこちを触っていく人々。我々もその例外にもれず今年の暮れに撫牛を触ってきた。特に頭をしっかり。そして恒例の大福梅も買って帰った。

天満宮は菅原道真を奉ることでも知られる。醍醐天皇反逆の罪で左遷され不遇なまま亡くなった雷神(天神)道真の怒りを沈めるために、火雷が祀神であった北野に建てられたのがこの天満宮である。天神と牛。水神である牛と雷神。雨(水)を降らす雷神、両者は切っても切れない深い関係である。

牛乗り天神の浮世絵
歌川芳虎 元治元年(1864)1月 大判2枚続
f0097102_2219276.jpg


撫牛信仰というのは江戸時代から盛んにあったそうで、東京では墨田公園にある牛嶋神社の撫牛が有名だ。本来は撫牛の小さな像を布団の上に置いて毎日撫でて吉事を願う風習だったそうである。

京都から飛んで遥かフィレンツェへ。
東は撫牛に対して西は撫猪。
今年は亥の年であるのでそれにちなんで。

f0097102_2219481.jpg


フィレンツェのLoggia del Mercato Nuovo, 別名Loggia del Porcellino (子豚のロッジャ)に鎮座するブロンズの猪像。この市場は今では観光客向けのみあげもの屋の巣となってしまったがその昔は絹や宝飾類などを売る市場であった。現在のレプブリカ広場がMercato Vecchioー「旧市場」と呼ばれていたので、それと区別するためにMercato Nuovoー「新市場」と名付けられていた。
その端にこのFontana del Porcellino (子豚の噴水)がある。呼び名は子豚と言うものの実際は猪である。
オリジナルは17世紀初期の彫刻家ピエトロ・タッカの作でピッティ美術館に保管されており、ここにあるのはレプリカである。オリジナルもしかしウフィツィ美術館蔵のヘレニズム期の大理石の銅像を模写したものだ。
この猪もやはり同じく縁起担ぎの意味を持ち、この猪を撫でると幸運を呼ぶと言われている。
故に、長年にわたり撫でられて鼻の上がつやつやである。この縁起担ぎを全うするためには鼻を撫でた後に猪の口の中に金貨を入れその行方を追わなければならない。この金貨が水が流れ落ちる排水穴の向こう側に落ちた時に初めて幸運がもたらされる、とのことである。
いかにも商人の栄えた町フィレンツェならではの話しである。
そういえば京都の祇園にある十日恵比寿神社もお金を恵比寿さまに向けて高々と投げる。

時代を変え国を変え、人間の考えること、信じること、皆似たるものなり。
やはり近しい動物神、自然神、先祖神、などへの信仰が人間にとっては真実であり、また健康的なのである、とつくづく思った。
そのような太古の信仰心が組織された宗教に変貌するとき戦争が起こりそして悲劇が始まるのでは、と思う。
[PR]

by jamartetrusco | 2007-02-09 22:29 | Paese (土地柄)
2007年 02月 07日

いつからか存在する石壁ーエトルリアを憶って

f0097102_21484585.jpg


この週末は目の覚めるような快晴の日々が続いた。今年は暖冬であるものの、なかなか外に出て散歩をする時間も気力もなかったのだが、久々に近間の丘を上った。
グレーベからキャンティの山を越えてValdarnoの方面に向かうこと、数キロ、山あいにある小さな集落Lucolena(ルコレーナ)を抜けてさらに行くとCastellacci(カステラッチ)という場所に辿り着く。
ここにワインをリットル売りする農家があるので初めて訪れてみたのだが、もうひとつの目的はこの小さな丘の上にある遺跡の発掘状況を見に行くためである。

キャンティ地方はエトルリア文明の遺跡が埋もれているとされる地域が点在しているが、はっきりとお墓の跡としてすでに公開されているところが2カ所ある。
ひとつはCastellina in Chianti(カステリーナ・イン・キャンティ)の紀元前6〜7世紀の墓跡。古墳状の墓で、入り口が四方にある。最近のレオナルド.ダヴィンチ研究家のCarlo Starnazzi(カルロ・スタルナッツィ)氏の論によるとルーブル美術館蔵のレオナルドによる霊廟草案としての素描がなんとこのカステリーナのエトルリアの墓跡に基づいているらしい。

f0097102_2355126.jpg


墓の発見された1507年の冬、レオナルドはちょうど兄弟との遺産相続問題のためフィレンツェを訪れており、その際この墓跡を訪れ念入りにスケッチした、というのである。あいにくこの素描が手元にないのでなんとも言えないのだが、この研究家によれば瓜二つ、そして当時のキャンティの風景を彷彿とさせる背景が描かれているらしい。

もうひとつはSan Casciano(サン・カッシャーノ)市の地域内にあるLa Tomba dell'Arciere(射手の墓) の墓跡。 「射手の墓」との命名はこの墓跡から弓矢などの武器が発見されたことに由来する。紀元前7世紀頃造られた墓であることがわかっている。1978年に農作業をしている際に偶然発見され、ただちに考古学管理局の監督のもとに発掘が始まった。墓の大きさは5、3メートル四方、高さは2メートル。形は古墳状、粘土状の石灰土(alberese)と砂岩(arenaria)の二種類の石質でできている。中からブロンズや陶器の欠片なども発見されたことから裕福な貴族家の墓であると推測された。

アレに言わせるとトスカーナにはあちこちにこのような巨大墓地、ネクロポリスーギリシャ語で「死者の町」を表すーがあり、大体の場合が古墳型の山をなすということ。故にこんもりと丸い古墳の形の丘をみるとその下にエトルリアの墓を想像するわけである。
このカステラッチの丘も例外にもれずまさに古墳型の丘。

f0097102_21501581.jpg


またこの丘からは他の遠方の山を一望できるのである。これもその時代の丘の上の中心地同士の連携を表す証拠として重要な要因である。例えばわが町モンテフィオラーレの一地点からフィレンツェ背後のエトルリアの町フィエーゾレが一望できるのである。


f0097102_21495884.jpg



この丘の頂上にはいつからかあるのか石積の壁の跡があり、最近の考古学発掘の対象となっている。今見る姿からはどの程度の規模かは想像するのはむずかしいが、確かにしっかりとした城壁の跡のような石垣、石壁の名残りが見て取れる。


f0097102_21503336.jpg



栗の木が林立する上り坂を上がって頂上に辿り着くと現れる石積の跡。そしてものによってはかなり大きい。いつのときからか、どっしりとここに座して時を経て来たのか、と恒久的な時の流れと同時に石の不朽な命を感じた。


f0097102_2149383.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2007-02-07 21:16 | Storia (歴史)
2007年 02月 05日

イタリア副首相兼文化大臣ルテッリに一言

f0097102_1921957.jpg


イタリアの左翼系新聞Repubblicaの金曜発売の付属雑誌Venerdi di Repubblicaに掲載されていた記事を読んでどうしても一言進言したい。
少し前からこの副首相は文化大臣の立場から国外に不法に売却された美術品について論議をかもしていた。話題の中心はロサンジェルスにある富豪ポール・ゲッティの収集品からなるゲッティ美術館所蔵品である46点のイタリアの美術品が不法に持ち出され売られた作品で、これらはイタリアに返却すべきである、との主張である。そしてこの雑誌の記事ではアメリカのゲッティ美術館の他、日本のMiho Museum、デンマークのビール会社のカールズバーグの持つコレクション美術館Ny Carlsberg Glyptotekにあるイタリアの美術品がいずれも不法出国売却されたもので、それに関しての追求を求めていることが書かれていた。

これらの美術品を不法に手に入れ売却していたのはイタリアの古美術商、ジャンフランコ・ベッキンーナ氏とジャコモ・メディチ氏の両名。日本の美術商が仲介となってMiho美術館に売ったらしい。記事の論調は作品の出所が疑わしいにも関わらず買ったこのMiho美術館を糺弾している。まるで悪者は美術館であるかのように。
しかしである、いかにこの作品が不法売却されたとは言え売ったのはイタリア人、そしてただで盗んできたわけではなかろう。


Miho Museumにいかれた方はおられるだろうか? 滋賀県の山中を上がっていったところに忽然と現れる美しい美術館である。もともとの財源が宗教団体であるということからやや違和感は感じるものの美術館の建築、運営そして展示企画などはなかなかである。一度訪問した際には常設品としてイタリアの古い美術品などがあるので、いったいどこから来たのやら、と多少疑問に思ったのは事実である。 しかし日本の美術館の多くがそうであるように、良い意味での一点豪華主義的な展示の効果により、観るものはじっくりと作品の価値を堪能することができる展示がされていた。作品が大事にされている、というのは一目瞭然である。

ここで、このルテッリ文化大臣(そしてこの記事を書いた記者に)に進言したい。
いったいイタリア内の美術館の膨大なコレクションがどれだけしっかりと管理され展示されているのか? どれほどの数の美術品が修復を待ちながら美術館の倉庫の埃の中に無造作に置き去りにされているか?
そしてどれだけの美術館の展示室の半分が閉鎖されコレクションの半分も観れない状態であるのか? 
さらにその展示たるやひどいもので、作品解説もままならず、教育的な意義をなさない展示である美術館がほとんどである。他の国の美術館を少しでも見て学ぼうとしないのか?

自国の余りある文化遺産の管理も十分にできていない状況の中、とるに足らないほんのわずかの不法に出国して売られた(それもしつこいようだが盗んだわけでなく買った!!のである)作品について問題にする時間やエネルギーが必要とは思えない。もちろん不法な形での美術品取引自体は許されるべき行為でなく、糺弾されるべきであるが、しかしゲッティ美術館にしろ、Miho美術館にしろ、それらの作品を大事に保管し展示し、アメリカや日本の興味ある人々に見せているのである。これらの作品が仮にイタリアに返却されたとして、どこに置くつもりなのか? 結局はまたどこかの美術館の倉庫の埃にまみれるだけであろう。

そして他の世界なだたる一流美術館の多くは過去の歴史上の略奪の結果今でこそ誇れる美術館のコレクションが築かれているのである。すべての国が自国の美術品を自国に返せと言い出したらどんなことになるか? 美術品はある歴史の中で場所を変え状況を変えながらも大事に保存され、そして観る人の目に触れる機会があることがなによりも重要であると思う。たとえ入手の仕方がどうであったにせよ。
[PR]

by jamartetrusco | 2007-02-05 19:29 | Paese (土地柄)
2007年 02月 03日

ライプツィッヒ派の台頭

ライプツィッヒというとまず想い起こすのは、18世紀半ばにはバッハが活躍し、メンデルゾーンやシューマンもその足跡を残し、またリヒャルト・ワーグナーの生地でもある音楽都市である。またライプツィッヒ大学と言えば15世紀はじめに創立したヨーロッパの中でも最も古い内の一つにあたる由緒ある大学である。このように音楽、学問など歴史深い町であると同時に、中世来、ヨーロッパのメッセの中心とも言える商業都市でもあった。第2次大戦中には爆撃によって町はひどく破壊され、戦後は旧東ドイツの産業都市となりかわった。そして1989年のベルリンの壁の倒壊の引き金となる「月曜日のデモ」はこの町から始まったのである。

f0097102_2021887.jpg

Neo Rauch


何故ライプツィッヒの話しをしているかというと今この地の現代アーティストの動きが世界の注目を浴びている。1960年ライプツィッヒ生まれのNeo Rauchが中心となってできたライプツィッヒ派の芸術家の動きが活発だ。他にはMatthias Weischer, David Schnell, Christoph RuckHäberle,Tim Eitelなど。
この芸術活動の舞台となっているのがもともと紡績工場であった19世紀にたてられた工場跡である。ベルリンの壁が崩壊して後、1990年代半ばには閉鎖され廃墟となっていた。
今ではこの広大な建物の半分に100人ほどのアーティストが入りスタジオを作った。その信憑性は確かでないが、ヨーロッパで物価が一番安い町ということも聞いた。無名の芸術家が活動する条件がそろっていたのであろう。
そしてこれらの中からより選った作家を見せる画廊も今ではできているという。その他、画材を売る店やワイン店、レストランも開店。ひとつのアート集合空間となりかわった。週末のアート・イベントなども企画していて、いわゆるドイツ国内外の注目のアートスポットであり、アメリカを筆頭に世界のコレクターが乗りつける未来のピカソ、ポロック探しの宝庫、50年代のニューヨーク、90年代のロンドンに取って代わる場所であると言われている。

f0097102_20214694.jpg

David Schnell


彼らの表現のどこが新鮮なのか。ひとつには旧東ドイツ政府下の抑圧から解放へーその中から生まれでるエネルギーの純粋さとその力強さの故であろう。そしてドイツ融合後もあまり芳しくなく失業率が高い旧東ドイツの都市の荒廃から来る反撥のエネルギー。素晴らしい芸術が生まれるのは満たされない状況からであることは歴史が証明している。



f0097102_20222457.jpg
Neo Rauch


作風からみると全体的にいかにもドイツ的なリアリズムに溢れたものである。あたかもドイツ表現主義のマックス・ベックマンやオットー・ディックスに通じるような。そこにルネ・マグリットのシュールリアリズムが混じり合ったような。Rauchの作風には特に15、16世紀の宗教画の画面構成の香りも感じられる。泥臭いほど土っぽく、同時に技術の上手さに裏打ちされた筆の絵の具の臭いがしてくるような生々しい表現という気がする。概念の勝った周到に計画されたようなスリックな表現とは正反対である。
アートの傾向なんてどうでも良いとは言うもののやはり今のアートの動向には自然と敏感になる。

f0097102_20225836.jpg
Christoph RuckHäberle


作家というのは一人一人は独立独歩で他人との協力など考えられない部分もあるが、このようなスタジオの供給、自分たちの制作を外に見せる公共の場というのを与えられるのが理想である。ギャラリーでの発表というのはすでに「選択される」必要があるという制約があるが、己のスタジオを解放して人に見てもらうというのは作家主体である。

このような閉鎖された工場跡などをアーティストに開放するというのはドイツが初めではなくヨーロッパのあちこちの町で起こっている現象である。芸術家を率先して助ける政策をとるオランダでは、早くからこういったシステムを導入している。ロンドンに住んでいた80年代前半、友人の画家がオランダだと政府からの助成でスタジオをただ同然で借りられるから、と行って引っ越して行った。またアムステルダムの友人の陶芸家はもう随分前から市の経営する団地のようなところにスタジオを持っている。そこはさまざまなメディアの作家達が多く住み、そして年にオープンスタジオなども企画しお互いに刺激し合いながらひとつのエネルギーを作りだしている。多分家賃も安いのだろうと思う。売れない芸術家にまず必要なのが安いスタジオであるのはどの町も同じだろう。

それにしてもイタリアにはこういうシステムがあるのだろうか。少なくともフィレンツェ付近に関しては聞いたこともない。自分たちも含めていったい作家達はどうやって生きているのだろう。スタジオだってそう簡単には借りられるはずもない。古い工場跡など結構あるのだが、ずっと閉まったままである。フィレンツェでは現代美術館を作ろうと長年もめていた敷地にはなんと数年前にCOOPというスーパーマーケットができていた。もうひとつの広大な敷地もしかりである。occupazioneといって古い非使用の建物を占拠する若者たちのたまり場だったのが、そこにできたのはやはり大COOP。せっかくの場所をもっと有意義に使うことはできなかったものか。

イタリアという土壌の保守性、あまりにも古い遺産に満ちていることーこのことが現代性への門戸を閉ざしているのだろうか。
過去の遺産を保持するのも大事だが、今生きる芸術家を育てなくてどうして未来の遺産を作りだせるのだろう。

このライプツィッヒ派の台頭の後は、フィレンツェ・ルネッサンスの新たなる再生、などということで、アレとともに芸術家集団、運動、空間を作れないものか。未だにフィレンツェの町の主導権を握っている15世紀の巨匠たちの影に埋もれている芸術家たちと協力して。過去を未来につなげるべく。思えば叶う、かな。

f0097102_202237.jpg

Matthias Weischer
[PR]

by jamartetrusco | 2007-02-03 20:41 | Arte (芸術)
2007年 02月 01日

自然の一部であるということ

久々に生きることについてアレと長々と話し合った夕べ。

今年はアレの展覧会もいくつか控えているし、またFirenze Magnifico Club 文化交流協会への取り組みもあるし、ということで頭が早くも活性化しているようである。気持ちはかなり前進志向。とは言え日常の経済的重荷は容赦なく毎日訪れる。

しかし最近思うのである。人間というのは何故にこんなに自ら作り上げた虚像のような経済体系、政治体系にがんじがらめになって右往左往しているのだろう、と。何故ここまで不自然、非自然な生き様をこの50年間展開してしまったのだろう。つい少し前までは自然を愛おしみ、田畑を耕し自分の周りでできたものを食べ、そして暑さも寒さもそのまま受け入れ、自然の一部として生きていたのに。
人間、この宇宙に生を受けて生まれたこと、故にこの広大な自然、宇宙の一員なのである。
それも必ずや死へと向かう逸脱不可能な路線に乗って。
こんな大事な生命を虚構の仕組みの中であっぷあっぷさせてしまうこと自体間違っていよう。
毎日自然を拝む、小さな周りの生命の動きに気をとめる、空の、山の、木々の色の変化などに感動する、自然への属性を肌に感じながら、周りを取り囲む大宇宙を拝み、己の中に小宇宙を見いだす。そして色づくときは色づき、枯れるときは枯れる。自然の法則に自分の体の、人生のメタボリズムを合わせていく。
そのように自然と宇宙を内包しながら生きて行ければ何も怖いものあるはずはないのである。お金なんてなんぞのもんよ、という気になるのである。

アレとともに娘ともども宇宙の見えない力に守られて上昇していくのみ、と新たに心決めた。


f0097102_2027574.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2007-02-01 20:31 | Vita (人生)