トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2007年 09月 26日

般若心経考

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般若心経というと日本人ならだれもが一度は唱えたことのあるお経であろう。
たった300字あまりの漢字に600巻に及ぶ大般若波羅蜜多経の神髄を表した大乗仏教の教典である。このお経に含まれる教義を完璧に聡ることはなかなか難しいと思うがこのお経を唱えるだけで心がどこか休まるのは確かである。
この世のすべては私も含めて幻であり、実体のないもの、「空」であり、それもまた頭で「空」と捉え思考するのでなく、すべての執着を捨ててとにかく「空」を達観することを唱えている。
わかるようでわからない、簡単なようで容易ではない心の境地であるが、宇宙のなんであるかが一抹でもみえてくる。

若く能楽師の祖父と結婚し、その人生の大半を能楽師の妻として働き、そして60歳過ぎてから木彫りや水墨画など好きな制作に人生を捧げたわたしの祖母は90過ぎまで生きたが、1000枚に渡る般若心経の写経を残した。お墓にともに埋めたのであるが、その一部は手元に残してある。般若心経を写経することによって心の平安と無心を得ていたのだろうと思う。あまり心の交流のなかった祖母であったのが今でも心残りである。今の私であったらもっと話すことがあったろうにと思う。いつも木彫りばかりしていた祖母。その作品たるや今でも家中に溢れている。昔は物が残るような趣味は持つものでない、と思っていたが、今ではその考えも変わってきた。祖母のおかげで今のアレの木彫作品も生まれた感もある。祖母の心がどこか私の人生にも生きている。

今年の7月、桂のHouse of Artにて展覧会を行っていた際、素敵なご夫婦と出会った。
嵐山にお住まいを持ちながらもう退職している年齢でありながらご主人が東京に仕事を抱えることにとなったため東京と京都を行ったりきたりしなければならない、イタリアにも何回も訪れたことがあると語っておられた。最後に贈り物として戴いたのがこの珠玉である。
ご主人のお祖父さまが筆にてこのたった3cm径ばかりの玉に般若心経を書かれたもの。
こんな大切なものを頂けるとは。わたしたちの大事な宝である。

先日久々に小林正樹監督の1965年制作の映画「怪談」を見た。同年カンヌ国際映画祭にて審査員特別賞も獲得している作品である。「黒髪」、「雪女」、「耳無芳一の話」、「茶碗の中」 の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の四話のオムニバスである。今さらながらその映像の斬新さ、全編にあふれる静寂感、現代のコンピューターを駆使した特殊効果があじけなく見える手作りの舞台、映像、雰囲気作りの手腕に感心した。その俳優人の豪華さも含め必見の映画である。
さて「耳無芳一の話し」に平家の落ち武者の怨霊のために琵琶を奏でる芳一を救うために全身に般若心経を写経するのである。その映像は生々しくそして美しい。
イギリスのピーター・グリナウェー監督も"Pillow Book"製作に当たってこのシーンを参考にしたに違いない。

般若心経への思いは常に日本の人々の心の歴史に深く関わっていたのだろう。
わたしもいつか写経をしながら「空」への「無心」への達観に少しでも近づきたいと思う。

怪談
/ 東宝ビデオ
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by jamartetrusco | 2007-09-26 16:40 | Vita (人生)
2007年 09月 21日

水面下の美術館

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9月15日に開館した佐川美術館の樂吉左衛門館。
琵琶湖の右岸に位置する佐川美術館はすでに10年前佐川急便設立40周年を記念して
建てられた。当時開館した日本画の平山郁夫館と彫刻の佐藤忠良館に加えて今年設立50周年、美術館開館10周年を記念して新館として開館したのがこの樂吉左衛門館である。
樂家の当代15代の吉左衛門氏。樂家に400年以上続く樂焼の歴史やその茶との関わりなどについてここで書くつもりはない。
この館はまさに樂家当代の美の集約、殿堂である。建築もすべて自身で草案から設計まで担当した。収蔵品である樂茶碗はもちろんのことなんといっても圧巻なのはその建築構想である。

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水を主体にした佐川美術館の環境であるが、この新館は水の下に建設されている。
人間の肉体と精神に深く繋がる水。人は生まれる前から水(母体の)に浮かんでいるのである。
そして川とともに、海とともに発展してきたのが人の歴史である。
その水を下って水底に忽然と顕われる美術館の空間。いや美術館というよりは古墳の奥深くに降りていくような、まるでピラミッドの内室に下るような錯覚に陥る。

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階下に降りて唯一地上とのつながりはガラスの開口から日差しを浴びてきらきらときらめく水のシンフォニーのみである。ビデオ・アートが作り上げるイメージが陳腐で力なく見えるその自然の奏でる光の芸術はなんだろう。一日の太陽の傾きによってその光像も刻一刻と変わっていく。
まさに束の間の、儚い水と光の美。
立礼茶会の間であるのだが、神聖なる祀りへのオマージュの如き空間。

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導入部分ですでに威厳ある自然と人為、美と芸術のなす技の呈示にまるで頭をがーんと打たれたような感動を覚えるのであるが、それから次次と視覚と触覚と心の琴線への美的刺激が繰り返される。
使われている素材はすべて人為の加わった自然である。オーストラリアの鉄道の枕木。バリの古木。ジンバブエの石。すべてが人の手の加わった、しかしあまりにも強烈な自然の「実」が
まるでそこにあるべくしてあったかのように置かれている。それぞれの共鳴がひとつの
まぎれもないあるがままの自然の力とそれに泰然と調和する人の為の美の融合を作りだしている。
木の透かしから見える外界の自然。歩くとまるで万華鏡のように外界の自然が眩しく目に入ってくる。

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なんと素晴らしい。様々な素材がそれぞれの呟きを持ってひとつの創造の輪(和)を
形成していくその過程。
氏の制作の深海に流れる創造の水流が伝統というとてつもなく分厚い礎の下で脈々と
鼓動するのを感じた。

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by jamartetrusco | 2007-09-21 19:53 | Arte (芸術)
2007年 09月 18日

私事

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なんとあのピーター・ハミルが日本にて公演するニュースを入手した。
今日は全くの私事である。
10代の半ばぐらいからずっとファンであるVan Der Graaf Generator ヴァン・デル・グラーフ・ジェネレーターという
前衛、プログレッシブ・ロックが演劇性をもって融合されたような
素晴らしい英国のバンドのヴォーカリスト兼リーダーであったピーター・ハミル。
グループは随分前に解散して彼はソロリストにて今でも活躍中。
ところが数年前、グループが再会してロンドンにて一回きりのコンサートを行った。
ちょうど出張にも重なりコンサートにも行かれて幸運としか言いようがなかった。
感動、感動、感動、という言葉のみでしか表現できない。

ハミルの音は一回聞いただけではわからない。しばし雑音にも聞こえるような音の複雑な
交錯。そして時に静かに低音で魂に届くような、時に叫ぶような爆音にも響く彼独特の歌声。
思うにシェークスピアの演劇性と内面性を音楽に映したような。

つやのある声音。深みのある音。 音と声の織物。

11月7日には京都のライブハウスにて公演する予定。その後は東京のライブハウス2軒。
なに故こういう時に日本にいられないのか。
無念、無念 無念。

京都の小さなライブハウスであれば公演終了後に会って話す、なんてことも
可能だろうに。

あー人生無情。

ハミル・コンサート日程

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by jamartetrusco | 2007-09-18 17:25 | Vita (人生)
2007年 09月 10日

Teste di legno ー木頭

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杉、オリープでできた頭。総勢一同に。

石頭、ではないので
だから木頭。でも石頭の趣きである。

絶対に譲らない、という頑固な頭である。

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この頭、一斉にグレーベの銀行内に移動した。
すでにお披露目されたことのある頭もあるし初めて外の気を吸う頭もある。

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数枚の絵に伴われてジャンニ支店長の銀行へ一ヶ月ばかり
お世話になることとなった。木頭も本望であろう。

グレーベの住民たちが銀行に入って”Che cose sono queste teste di legno?"
と冗談を言い合うのは目に見えているのだが。

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by jamartetrusco | 2007-09-10 22:41 | Arte di Ale(アレのアート)
2007年 09月 06日

ジャンニの家

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以前にも彼の存在について書いた。銀行支店長のジャンニ氏。
「ジャンニの家」と呼ぶにふさわしい彼の魂の住処。

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ご夫妻は4月から10月の季節の良い間には遥かトスカーナの遠くの山々まで望める高台の家に住んでいる。やっと家の改装がすべて終了したとのこと。廃墟だった石造りの構造を自分の好みに合わせて細部を改装していく過程はイタリアの古家の醍醐味だろう。古い要素と新しい要素をうまく組あせて小さいながら住み心地の良さそうな家。

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自ら絵やテラコッタ彫刻、木彫刻をなす彼であるので家も自身の作品や他の作家友達の作品に満ちている。
隣はまだ廃墟のままで窓辺からのその光景は絵画さながらである。

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小さな壁面の穴をそのまま埋めずに細部の意匠として残す。
ガラス張りに移ったジャンニとアレはまるでオランダの静物画のようである。
何故かすべてが絵画的である。

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おとといの嵐で急激に晩秋の涼しさとなった昨日、叙所に雲行きがあやしくなってきた午後の日差しの中、丘の上の家に到着。突然の豪雨など来ないことを望みながら。
時折見せる太陽の日差しが待ち遠しい。丘高いだけあって気温もぐっと涼しい。

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目的は彼の庭作り構想についての相談。Percorso d'arte アートの散歩道を作りたいのである。家の周りの敷地がかなりあり、ちょうど入り口から家までの道程が散歩道に最高であるのでそこを彫刻の庭にしたいのである。単に彫刻をぽつんぽつんと置いたお決まりの彫刻ガーデンではなく作家の手が自然に関与したような自然と人為の調和したような庭にしたい、という彼の希望はアレの着想と限りなく近い。日本の造園に憧れる。

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いつからかある大きな岩の塊の上にかぶさる緑。この自然の神秘をそのまま活かしながらそこにアレの手を加えて行く。ワイルドな自然と対してそこから何が見えてくるかやってみよう。
自然と対すること、庭の木や植物と対していることの大好きなアレであるので、空いた時間にここに来て自然からエネルギーをもらいそして与える。これからのひとつのプロジェクト。

彼の敷地をずっと散歩していたら最後にひゅーっと急に突風が吹き出した。これは大変、
大雨になるかも、と家に急ぐ。空が逆さまになったような雲の趣き、空がまるですぐそこにあるような。
天と地、まさにここにありき。

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by jamartetrusco | 2007-09-06 16:31 | Vita (人生)
2007年 09月 02日

紙 を知る

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京都府の綾部市。京都の西北部の自然豊かな小さな集落。
紙すき職人の知り合いを訪ねた。京都府からフィレンツェに研修、調査のために派遣された伝統産業に関わる職人さんたちと一昨年の冬に出会った。その一人であった林さんは紙すきの職人さんである。たった一日の出会いであったのだが、なんとなくその人柄にひかれた。そして言葉を交わすことが少なかったもののアレにも彼自身がすいた紙を贈ってくださった。
なんとなくお互いに見えない意思疎通があったような気がする。日本の職人の技に深く関心のあるアレなのでまた会えるような気がしていたのである。

そして此の夏アレの桂の展覧会にも来てくださった。2回目の再会である。自分の工房にも是非遊びに来てください、との誘いについついひかれて8月の暑い日、綾部のご自宅まで足を延ばす。

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台風が近づいていたので風は吹いていたがじりじりする暑さの集落に着く。
まずは地元の神社に。人っ子一人いないので不思議なくらい超現実的な処。
有名で人気の多い寺社を訪れるよりこういった人里離れて神秘的な場所に真の「神性」を
感じる。

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蝉の声のみが響く熱せられた大気。田んぼに囲まれた日本の田園の典型。
山あり川ありという理想的な自然。日本の神様を感じるのはこうした環境である。

紙すきは近くの廃校になった学校の校舎を工房にして行っている。子供達を対象にした紙すき体験なども企画しているらしい。
今回はご自宅にて紙すきを体験させてもらった。和紙が楮(コウゾ)という木からできているということはぼんやりと知っていたのだが、実際ゆでられて白く糊のような楮の原材料を水に溶かして板に乗せすいていく過程を体験して紙の存在を初めて知ることとなった。単純に「紙とはこんな風にできているのか」と。簡単そうに見えて加える水の量とか乾かしかたとか後作業の行程は職人さんならではの技であろう。私たちはただ板を前後左右に揺らす作業をしたのみ。

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土や砂からできた色彩で色したアレの絵を見ておられたので近くの納屋の壁土や赤土をコウゾと混ぜて用意しておいてくださった。違った観点からの面白い紙になるでしょう、と。
ちょうど梅干しをちぎったような色と感触の土色のコウゾ。

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アレもこれが紙に成り代わるのかな、と半分恐る恐る色を被せていく。

帰る前には出来上がったもの、お送りしますよ。

そして8月の展覧会時にわざわざ持参してくださったのがこれである。
あれだけ厚みのあった生のこうぞがこんな風になるのか。とつくづく感動した。


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by jamartetrusco | 2007-09-02 22:22 | Paese (土地柄)