<   2008年 04月 ( 6 )   > この月の画像一覧


2008年 04月 29日

ロバート・ウィルソンの面白み

Robert Wilsonーロバート・ウィルソンは近頃大変に気に入っている作家である。
1957年イギリス生まれ。イギリス、スペイン、ポルトガルを行き来している。
一般的に言えば推理小説作家ということになるのだろうか。
推理小説というと文学的に一ランク下がると考える方も多いだろうが、英国に
おける推理小説の伝統は深く厚く、そして文学的価値も衆知のごとくである。
スリラー、サスペンス、クライムストーリー、Who dunnit、いろいろな描写が
できるこの小説の一分野であるが、ロバート・ウィルソンを簡単に位置づけるのは
難しい。20世紀史と密着した人間模様の括りの中で、現在生きる人間の犯罪と
その周辺の人間関係が複雑な筋を縫って歴史を遡る過去の悪と繋がっていく有様。
単に誰が誰を殺したか、という発見ではなく、主人公である真実の探求者とともに
読者が発見していく主題の中に埋もれた事実が白昼に晒される様は実にタイミングよく巧妙である。
そして物語の特徴は第二次大戦の悪夢が筋の根底にあることだ。
それもスペインやポルトガルの大戦時、内戦、そして独裁政権時の歴史背景が
重要な鍵を占めている。
The Blind Man of Sevilleは特に圧巻である。

そして思うのである。
第二次大戦後の混乱から這い上がって経済的に成功していくのはほとんどが他人を踏みにじり反人間的悪行も辞さず、終戦後の都市再建設や財源収集などに直接関わっていく極度の悪玉ばかりである。混乱の中で手段選ばず土地や財産を自分のものにしていく。
これらの悪行の結果が現在の資本主義社会のまさに根底となるものである。現在の大企業なり、世界をコントロールする見えて見えない力のもとはすべてこういう所業にあるのでは、と。もちろんこういった見方はウィルソンの世界観によるものとは言え、真実は確実にそこにある。
故にしてこの現在の世界の行く末、良い方向に進むわけがないのである。大戦後の悪から腐って咲く華はもうそろそろ朽ち果てるしかないのであろう。

彼の小説を読んでいて想起したのは最近アカデミー賞の外国映画賞に輝いて話題を
集めたメキシコ生まれの監督ギィエルモ・デル・トーロの視覚的に美しく、そして
背筋が寒くなるような心理的恐怖を呼び起こす映画のいくつかである。
Pan's LabyrinthThe Devil's Backboneなど。物語の展開はいずれもスペインの内戦時代の混乱と残酷を背景に人間の本能的生き残りのための極限の心理状況がファンタジーと心霊現象との曖昧な領域の中に描写されるのである。映像はあくまで色彩鮮明で、残酷なほど現実味がありながら夢想的である。悲劇の中にどこか救いの一光もある。好きな監督の一人である。
余談であるがトーロはJRR トールキンの「指輪物語」の前話である「ホビット」の映画化に当たり監督として抜擢された。トールキンの世界を表現するのにまさに最適な監督であろう。「ロード・オブ・ザ・リングス」を監督したピーター・ジャクソンがプロデュースである。今から完成が待ち遠しい。

The Blind Man of Seville






Devil's Backbone
[PR]

by jamartetrusco | 2008-04-29 18:08 | Libri (本)
2008年 04月 24日

内、または隠れたるもの

f0097102_21324043.jpg


オリーブ彫刻のドローイングがもととなっているこの不可思議な形体。
まだ下絵の段階であるのでどのように展開していくかわからない。
どうも納得しない、とアレは言う。次に進めない所以である。

しかしこの下絵を見ていて面白いと思ったのは内部と外部の関係である。
どこが初めで、どこが終わりかわからない曲がりくねる帯状の形体の連続。
それによって出てくる暗の部分、隠れた部分への好奇心。
アレの最近の作品はある意味でひとつの「もの」を追求する。その「もの」
に見える、または隠れる意味は「形」の追求ではなく、彼の心や頭に渦巻く
奥義のようなものである。あるときはそれはエトルスキのルーツの表出であり、
現在彼が置かれた自然への強い精神的絆である。
またあるときは日本というイタリアとはコインの裏表でありながら
表裏一体のような文化から感じる心の投影である。

ロンドンのナショナル・ギャラリーにて印象深い展覧会を見た。ナショナル・ギャラリーが現存の作家を招待してスタジオを制作のために貸しそして最後にその結果の作品の展覧会を行うというアーティスト・イン・レジデンスのようなプログラムがあるのだが、
アリソン・ワットはこのプログラムの7人目のアソシエート・アーティストである。1965年生まれのスコットランド出身の女性画家の大きなカンバス絵。布という素材に魅せられた画家である。とは言え布の素材感を追求しているわけではない。そこに隠されている「生きるもの」の脈々とした形や動き、声や囁き、血や肉が内包されているのである。所蔵品の中で彼女の制作に特に多大な影響を及ぼしたのはアングルの「モワテシエ夫人」やツルヴァランの「瞑想する聖フランチェスコ」である。
展示された作品の中の様々な色調の白の布のひだからなる底なしの穴のような暗い開口を見た瞬間、女性のエロスを感じたのだが、それは全く遠からず真実なりであることがわかった。彼女の臨時スタジオの壁に常に貼られていた創造の源となる絵はがきや複製画の中にクールベのL'Origin du Monde「世界の起源」という直裁で吸引力のある作品があった。彼女の創造性の中に常に力を持つ作品であるということ。なるほどと思った。

アングルの「モワテシエ夫人」の絵の中で彼女の左腕の下の布地と肌の下に隠れた暗闇の部分に最も強く惹かれる、というアリソン・ワットの言葉を読んでなぜかアレの作品を思い出したのである。
そしてこの下絵にも妙なエロチシズムを感じるのである。
まるで男と女の起源、とでも呼べるような。
[PR]

by jamartetrusco | 2008-04-24 21:49 | Arte (芸術)
2008年 04月 15日

雨、雨、雨

去年の明日は我が家の藤棚が満開で暖かく春の日和だった。
日本から帰ってきたばかりで藤の花の芳香に心地よい酔いを感じたぐらいである。

今年の春はなんだろう。天気の悪さでは今までこの地に住んで記録的である。
地球温暖化というけれど、今年の3月,4月は温暖化どころか冬の継続である。
太陽の暖かい日差しなど10日ほどみていないようだ。
そして強い風と雨と。

いい加減に体が拒否反応を起こしているのがわかる。
なんだか調子も出てこないのは悪天候の継続のせいであろう。

明日からまたロンドンに飛ぶのであるが彼の地はここより酷いに違いない。

昨日、今日でのイタリアの総選挙、再度、そして予想通り、ベルルスコーニが勝った。
ヴェルトローニは小差で敗北。しかしここで初めて2政党からなる2極政権が
生まれることとなり、もしかすると何か変化が起こるきっかけとなるかもしれない。
ベルルスコーニとヴェルトローニの政策は根本的にはあまり異なるものではなかったので。それにしてもまたまた70歳代の首相とは。
イタリアはいつになったら前に進むのだろう。

なんとも明るいとは言えない今日である。

f0097102_4223990.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2008-04-15 04:30 | Vita (人生)
2008年 04月 10日

メッサーシュミットの性格百面相

f0097102_1834785.jpg


フランツ・X・メッサーシュミット(1736〜1783)、ドイツの南西部生まれ、ミュンヘンにて育ち、後ウィーンのアカデミーにて彫刻を勉強する。

この時代にこんな表現を残した作家が他にあるだろうか。Character Headsー性格百面相と呼べるだろうかーを多く制作したことで有名である。ほとんどの作品がウィーンのベルヴェデーレ宮に収まっている。

一般的に肖像彫刻というのはある人物の理想像である場合が多いのに対してメッサーシュミットの頭像は人間のありとあらゆる顔の表現を表している。日常のあらゆるアングルにてお目にかかる人間の本能的、動物的、ごく自然の表現、表情であるのに、彫刻として冷却され凝縮されると、どこか居心地の悪い不穏感、醜悪感を及ぼさせるのは何故だろう。他人に見せたくない顔。。
ほくそ笑む顔、あくびをする顔、しかめっ面をする顔、傷みをこらえる顔、悪臭に辟易する顔、溺れかかった顔、憂鬱顔。。。
目の前にして苦笑を自然と誘う表現豊かな表情のサンプル。
現代であればいくらでも目にする生々しく、露骨な表現方法。ほぼブラックユーモアにも通じるような。この時代には珍しい。
近いのはゴヤ晩年のブラックペインティングやオノレ・ドーミエの風刺画であろうか。
いずれも人間の暗の部分を露出させている。ゴヤの場合は自身の心の葛藤の現れと言える。

神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世シュテファンや皇后のマリア・テレーザのブロンズ胸像も制作したくらであるからオーストリアの宮廷にも出入りをしたことがある作家である。この性格頭像を制作し始めるのはしかし70年代半ばぐらいからである。
この時期からどうも幻覚症状などの兆しが見え始め、心身不適当ということでアカデミーの教授の席も追われることとなる。

この頃から突然と人間の人前にて見せたくない表情、人間の醜悪さばかりが見えてきたのだろうか。
心の不穏がそのままこのような顔の見本として表出してきたのだろうか。
「顔」に執着した彫刻家。


この初めて見る機会を得た作家の時代を先取りした不可思議なる作品を前に心から驚嘆を覚えると同時に、この作家と現代彫刻家のトニー・クラッグとの組み合わせを考えた展覧会監修者の偉大も感じた。
トニー・クラッグの彫刻も有機的な形体が多かったが、この作品群はまさに顔のデフォルメ、飴細工のようにどろーと溶けて行くような顔のフォルムである。
ほとんどすべてがブロンズ。
バロックと現代が互いに共鳴し合って妙な調和を作りだしている。新鮮さがある。

美術を時代に分けずに見せる。根本的に同質の表現を抽出して並列する。
芸術自体が時代を越えたものであるので、当然のことであろう。
これからの新しい美術の見せ方の切り口となっていくに違いない。
[PR]

by jamartetrusco | 2008-04-10 18:48 | Arte (芸術)
2008年 04月 07日

白に黒の四角


f0097102_22352533.jpg



カシミール・マーレヴィッチの四角、丸、十字。
すべてを極限にまで極めた形である。
そこにはあるがままに見える円と四角と十字があるのだが、その背後に揺らめく
精神性がある。

マーレヴィッチはシュプレマティズムという美学の唱道者である。
真の芸術、芸術家というのは人間の目に見える客観的自然、客観性を表現するのではなく己の中に捉えられる主観的感情、情緒、心の様を自身のプリズムを通してひとつの非客観的形に具現化するものである、と彼は唱えている。
故にその表現は一般的には理解の域を越えるものであることが多く時代を先行する表現である。シュプレマティズム宣言と副題のある彼の思想を語った著作「非客観的世界」はカンディンスキー著の「芸術における精神性」についての思想に通じる抽象表現のバイブルのようなものであろう。

ロシア国立所蔵展の多くの作品を見て、最後の展示室にあったこの3点。
文句なしに最も力強く、精神性、宗教性あふれる作品である。

微妙に歪みのある黒の四角が白の背景に描かれている1メートル四方の油彩作品、"Black Square on White"。
マーレヴィッチがイコンの代わりに部屋の最も神聖な場所に飾ったと言われている
自身の抽象絵画。
心の有り様がひとつの形と成り代わる瞬間の芸術の不思議である。

実に納得が行くのである。
どこか禅画の墨絵にある一筆に現れる宇宙の巨大が感じられるのである。
底なしの心の様を2次元の表現に表したとき、それはひとつの色彩となり、線となり、
形のなるであろう。
純粋なる抽象ー心の投影ーのエキスであると思う。


f0097102_2235444.jpg



f0097102_22361841.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2008-04-07 21:14 | Arte (芸術)
2008年 04月 03日

クラナッハのヴィーナス

クラナッハのヴィーナス。
クラナッハ展にて展示されていた数多くの作品の中で一際目を惹いた。
展覧会の目玉のようにポスターにもなっていたのだが、作品を前に
感動した。
かなり小さい。しかし大きさに関わらない力強さがある。
微妙な影のある黒一色を背景にはんなりとS字型に立つ姿である。
透明なヴェールがいっそうその妖艶な仕草を引き立てる。
髪の毛と首にかかる宝石の装飾性と裏腹に全裸のその姿はどこか
アンバランスで危険性を孕んでいる。
ギリシャ神話の愛の女神であるヴィーナスであるのに、天上的でない。
そして通常共に描かれるキューピットも不在である。
アーモンド型の涼しい目線は神々しさより誘惑する女性のコケテイッシュさ
がある。
おそらく個人の所蔵家の注文で描かれたに違いない。

展覧会のポスターに選ばれた後、地下鉄駅などにこのヴィーナスを公開する
ことに異議が出たくらいである。そこら中にヌードイメージが氾濫する現在
になんとも矛盾する不思議な話しである。

他に光っていた作品はやはり背景が美しい薄緑一色の肖像画であった。

クラナッハは天上の美の具現というより、親密な空間に置かれた人間の
内面性、弱点などを表すのに長けていたようだ。
宗教改革者ルターの友であったのも頷ける。


f0097102_23145924.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2008-04-03 23:18 | Arte (芸術)