トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2008年 10月 31日

ベン・オクリの記事

私の今の考えをまさに代弁してくれるかのような素晴らしい記事を読んだので
ここに紹介したい。
1959年、ナイジェリア生まれ、英国育ちの作家である。1991年の作品、
The Famished Roadにてブッカー賞を受賞している。
Ben Okriの記事
彼のmy spaceにて以下の画像も掲載されていた。不思議な余韻が心に響き渡る。

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by jamartetrusco | 2008-10-31 19:50 | Vita (人生)
2008年 10月 30日

歴史の相対性にてみること

この数週間、西欧対イスラムの文明、宗教対立の危機、テロリズムの脅威が近頃の金融危機の台頭の裏にやや影薄という感じである。いったい毎日の生活をやっとやっと過ごしている我々のような門外漢にとってこの金融危機とは何なのだろうか?
一部の世界の状況をすべて制覇している大物達にとってはこの金融危機すらひとつの金銭的メリットであるかもしれない中で、家や財産を失い、途方にくれる人々もいるのである。
とにかく得体の知れない「悪」を感じるこの頃である。
このような状況の行く末に新たな精神革命が開けるのだろうか。

第二次大戦終了後、さまざまな危機があった。
その事を如実に実感させてくれる極めて開眼的な展覧会をロンドンのV&A美術館でみた。題してCOLD WAR MODERN、「冷戦モダンー1945年から1970年まで」。
装飾美術、デザインの歴史が中核にあるV&A美術館であるから根底には戦後のイギリス、また世界の生活デザイン様式を語る展覧会である。しかし、この展覧会が今までになくずしっと重みを持っていたのは私が実際に生き、体験した時代を扱っていることだ。
第二次大戦の恐怖を終え、平和の訪れにほっとしたのもつかぬま、ヨーロッパの危機を背景に米国と旧ソ連との冷戦時代に突入する。核実験の脅威、ベトナム戦争、ベルリン危機、61年に東西を分けるために築かれたベルリンの壁、中国の文化大革命、そして宇宙開発競争。はじめての月着陸。ガガーリン、アポロ宇宙ロケット、そして60年代の20世紀最後のユートピア思想。宇宙から見た地球の愚かさと儚さ。

米ソ二大国の冷戦の脅威を根底にさまざまな文化が生まれる。今でも大人気を集める英国諜報員ボンドの007シリーズもこの冷戦を背景にこの頃生まれたのである。
そしてスタンリー・キューブリック監督の傑作「ドクター・ストレンジ・ラブ」博士の異常な愛情。宇宙への願望が生んだスプーチニック時代、宇宙服のようなファッションデザイン、「2001年宇宙の旅」の本とその映画化。
展覧会には紹介されていなかったが黒澤明監督の1955年映画である「生き物の記録」は核兵器への恐怖に耐えかねて最後には狂ってしまうある老人の生き様を語る。この映画もまさにこの冷戦時代なくては生まれなかった映画だろう。

私の今までの人生の内、物心つく頃から青春期にかけて世界の情勢を支配した冷戦時代の精神文化をデザインやアート、生活様式を通して目の前に改めて確認したのである。
冷戦時代はある意味で白黒の比較的はっきりした時代であった。

冷戦時代の終焉の肯定的象徴のようなベルリンの壁の崩壊から約20年。冷戦が終わり世界がよりよい平和へと導かれるかと夢見たのも一瞬のこと。冷戦の危機を乗り越えて辿り着いた今現在の世界。善悪の白黒がはっきりしない、もっとたちの悪い状況になっている。ここにまた新たな精神革命が必要であるのは間違いない。
しかしどのような?
人間の存在価値であるはずの芸術、文化がいったいどれほどの力をもって次の世紀への原動力として受け継がれていくのか。芸術すら息切れがしているような今の世界のような気がする。
この20年の足跡としてはっきり発言権を持つのはITとかインターネットとか、すべてコンピューターの進歩に関わる事象だけかもしれない。1970年から2000年までのデザイン史の展覧会をさらに企画するならばインターネット革命がその中核になること間違いない。
どんな危機も時が経てば過去の中の歴史の一幕として相対性をもち、様々な文化、社会現象を携えて歴史の1ページを語ることになる。歴史的相対性の中で捉えることによって生きる道筋と勇気も生まれるものだ。そんなことを感じさせる展覧会であった。
11月の大統領選でアメリカ初の黒人アフリカ系大統領が生まれることになればまた新たな時代の開幕になるだろうか。そう願いたいものである。


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by jamartetrusco | 2008-10-30 01:44 | Storia (歴史)
2008年 10月 26日

フランシス・ベーコンという作家

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Francis Baconは"obssession"を持ち続けた作家である。
人間の表装をはぎ取りその存在の腸を描き続けた作家である。
人間の動物的叫びを直裁にキャンバスに表した作家である。
「死」に取り憑かれた作家である。
死に至る過程の中での人の真理に宗教を感じた作家である。
自らの原罪の十字架を背負っているかのような作家である。
しかし神の存在は見いだせなかった作家である。
代わりに自らの信じる錬金術の法則を発見した作家である。
鋭く人間を抉り出すような外科医のメスのような眼差しをもった作家である。
人間をあからさまにする肖像に最大の意義を見いだした作家である。
人間が肉塊にしか見えなくなるような人の姿や顔の歪んだイメージを
永遠に描き続けた作家である。
その肉塊の裏にある存在の重みを見極めた作家である。
ヴェラスケスの法王イノセント10世に心底惚れ込んだ作家である。
他のどのメディアよりも写真という媒体に表現のインスピレーションを
見いだした作家である。
想像を絶するごみの吹きだまりのようなスタジオで制作した作家である。
その混乱の中に彼の人生のすべてのイメージを織り込んだ作家である。
そして本人は常にきりっとしたいでたちを保った作家である。
男のみ愛した作家である。
1930年代から60年代前半にかけての作家としての形成期に最も素晴らしい
作品を残した作家である。
20世紀イギリスのまたは世界の最も重要な作家のひとりである。
そして私の好きな作家の一人であり続ける。

イギリスでは3回目のフランシス・ベーコンの回顧展がロンドンのテート・ブリテンにて開催中。
ベーコンのオブセッシプなエネルギーに嫌悪を覚えても感動を得ないものはないだろうと思う。

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by jamartetrusco | 2008-10-26 04:11 | Arte (芸術)
2008年 10月 18日

失敗それとも必然的

この数週間、絵画表現に向かっているアレ。
何を表現して良いのか思いめぐらした時期が長かった。
今でも自分の中でもやもやしたものが在るのは見ていてわかる。
でもそれも時間の問題。やっと見えたてきた何かがあるようだ。

下地を砂地で入念に準備してそろそろ何が出てくるのだろう、
と期待していたら次の日真っ黒のドロドロの画面があった。
あーまたドロドロになってしまった、と思った。
そしてそのどろどろを克服しない限り次に進まない。
精神、表現が沈殿する、ということの表出。
ところがこのどろどろの色は何故か翌々日に消え去っていた。
下地の具合が悪くて全部溶けてしまった、とがっかりとスタジオから
キャンバスを持って出て来た。
ところがその溶けてしまった跡の方がよほど良いように思った。
だから、もうそのままにしておいた方が良いのでは。

という私の言葉に納得したのか、ひとつの絵となって残っていた。

失敗の結果なのか必然なのか。
制作の中の不思議である。

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by jamartetrusco | 2008-10-18 21:15 | Arte di Ale(アレのアート)
2008年 10月 14日

人の顔

Renaissance Faces「ルネサンスの顔ーヴァン・アイクからティツィアーノまで」 という展覧会がロンドンのナショナル・ギャラリーで明日から開催される。題のごとく、ルネサンス時期の人の顔の表現をみる展覧会である。顔の表現として代表的なのは肖像画である。肖像画がとりわけ魅惑的なのはまさにルネサンス時期の15世から16世紀にかけてさらにレンブラントやヴェラスケスの活躍する17世紀であろう。その後18世紀、19世紀初頭のナポレオン全盛期にかけての宮廷や王宮人の肖像画はどうも権力の誇示だけのものが多くてあまりばっとしない。もちろん、ゴヤやアングルのような例外もあるが。
ルネサンス期の肖像画は特にモデルの人物の外面と内面をさらけ出した人間性を謳歌する表現が多い。それ故時には驚くほど正直で感受性豊かなものがある。写真では得られないプラス、マイナスを加えた表現である。それはとりわけ北方ルネサンスの肖像画に多い。とっくの昔に世をさっている見知らぬ人物の顔やその表情を現在生きるものが絵を通して見る、という事自体がどこか不思議な気分を呼ぶ。

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私のお気に入りの肖像画をまず一点あげろと言われればフラマン派のペトルス・クリストスの「若い女の肖像」。その超現実的な繊細な表情と色彩との微妙な調和には天上の響きがある。
そして彼が影響を与えたとされる15世紀シチリアの画家、アントネロ・ダ・メッシーナのいくつかの肖像画。彼の作品の中で最も有名なものではないが、このふたりの男の心の内までが見えてくるかのような生々しい肖像画である。やや腹黒そうな思惑の隠れた表情である。今のイタリアにも多く見ることのできる顔。

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「顔」の特徴と言えば、人間の骨格や造作と犯罪との相関性を説いた19世紀イタリアの犯罪人類学の創始者チェーザレ・ロンブローゾがいる。簡単に言えば犯罪者の顔は共通した身体的容貌があるということである。ひとつ間違えると危険な論にもなりかねないが、まさに一理あり。まず骨格があり、犯罪者になるのではなくて、あるひとつの環境にあると顔つきや身体も犯罪者としての共通性を得てくる、ということであろう。以前読んだことがあるのだが、犯罪者の多くに共通する事実はジャンク・フードを食べ続けていたことであるそうだ。食は人間にとって大事な要素であり、食べるものによって骨格が変わってくるのは間違いない。これもロンブローゾの犯罪面相学につながるようである。

外面ではなく内面こそ人間の価値を作る、とは言うものの、それもある程度であることはこの世の中の様々な仕組みをみても明らかである。美男美女の方が醜男醜女より得することは明白であろうから。

今回の展覧会にはどんな「顔」が隠されているのか、この秋ロンドンにて是非観てみたい展覧会のひとつである。
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by jamartetrusco | 2008-10-14 22:56 | Arte (芸術)
2008年 10月 10日

何かが変わる時

人生において突然とある一つの決断をする時がある。
大学を出てロンドンに留学したのもひとつ。
しかし若年期のあくまで人任せの決断であった。
その後仕事を通して紆余曲折をしながら、ある日閃光が下ったかのように
忽然と10代からの夢であった絵画修復のコースを受けようと決心した1993年。
フィレンツェに渡り、その地でアレッサンドロと出会った。
その年イタリアへの移住を考えて労働ビザを自ら作成した日々。
とてつもないエネルギーに動かされていた毎日だった覚えがある。
その決心の結果今の家族がいる。

そして今またむらむらと変化への決断をする時に来ている。
15年近く住んだこのトスカーナの地。
そろそろ自分たちの置かれた状況を変えるときに来ているような、
そんな気配がしている。
来年はそんな年になりそうな予感である。
果たして自分の本能をまだ信じて良いのか、一抹の不安と期待感と
様々交錯するものの、まずはひとつのステップを踏んでみようと思う。
今年の冬に。

人生は一度であり、そしてその長く短い人生の中で、信じることを
行動に移す時が何回かあるはずである。そしてそれを行動に移す適時
というのも。
それを見極める直感というのは、まず沈思する、心が上昇し、そして下降し、
物事の表裏をとことん認識した上で、ひとつの悟りのようなものを得た後、突然と
現れるようである。


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by jamartetrusco | 2008-10-10 23:00 | Vita (人生)
2008年 10月 06日

ロッソ・フィオレンティーナの赤、その現代性

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Rossoとはイタリア語で「赤」の意。
vino rossoの言葉ですでに衆知の通りである。

フィレンツェ生まれのジョバンニ・バティスタ・ディ・ヤコボ(1494〜1540)はロッソ・フィオレンティーノという名前で知られている。文字通り「フィレンツェの赤」という通称である。
赤毛だったためつけられた渾名らしいが、この画家の一枚の名作を語るのにふさわしい。レオナルド・ダヴィンチと同じく死ぬまでの晩年をイタリアを逃れてフランス国王フランソワ1世の擁護のもとに過ごし、後の「フォンテーヌブロー派」となる画派の発祥の元となったことでもその貢献は大きい。

しかしこの画家の頂点は1521年に描かれた「十字架降架」である。
これほど「赤」が効果的に使われている絵画も比類ない。全体の色の調和をきりっと引き締める赤。ドラマチックな動きと人物の鮮明な感情表現によって上下左右に揺らぐ絵画構図の焦点となっている赤である。そしてその色彩駆使と構図の斬新さは明らかに
ルネサンス的古典美を越えて表現主義的な現代性へとつながる。主題であるキリストの降架自体よりも人物の動きのダイナミズムと色彩の対比調和がこの絵の神髄にある。絵画上の手段である色とフォルムが重視されているという意味でまさに抽象性の高い作品であろう。

先月ヴォレテッラの絵画館にて初めて対面した。
この絵画館を訪れる価値を十分授けてくれる一点である。
隣にかかっているルカ・シニョレルリの「受胎告知」も素晴らしい。
しかしどこが違うのだろう。
シニョレルリの名画はまぎれもなくルネサンス盛期を飾る叙述的で線描の勝った絵画である。色彩も伝統に基づいた規格に則って使われている。しかしその色や形はあくまで
描かれている話しを語るためのものであってそのものの謳歌ではないのである。

色彩と動き、形体の解放、拡散、抽象。
そこにロッソ・フィオレンティーノの現代性が隠されているように思う。

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by jamartetrusco | 2008-10-06 23:47 | Arte (芸術)
2008年 10月 03日

負のエネルギー

「読書の秋」と言うが気候が涼しくなってくるとどうしても心や頭への刺激をより感じるようである。
春や夏は体、肉感と結びついた官能の季節。
秋と冬は内省へとつながる精神と理性の季節。
どちらも人間の全体のバランスに不可欠である。
秋冬は自然とメランコリーを誘う。しかし「考える」力を与えるのはこの季節である。

天災がいかに人間の想像の営みに影響を与えるかということに関しての面白い 事実 を読んだ。
この本をいずれ手に入れて読んでみたいと思う。
1815年にインドネシアでのタンボラ火山爆発、そしてその影響による翌年のヨーロッパや北米の冷夏による災害
1816年は太陽が消えてしまったと思われたほどの悲惨な天候だったらしい。
しかしこの記録的天災があったからこそシェリー著の「フランケンシュタイン」そしてストーカーの「ドラキュラ」が生まれたというのである。
毎日途切れなく降り続く雨の中、スイスの湖畔の屋敷に滞在していたバイロン卿とその客のマリー・シェリーと夫。悪天候の中、室内に閉じこもっているしかなく、さてどうしたものか、と暇つぶしに皆で幽霊の話しを書こう、ということになり生まれたのが「フランケンシュタイン」。

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そのときにやはり同席していたバイロンのお抱え医師であるジョン・ポリドーリが
Vampyre「吸血鬼」にまつわる話しをしたためた。それが後のブラム・ストーカーの有名な
「ドラキュラ」の着想の根源となっていると言う。
ターナーの幻想的な朝焼けや夕焼けの風景も実はこの年の天候に由来するらしい。
雲隠れした中から滲み出るかのような陽のぼんやりとした光は実は真なる自然現象の賜物だったのだろう。

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天候が悪いと、そして暗闇に置かれると人間は心の営みへと頭の中枢が集中していくようである。
そしてそこから得られる負のエネルギーはそのまま創作性へのエネルギーとなる。
芸術というのはそうした負の力から創造されることが多々ある。

自然という大宇宙とその中で右往左往する人間に力を与えてくれるのは自然現象の中に
ある正と負のエネルギー。自然と精神のつながりを感じる。


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by jamartetrusco | 2008-10-03 19:17 | Natura (自然)