トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2008年 11月 28日

大地の音ー民の音

ローマにて久々に心身ともを揺さぶる音に触れた。
ローマ近郊の文化協会の小さな穴蔵の中でのダイナミックなコンサート。
天地をふるわせるその迫力ある太鼓とタンブリンの音色。そして音を転がすような歌声。
なんと言ったら適切だろう。中近東のやや悲しげな単調音の調べとイタリア土着の
長調の音と合わせて2等分したような。
一言で言えば民族音楽。しかし単に伝統につながる歴史音ではなくまさしく「今」に息づく音である。
一度奏でだしたらもう二度と止まることのないような、そのめくるめく音と歌声の響きはじょじょに恍惚の境地へと心と体を運んくれる。
グループの名前は Tamburi del Vesuvio 、ヴェスヴィオ(ポンペイの噴火で有名な)の
太鼓。歌師はNando Citarellaというナポリ出身のTambrellista、タンブリン名手である。
彼の手にかかったら大小様々のタンブリンも肉体の一部であるかのように動き出す。
その艶のある声色で高音に響く歌声はまるで人間を越えた「音」のひとつのエッセンスである。
聞いているものは自然と踊り出す。普通の中年のカップルが信じられないような魅力的でセクシーな踊り手となる。そこにあるのは男女の生と性の宴。
人間の生の喜びを、男女の間の愛の喜びを讃え奏で、踊る。
イタリアのナポリやプーリア地方がその発祥の地であるtarantella,或いはpizzicaとして知られる男と女の体を絡ませて(微妙に触るようで触らない)の肉感的、官能的な民衆の踊りである。
真の意味で至福感を与えてくれる音色。大地と密着した人間の存在の喜びをそのまま
音にしたものである。
当分この音にはまりそうである。


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by jamartetrusco | 2008-11-28 18:57 | Paese (土地柄)
2008年 11月 24日

エトルリアのゴルゴン鬼神

ギリシャ語で「恐ろしい」という言葉に当たるゴルゴンーGorgonーとはギリシャ神話の鋭い牙をもった文字通り恐ろしい形相の女神である。女神というより女鬼である。その恐ろしい視線を浴びると浴びたものは石に成り代わるという神話があるため聖なる場所を守る魔除けとしてしばしば神殿や酒壷を装飾する。髪はのたうち回る蛇である。
ゴルゴンの姉妹であるメドゥーサの方が有名かもしれないが。
ローマで「エトルスキーラツィオの古都市」という学術的な展覧会を見た。展示品はほとんどがローマのVilla Giuliaにある国立エトルスコ博物館の所蔵品である。Villa Giuliaは行く度に閉まっていたので今までその貴重は収蔵品は見る機会がなかった。
今回の展覧会ではローマの近郊のエトルリア時代に栄えた都市、Veio, Cerveteri, Vulci, Tarquiniaに焦点を当てて、その出土品である様々な表現を見ることができる。出品作で特に有名なのはVeioのミネルバ女神(ギリシャのアテネ神に当たる)を祀る紀元前6世紀頃のアポロ神殿の遺跡から出土したテラコッタのアポロ像とそしてこのゴルゴンの頭部。
恐ろしいというよりややユーモラスなその表情に魅入ってしまった。
アポロ像は神殿の屋根の上に高々とそびえたっていたらしい。そしてゴルゴンは瓦装飾である。
この瓦装飾は即日本の鬼瓦を想起させる。鬼瓦もゴルゴンと似通った魔除けの用途があったに違いない。人間というのは文化文明は違えども想像力は似通っている。
展覧会を通して見えてくるのはカトリック導入以前ののびのびとした神々や人間像である。踊り、歌い、バッカス神に酔う。歓喜の宴。そして死は生と同じく、或いはそれ以上に荘厳である。エトルリアの埋葬文明はあまりにも有名である。
展示品のほとんどは死者とともに埋葬された品々である。
墓があまりにもりっぱであったためその後の幾度にも渡る墓荒らしで今ではほとんど見る影もないのが残念である。今に残る墓の壁を飾る装飾絵や彫刻などでその美しさを想像できる。死をこれだけ重んじたエトルスキというのはいったいどういう人種だったのだろう。エトルリアの神秘は語るにはあまりにも未知の部分が多い。
次回はエトルリア文明を求めてこれらの古都市をまわってみようと思う。
ローマという法王のおわす古代都市にてそれをさらに遡るエトルリアの底知れない
文明の深さと面白さ。イタリアの七不思議である。

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by jamartetrusco | 2008-11-24 23:00 | Storia (歴史)
2008年 11月 19日

フリッツ・カーンー解剖学のモダニズム

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図1

Fritz Kahn (1888~1968)は1920年代に今見ても驚く程新鮮な人間解剖図を残している。解剖図と言っても医学的に見たものではなく、当時の機械文明到来の現象としてデザイン、芸術分野に開花するモダニズムの一側面と言える人体の構造と機械の構造をダブらせた極めてシュールリアリズム的空想性の高いものである。しかしその空想性の中に実は人体のメカニズムの真実も内包しているようである。
昔から今に至るまで人間は体の構造に興味を持ってきた。
最近あちこちで出回っているドイツのギュンター・フォン・ヘーゲンという解剖学者により企画されたBody Worldsというややグロテスクな展覧会も人間の体の内部がいかなるものかへの怖いものみたさに似た興味の現れであろう。

16世紀以降印刷の発明もあいまって様々な解剖学の本も世に出ている。
解剖学(アナトミー)の夢想性を見せる大変興味深いサイトがある。
文字通りDream Anatomy。解剖学に見るデッサンの面白さ、発想の豊さは広大なる地平線上にある。
その中で特に目に留まったのがこのカーンの解剖図。
ダリやエルンストも顔負けのシュールなイメージの中で捉えられる人間像。
人間をひとつの工業的構造ーMan as Industrial Palaceーの縮図として捉えた斬新さ。

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いったいどういう人物か調べたいのだが、あまり情報が得られないのが残念である。
彼がユダヤ系ドイツ人で、ナチ・ドイツ時代に迫害を逃れて40年にアメリカに移住したことしかわからない。
挿絵画家なのか、画家なのか、それとも医学博士なのか。
その生い立ちや歴史は不明であるものの、そのデッサンが多くを語っている。
肺(図1)、鼻孔(図2)、眼球(図3)、神経(図4)の構造を豊かな想像力のもとにひとつの象徴的なイメージとして表している。
機械文明と独裁政権に支配される21世紀を描いた資本主義と共産主義のダブル批判とも見えるフリッツ・ラングの名作「メトロポリス」が1927年制作であるのも意味深い。
産業革命以降、機械が社会の前衛と見えた時期にこそ生まれ得たものであろう。
今その機械文明が袋小路に辿り着いてこれから先の人間像はいかなるものになろうか。

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図2

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図3

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図4
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by jamartetrusco | 2008-11-19 00:01 | Arte (芸術)
2008年 11月 14日

心の中の神殿

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アレのBicのボールペンでのデッサンはその日その日の気分が
出ていてとても正直である。
デッサンが時としてより面白いのはまさにその部分である。
完成させようという気負いがなく一瞬の閃きがそのまま手先に
現れるからである。
夏のヴォルテッラでの展覧会でもてあました時間の多くはこの
デッサンの小本に結晶となって残っている。
この時期のデッサンが今の彼の描くテーマの源ともなっている。

心の中にある神殿。エトルリアの神々の囁きが息吹となり自身の
心の拠り所の再発見へと繋がる。
自分の体、心、すべては頭にある思いの交錯した一塊
や蓄積された歴史の記憶から培われるのである。
頭は心へひとつの周波を発心し、心はその肉体の存在する意味を追求する。
黄金発見を目的とするアルケミスタのように心の黄金を発見することこそ
作家の生きる術である。

心の神殿。中にある宝の所在はこれからさらに掘り下げられる。


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by jamartetrusco | 2008-11-14 22:23 | Arte di Ale(アレのアート)
2008年 11月 11日

クリスタル・ブルーの城

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ロンドンにて11月30日まで見ることのできる不思議なインスタレーション。
アートをギャラリーや美術館、劇場などの限られた箱を越えて公共コミッションの展開として社会に促しているArtangelの企画。Archangel(大天使)を文字ってArtangelとしたのだろう。象徴的な名前である。

今回の企画は1975年バーミンガム生まれのRoger Hiornsによる時間の経過が必要なインスタレーション作品Seizure
作品というより時を経た空間創造である。Seizure(占有)というタイトルがまさにびったりであるのは60年代の古びた小アパートの室内空間を硫酸銅の青色のクリスタルが被い尽くして、まさに空間を占有しているからである。天上か壁から床から風呂桶まで。すべてがイブ・クライン・ブルーの一色に染まり、まるで宇宙の不思議な生物がこのアパートへ移り住んだ趣きである。光も控えてあるため、暗闇に輝く超現実的なクリスタルの城に足を踏み込むようである。
化学の実験に近い試みであるこの奇異なインスタレーション。硫酸銅をここまで育てるのもある程度の時間が必要であろう。
制作プロセスはアパートの上階の床の隙間から硫酸銅を溶かした温液を75,000リットル流し込み冷える段階でこの液体が接触したすべての部分がクリスタルに変容して行くのを待つ。不要な液体は吸い取り、出来上がったのがこのインスタレーションである。

洞窟探検、鉱物の煌めきへの憧れ、一色に染まった世界を前にする畏敬の念、海、空にも象徴される「青」という色への太古からの憧憬、一般の人々の深層心理に訴える極めて効果的なインスタレーションである。そしてなによりも美しい。

Seizureという宇宙のミクロの侵略を連想させるタイトルとともに自然の化学的現象の恐るべき繁殖能力に驚きを覚える。この作家の真の目的はこの空間への入城から喚起される視覚的、体験的色彩のインパクトであるに違いないが、生き物の存在の儚さへの言及でもあろう。
自然が突然狂気と化して地球が硫酸銅のやしろとなったらもう生きるものの住処などなくなってしまうであろうから。
それにしても会期が終わった後このクリスタル城はどうなるのだろう。
どこかに移築されて永劫の展示となるのか。アパートの構造自体は朽ちてもこの
クリスタルは残ること間違いない。

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by jamartetrusco | 2008-11-11 22:16 | Arte (芸術)
2008年 11月 10日

箱の中の猫



秋の夕
ビルバいずこと
思いきや
我が家の猫は
屑箱の中。



くず床に
うたたねビルバの
不思議かな。



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by jamartetrusco | 2008-11-10 17:51 | Paese (土地柄)
2008年 11月 06日

映画「ストーカー」における新たなる発見

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ロシアの誇る映画監督アンドレイ・タルコフキーの映画は20代に初めて観てから常に頭の片隅に光の残照のように残るものであった。
殺伐たる寒さの冬の日に生きる勇気を与えてくれるいくばくなる光のような、子供の中にある恐れと憧憬を映像化したような、人間の、あるいわタルコフキーの奥底に潜む痛いばかりの感性の鮮明なる露出のような。人間の魂の悲壮感を根底にしながらそこに見いだしうる神々しい歓喜の混じったような。
代表作は「アンドレイ・リュブロフ」、「惑星ソラリス」、「鏡」、「ストーカー」
「ノスタルジア」「サクリファイス」。
「アンドレイ・リュブロフ」「鏡」と「ストーカー」の3作は人生の様々な岐路に観たい作品である。

つい先日「ストーカー」を久々にDVDにて見た。
そして驚いたのに、20代当時記憶していたのはタルコフキー独特の自然や人間の生き様の細部の映像のひとつの完成された視覚的体験であり、内容はほとんど理解していなかったのである。20代の感性と今の感性の違いと、置かれた立場の違いによる理解力のレベルの違い。名作は年齢を経てさらに名作となる。

水の表現や捨てられた塵屑や壊れたガラス片でさえひとつの美的映像の頂点へと導いてしまうこの監督の映像の素晴らしさには以前と同様の感動を得た。
しかしそれ以上に感動したのは、映画を通して語られる静かでありながら脈々とした人間の存在の長編詩である。生きる意味を新たに噛み締めることのできるその言葉の数々である。その中で心にずっしりと残ったのはもっともたやすい言葉でありながら実行するにもっとも難しい真実である。このように生きることをモットーとしたい。

思うがままに行くがいい、
信じるままに。
情熱などあざ笑え。
彼らの言う“情熱”は心の活力ではない。
魂と外界との衝突でしかない。
大切なのは自分を信じること、
子供のように無力となること、
無力こそ偉大なのだ。
力には価値はない。
人は無力かつ無防備に生まれ、
死ぬ時には乾いて固まる。
木もそうだ しなやかに育ち、
乾いて硬直し枯れてゆく。
硬直と力は死と隣り合わせだ。
柔軟さと無力さは生の源、
硬化したものに勝利はない。

万物には価値がある、意味と理由が。



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by jamartetrusco | 2008-11-06 22:44 | Cinema (映画)
2008年 11月 03日

Barbagiannaー美の住む処

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Barbagiannaという名前で知る人ぞ知るの現代アートを紹介する田舎家がある。
フィレンツェから15キロほど行った高台の丘の上の家。
18世紀から建つ農家であるが、そこはMorgana Edizioniというアレッサンドラが営む芸術関係の書物の出版局でもあり、また季節の良い半年間はさまざまな展覧会、ミーティング、コンサートなどなど開催される文化センターともなっている。


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11月だというのに異例の暖かさである昨日、作家友達のエレナ夫婦とともに初めて
この場所を訪れた。散歩がてら坂をてくてく登っていって辿り着いた場所は遠景に
典型的トスカーナの風景が開けるまさに桃源郷。
古い農家もあまり手を加えずに、床も扉も壁もすべて朽ち果てた美しさを残している。
今展示されているのはフィレンツェに移り住んで長いカロリーヌ・ガロワというフランスからの作家の作品。
19世紀のフランスの象徴派詩人ランボーのVoyelles「母音のうた」からインスピレーションを得て描いたという。「母音のうた」はフランス語の母音であるa, e, i, o, u「アエイオウ」の五音とその音から連想される色を歌った詩である。
音声と色との関連は音楽と絵画との関係のようなつかみどころがないようで明確な
絆である。

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色とりどりの美しい装丁の本が多く置いてある空間であるので彼女の作品とも静かな調和を醸し出している。
本と言うオブジェの美しさ、紙質や色合いから読みたくなる本が並んでいる。

「素材」というものの真の価値を見せてくれる芸術の住処である。
秋の色の移ろいと永劫なる美に囲まれてゆったりとした時を過ごした。

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by jamartetrusco | 2008-11-03 18:30 | Paese (土地柄)