トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2008年 12月 22日

Auguri



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Andrey Rublev
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by jamartetrusco | 2008-12-22 17:14 | Vita (人生)
2008年 12月 21日

ピエロ・デ・ラ・フランチェスコの卵

ピエロ・デ・ラ・フランチェスコ(1412~1492)のモンテフェルトロの祭壇画、神秘性にあふれる彼のフレスコ画の中でとりわけ謎めいた卵の存在。
聖母マリアの頭上の貝殻の天蓋の下に下がる卵である。
ウルビーノ公のフェデリコ・モンテフェルトロ2世により自身の息子誕生を祝って依頼制作された祭壇画とされている。
この卵の意味について多くが語られており、モンテフェルトロ家の紋章がダチョウを象ることからその卵を描いたという説。卵は真珠の象徴であり、
貝殻の中で男性の介入なしにできる真珠を聖母の無原罪の御宿りに喩える説。
ダチョウは卵を砂漠にて産み落としそして生んだことを忘れてさまよい、ある星をみて卵のことを思い出してもとに戻り温める、という話しがあり、迷える神の子、人の象徴である、という説。
そしてとりわけ卵はイースターエッグに表される生命の誕生、再生の象徴である。

いったいこの卵が何を意味するか、という推論は学者に任せるとして、ピエロ・デ・ラ・フレンチェスコの絵を見て必ず思うことがある。
これほど宗教性の強い絵画を主題に描きながら彼ほど宗教のもつシンボリズムから離れた別の象徴性を表す画家はいないのではないか、と。その意味では15世紀当時の画家の中ではレオナルド・ダ・ヴィンチと並んで稀少な存在である。神秘主義的で、シュールな作家である。
この祭壇画も中心であるはずの聖母マリアと御子、聖人、そしてパトロンであるウルビーノ公の存在よりも卵とその背後の貝殻の方が強い力を持って語りかけてくる。
遠近法に拘った建築物のディテールのほうが強い発言力をもっている。
この卵に秘められた画家の真なる意図を知ることができないのが誠に残念である。
宗教的な意味とはほど遠いあっと驚くような真義が隠されているような気がするのである。卵という根源的な形体、そしてその形体の中にある生命。
ピラミッドが大なるエネルギーの神殿であるならば卵は最小のエネルギーの宝庫のような気がする。
卵がまさにこの絵画のエネルギーの集約された一点であるように思う。
卵と鶏さてどちらが先か、という永遠なる命題を含み持つ気になるピエロの卵である。


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by jamartetrusco | 2008-12-21 01:14 | Arte (芸術)
2008年 12月 14日

月の及ぼすところ

おとといは満月であったが月が見えるどころではない大雨の続く毎日。
ヴェネチアは海が記録的に満潮にて文化遺産も危ない水かさで危機状態。
ローマもこの数日の大雨にてテーベレ川の水かさが増していまにも氾濫する
かの思いで市民はやや好奇心の混じった畏れを抱きながら川を見守る。
こんな大量の雨などあまり経験のないローマであるので川沿いにもさまざまな
あばら屋など建っていたりしてそれが水の勢いに抵抗できずに流されてきて
橋の欄干下にひっかかってしまって水の流れを留める。そのあばら屋の
残骸を撤去するだけでも一仕事である。
フィレンツェも1966年の洪水を思い出してどんどん勢いを増すアルノ川を
見ながら市民は不安げな様子である。
北部は大雪、南部のある地域では土砂崩れでひとつの集落が泥の下に埋まってしまった。

こんな感じの状況がこの数日続いていた。
昨日はやっと一段落、今日はこちらは日差しもやや出ている。
皆一休止というところ。まだこれから天候が悪化する可能性があるので
まだまだ安心できない。

こんな悪天候の理由を説明してくれるような記事を読んだ。なんとおとといの
満月は月が地球に30,000キロも近づいたPerigee(天文学用語で近点)の
日だったようである。もちろん38万キロも離れた月と地球の距離からすると
これはなんでもないかのようであるが、実際に月の明るさ、大きさはかなり
違ってくるらしい。一番離れているApogee(遠点)から比べると11%増しの
大きさ、20%増しの明るさであるという。
NASAによると通常の満月より14%大、30%明である、という予測で
あった。この近点の余波で満潮の高さも50cm増しである、という。
しかし洪水などの危険性はなく水が増すとすればそれは雨量のせいである、という
記事が続いている。

しかしこの記事を読んで思った。月が近づくこの近点をはさんで地球に及ぼされる
影響がないはずがない。月の影響は大なのである。満潮、干潮は言うまでもなく。
月が地球に最も近づく日であったおとといにいみじくもローマではテーベレ氾濫を
恐れていた。またこの1−2週間のヴェネチアの海水高は記録的であったのである。
これは実はすべてこの月と地球の近点効果のせいでは?
素人考えではあるもののこの大変重要な天文学的ニュースをイタリアではだれも話していなかったのは実に驚きである。
1966年のフィレンツェの洪水の年はどうだったのだろう。

などなど自然の不思議に思い巡らせた。
雨雲のおかげでこの大満月を見る機会を失ったが次回は2016年の11月14日
である、ということ。
さてその際には見ることができるか。または大雨の洪水にて流されているかも。

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by jamartetrusco | 2008-12-14 18:33 | Natura (自然)
2008年 12月 10日

サグラダ・ファミリア論争

バルセロナと言えば町の象徴のように思い浮かぶアントニ・ガウディの未完成の巨大建築サグラダ・ファミリア。ガウディの晩年のオブセッションの記念碑かのように天に向けてそびえ立つ。ゴシック、アールヌボー折衷様式とでも言える外観である。
建築施工開始から1世紀以上経ち、そろそろ完成へ向けての最終段階。
しかし今この進行中の建築に対して「待て」をかけようという運動が興っている。
カタロニアの知識人、芸術関係者を含めた約400人ほどのグループが声を挙げている。一言で言うと、この建築はガウディの本来の精神から逸脱してバルセロナの単なる観光集客のためのディズニーランドと化してしまっている、という批判である。
設計図もスペイン内戦時に焼失しているためますますややこしい。今ある設計案はガウディの元々のものに基づき現代の建築家の立案のもとに進行されているのである。
故に当然のことながらそれはガウディの手によるものではない。

サグラダ・ファミリアは近現代の建築史上、100年以上その建築過程が続き未だ完成していない、という極めて異例なケースであろう。
世界一の高層ビルですら数年で完成されてしまう現代の状況の中で100年以上かけて
未完成ということはたぶんその建築技術もかなり素材に拘った職人的な施工方法を取り入れているに違いない、そして、スペインの状況はわからないが、イタリアに近い精神構造からすると、現場の建築家グループ間の軋轢や、さまざまな業者の利権交錯、政権交代の度の人員交代や進行ストップなどなど想像するにやさしい。

サグラダ・ファミリアはガウディが事故による不慮の死を遂げた1926年の時点で
終わりとするべきだった、という反対グループの意見。
純粋な建築的価値から言うとそのほうがガウディの精神をそこに凍結できる意味で
確かにより良い判断だっただろう。その後の別の建築家の介入はガウディの精神から
遠ざかる危険性は多いにある。
しかし人類の建築史、モニュメントの存在価値を思うとそれぞれの時代の巨大建築は
一日にして成ったわけでないので、オリジナルの構想から外れたものも多々あるあに違いない。すでに完成した形で残る建築物(近しいところではフィレンツェのドゥオーモ、ローマのサン・ピエトロ大聖堂、ヴェネチアのサン・マルコ教会など)に対して現代の我々は口を挟む余地はない。しかし当時の関係者はおそらく進行中の建築を見てそれぞれうんちくあったに違いない。
絵画にしても弟子の手が加わったものも多い。

しかし、である。以上のような正論に聞こえる一般論については反対議論の知識人達はとっくに理解しているはずである。それにも関わらず今この時点で400人あまりの美術関係者が反対しているということは何かしっかりとした根拠があるに違いない。
たぶん使用している素材の粗悪化も含め、ガウディのオリジナル案に追従して平々凡々の建築家が悪趣味と化すような追加建築を施工しているという状況とか。
天才は真似はできないのである。故に真似て完成させようとすれば当然キッチュなものと変貌していくだろう。ハリウッド製の模型建築に遠からず、という問題が出てくるに違いない。この批判論はたぶんその辺を言っているのではと思う。
思うに、ガウディの息のかかった部分はそのまま手を加えず残しておき、そしてその後の追加建築は現代の優れた建築家が自身の設計案に基づいた現代に生きる建築様式を打ち出すべきではなかったか、と。ガウディの20世紀初頭の折衷的な様式の背後に対照的な現代様式があっても良いのである。
その意味で私はパリのルーブル美術館前に忽然と現れるガラス張りのピラミッド賛成派である。
伝統保存、継承、新たなる創造、革新。
建築に関わらず、すべての美術に当てはまる大変むずかしい論点である。



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by jamartetrusco | 2008-12-10 20:20 | Arte (芸術)
2008年 12月 07日

年の瀬に向けて

12月8日はImmacolata concezione (聖母受胎)の日でイタリアでは祝日である。
そして一般的にAlbero di Natale (クリスマス・ツリー)を飾る日でもある。
我が家はカトリック信者ではないのでいつも飾る日はまちまちであるが、今年は
三連休の最初の日でもある今日、土曜日に飾ることに決めた。
イタリアに長く住んでいるせいかこのキリスト誕生の祝いはどうもクリスマスと
呼ぶと雰囲気が違う。Nataleという方が情感溢れている。クリスマス・ツリーというと
なんだかコマ−シャルな感じで味気がない。Albero di Nataleという言葉が好きだ。
12月8日を堺に一気に年の瀬が迫ってくる感じは毎年同じである。

今年はいったいどんな年だったろう。
日本から夏に帰って9月以来、さまざまな思い、迷いが渦巻いている。
金融危機が世界中を吹き荒れ、オバマ大統領当選という唯一希望の光を与えてくれる
新たな時代の幕開けがあり、そして私が深く関わる美術界の先行きがおぼつかないこの3ヶ月間。
人間はこれからますます根源的な生き方をする方向へ向かうしかない。
宇宙の真実を自身の中に確認していかなければ人間の生きる道はないと思う。
小宇宙を体現すること。 
1929年にアメリカに端を発した世界大恐慌をこの危機と比べる専門家が多いようだが、根本的に別ものであると思う。当時はまだ資本主義の神話は崩れていなかったのだから。これからまだどうなるかわからないこの経済危機は基本的に資本主義システム
の限界、崩壊であろう。
共産主義の崩壊の後、当然来るべき人類の歴史の一幕であろう。
故に新たな解決策とは何か。それを見いださなければこれからの人類はどうなるのだろう。この50、60年に人類がこの地球に与えた被害はそれ以前の数千年のそれよりも
大きいのである。
そんなことを考えながら我が家のこれからの生き方を熟考する年の瀬になりそうだ。

今年は珍しく、というより初めて家族3人で冬休みに日本帰国以外の旅に出る。
スペインのバレンシア地方をまわってくる予定である。どんな発見があることか。

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by jamartetrusco | 2008-12-07 02:14 | Vita (人生)
2008年 12月 02日

先祖帰り

作家の作品制作というのは自身の本能的欲望、情熱、夢、拘り、嗜好、ある時期頭をぐるぐる巡る衝動から自然と出てくるべきものであろう。
もともと作家としてのアレはエトルリアやマニエリズム時期の精神文化、神秘主義、錬金術などに惹かれて、そこから得られる生命や宇宙の神秘と自身の存在との相互作用から作品を作っていた。それが彼の本来の姿である。

その後に日本との関わりができて、日本の文化、美術の持つ抽象の極致、意匠の斬新さに触れ表現が一変する。今までのシンポリズムに溢れる人物や風景やは消えさり、色彩と質感の勝ったひとつの事物を無心に追求する表現となった。抽象性も増した。
しかしそのような他の文化への憧れに似た傾倒も時期が来ればまた消化され、自身の属する文化や魂への追加的な栄養となるにすぎない。

今またひとつの転換期に来ている。無心に追求する姿勢は変わらないが、その主題が変わっている。肉食動物であるイタリアの血がむらむらと湧いてきている。人間をある種の肉塊として見るような生々しい表現が現れ始めている。動物の内臓で未来を占うような予言師が力を持っていたエトルリアのエキスが流れ出している。十字架にはりつけとなり血を流しながら死して行く救世主の存在する文化が浮上し始めている。血のしたたる分厚いビステッカを食べるトスカーナの大地が叫び出している。

そんな感じのする最近のアレの表現。この地で展覧会をする必要がある。
最近開廊したグレーベのギャラリーを初め他の空間を使って是非発表できたら
良いと思う。

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by jamartetrusco | 2008-12-02 19:38 | Arte di Ale(アレのアート)