<   2009年 10月 ( 4 )   > この月の画像一覧


2009年 10月 26日

目から鱗

この数日の旅を通して目から鱗が落ちた気分である。
もやもやとしたこの数週間の迷い、混沌の霧が突然と晴れたようである。
美術とはなんであるか、一体今の美術界がなんであるか、そしてそれが
どれほどの意味を持つのか、様々な疑惑や不信感、弱みに押しつぶされそうに
なっていた日々に終止符を打つかのように、突然やはり信じることへの
確信と自信が再度血の中に脈打つエネルギーとなったこの旅からの収穫。
もつべきものは友である。気持ちの通じる、アートへの同じ価値観を持つ友
と過ごす時間のなんと貴重なことか。
人と人の会話の重要さ。またアートへの気力が再生している。
アレを信じて。互いの信念をつらぬくために。

「アートとは叫びであり、概念でも説明でもない。
個的な存在の叫び。個的であるから同じ傷みと同じ希望を見知らぬ
他者と共有できる」
尊敬するひとりの作家からのメッセージを今日受けとった。

ますます確信を堅くした今日という大切な日。

f0097102_063872.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-10-26 00:07 | Vita (人生)
2009年 10月 15日

カラヴァッジョとベーコン、今日の感慨

イタリア、バロック画家の代表とも言えるカラヴァッジョとアイルランド生まれの画家フランシス・ベーコンを組み合わせた展覧会がローマのボルゲーゼ美術館にて開催されている。二人の時代も文化背景も全く異なるこの画家を並列して見せるというアイデアはある意味で現在の美術の見せ方を示しているようである。美術に東西、古今を問わずにその価値をひとつの焦点のもとに見せるという学芸の一志向である。従来行われて来た学派による展示、同時代の傾向を見せる展示、ある画家一人の作品紹介、などなど過去に様々な展覧会企画が試みられてきたが、時代と文化、国を越えてひとつの接点を見いだすという企画はすべて種も技も出し尽くした展覧会のあり方に飽きてきた現在に残された手段の一つであろう。
ともすると曖昧な選択肢による意味のない展覧会になる危険性もある。こじつけ?としか見えない後からの言い訳的展示主旨にもなりかねない。そしてお互いの作品を殺し合う結果ともなりかねない。

いったい肉体と精神の葛藤に表現のエネルギーをぶつけた400年の隔たりのあるふたりの画家の作品をつなぐ糸は何か?カラヴァッジョとベーコンに通じる日常の常識や平穏無事に身を寄せない生き方やダイナミックな表現方法、カラヴァッジョの明暗、chiaroscuroの表現様式、ベーコンの黒いキャンバスと叫びのある人物、生と死への直視、眼にする絵画は全く別物であるが、表現の背後にあるエネルギー源はどこか共通項があるようである。
このふたりがいずれも生存する画家であったならそれぞれが異議申し立てを唱えたに違いない。
この展覧会、どちらの画家も好きなので是非開催中に訪れてみようと思っている。
実際に並列された作品を見てから善し悪しを決めたいと思う。

美術評論家、批評家や美術館学芸員、ギャラリスト、美術を手段に仕事をするこれらの職種の人々に対してどこか言いようのない不満と諦めの気持ちがある。
自身の美術に関わる仕事をしているのでその分野への感心は多いにあり、また夫も画家であるから
実際に生きる術をいかに見いだすかなど日常の悩みと絶望感の源でもある。
どっぷりと美術につかりながら一体なにをして美術の上下の価値を決めるのか、わからなくなってきたこの頃である。
作家、芸術家などというのは職業に成り得ない。一人の人間の人となり、生き方、哲学である。
批評家にあれこれ言われるような状況に自身を晒して作家としてどれだけの満足感があるのかもわからない。ファクトリーのような他の多くの人々の力を借りた作品ではなく久々に(もしくは初めて自身で)筆を取って自作絵画を発表したダミアン・ハーストへのほとんどの批評家からのブーイング反響を読んで、批評家というピラニアのような軍団に寒々しいものを感じた。もともとあまり好意を持たない作家であるハーストであり、メディアを使ったその戦略は最後には自分の落とし穴となることは明白であるにせよ、作家が新たに作品を作りだすことのエネルギーは並大抵ではないのであるから。

ベーコンもカラヴァッジョもその意味ではまわりの反応や批評など蹴散らして自らの表現の許すままに人生を生き抜いた作家であることは間違いない。

f0097102_22365355.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-10-15 22:38 | Arte (芸術)
2009年 10月 10日

赤い塔のある風景

灼熱の太陽の黄金色、黄昏の黄金色。
血のようにどくどくと動き流れる。
火山から流れ出るマグマのような赤い塊。
エトルリアの大地からにょっきりと顔を出した塔の群れ。
緑や土色もその赤色に遠慮して王道を譲っているようである。

エネルギー、情熱、生きるということの真の意味。
何かに思い入れる情熱がなければ生きている意味などない。
情熱の炎を絶やさないように、煩雑な日常が邪魔をして心の
あるがままを見失わないように。
常識の影に自己の姿を見間違えないように。

そのように生きたい。

f0097102_21125157.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-10-10 21:13 | Arte di Ale(アレのアート)
2009年 10月 04日

美しい形の根拠

いったい何をして美しい形、を決めるのか。
様々な形がこの世の中を埋め尽くしているが、其の中から「美」を感じさせる形がある。
その形を美しい、と把握する根拠は何か。
美術史を知り尽くし、美の理解を深めたわけではない限られた世界に生きる人の作る
形が何故にこれほど説得力があるのか。
名の知れぬタイの陶工の作った壷の形。
コンゴの生活雑器。
楽器として作られたアフリカのモニュメント。
これらの美しさは説明の余地ない。無作為の美である。
美しいものを作ろうとして作られたわけでない。


f0097102_2248264.jpg


f0097102_22482251.jpg


f0097102_22534440.jpg


説明不可能な美という実体に時々戸惑いを感じる。
知れば知るほど遠のいていいくような、知らないが故に到達できる深淵のような。
人間の智慧などこれらの無限な力に比べればいかなるものか。
ただこれらのものを美しいと感じられる目線の由来は何か。
美の追求は自分の尾っぽを追いかける蛇のようなめくるめく無限の探求であろう。
[PR]

by jamartetrusco | 2009-10-04 22:50 | Arte (芸術)