トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2010年 01月 27日

殺戮 - massacro

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おとといの薄暗い薄ら寒い月曜日。ついに庭の木と言える木が切り倒された。
ここに住んでずっと見慣れて来た目の前の椰子の木。ひょろひょろと上に延びて
危なげな様子で先日の強風のおかげでやや傾きかけていたとは言え、長く生きて
きた木である。大家さんの長男が生まれたときに記念で植えたと聞いているから
少なくとも40年以上経っている。ぶつぶつと切られて跡形もないその姿。
杉の木はすべて今後のことも考えて強風にて倒れた木の他に辛くも残っていた
2本を切り倒した。
そしてマロニエの大木、これもどんどん成長するのでこの機会にとばっさり剪定。
木の形もなにもない不細工な姿に。そしてもう一本の椰子の木も消えた。
残ったのは木の残骸。庭を歩くことなど無理なほど積み上げられた残骸。
死骸。無惨な光景。
まさに木に対する殺戮である。自然へたいしての人間の奢りである。
数十年もかけて育ったきた命をたかだか数時間のうちに電動ノコギリで切り倒す
その行為の残酷。大家は何か感じているのだろうか?見るのが辛いから自宅のある
ボローニャから監督に来なかったのか?そんな感性がまだ残っていればまだ救いが
あるが。こんなことをするはめになったのも日頃から愛情を注がずに延び放題に
したからである。毎年のように植木屋を入れて手入れをしていればこんな手段は
使わなくて済んだはずだ。常からのお金は使いたくない、そして最後はもっと大変な費用と
そして無惨な庭が残るのみ。

昨日はこの木たちの命を嘆いてかしとしと雨が降った。
私の心もこの生命に対して涙した。このところイタリアでアウシュビッツの解放を
記念してそれに因んだ映画やドラマなど続いている。今日が其の記念日である。
すかっとした快晴の今日。解放日とは対照的に残骸となった木達にも祈りを捧げたい
と思う。


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by jamartetrusco | 2010-01-27 17:49 | Vita (人生)
2010年 01月 22日

白黒 versus 3D

このところ話題をかもしている3D映画のアバター。見ようか見まいかと未だに迷っている。
次世代映画として3Dがこれからますます力を増してくるのは明白であるものの、どこか
それに対して抵抗したい自分がある。映画というのはまずは物語の充実、映像の美学、
そして監督の映画制作に対する哲学など、見るにあたって大事な条件がある。
私は映画に対して特に文学的、政治的理念を重視するような、要するに左翼系インテレクチュアルの
批評家が好みそうな映画ばかりを好むわけではない。娯楽映画も大スペクタクルも好きである。
もちろん心に長く残る映画やそういった映画を作る真の芸術家としての映画監督の手腕はおいておや。
タルコフスキー、黒澤、小津、オーソン・ウェルズ、ハーツォック、ヴィスコンティ、ペドロ・アルドモバルなどなど大好きな映画監督である。彼らの作り出す映画は単なる娯楽ではなくひとつの芸術である。さらに芸術作品とまで言えるかわからないが娯楽映画大作としての醍醐味もあり、監督の制作哲学と拘りがある監督として好きなのはティム・バートンやリドリー・スコット、グリエルモ・デル・トロ(この監督はまだまだ作品をみたい)など。
特にリドリー・スコットは名作、秀作、駄作などいろいろ混じりながらもその制作姿勢に感銘する監督である。
彼のディレクターズカットに含まれる制作過程の記録は群を抜いて優れている。映画を作るのがどんなに
楽しいかをまざまざと見せてくれる。もっと若かったら彼の所の美術部にでも弟子入りでもしたいと思ったこともある。彼らの映画は映画魂がある。

さてこの3D。まだ一度も見ていないので3Dの魅力に触れていない一人であるが、どこか胡散臭いものも
感じるこのテクノロジー。要するにますますヴァーチュアルリアリティーの効果に訴え、人間の隠れた想像力を
奪い、目の前に現実とも夢とも思えるような映像世界を作り出すことなのだろう。前作の「タイタニック」の空前の大ヒットから10数年経って今映画伝統を変えるかのようにつきつけられたこの3Dの「アバター」の見え透いたハリウッド商戦に抵抗があるのである。映画が3Dである必要はあるのだろうか?
そのうちに現実の空間まで操作するコンピューターグラフィックやソフトが出てくるのではと薄ら寒いものも
感じる。事実、アバターを見た後にその3Dの映像世界の虜となって現実の灰色世界に直面できずに憂鬱症に陥ると言ったアバター症候群みたいな人も出て来ているそうな。信じがたいことだ。
ハリウッドが経済危機にて大きなお金が動きにくなっている今でこそ、こういう力みがある映画を大成功に結びつけたい悪あがきがあるようである。こういう時代であるがこそもっと実のある映画を見たいと思う。
小津安二郎の映画のようなうるさい会話もなく淡々とした日常生活を描写しながら人間や家族のあり方、表裏の奥底を抉るような映画に飢えている。
原点に戻る姿勢、白黒の世界の豊さと厚みを芸術は思い起こす必要があると思う。

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by jamartetrusco | 2010-01-22 23:00 | Cinema (映画)
2010年 01月 17日

曲芸師のような木

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オリーブの根っ子の彫刻は一休止で、今アレの凝っているのはパイブの原材料
であり軽く堅い耐火性の木材であるブライヤ。彫れば彫る程形が面白みを増す。
オリーブよりさらに希少価値のある木材である。
かなり堅木であるので彫るにも大きな力エネルギーではなく手元の力、蝮指に
も似た手先の器用の必要な素材である。
コンコン、カンカン、と音の激しいオリーブの根の
彫音は不在で、まったく音がしない。
無言の中からいつしか生まれでてくる小さな彫刻達。
どれも手の中に入るぐらいの大きさの塊。
手の油にその艶を増してくる。形はオリーブと同じく人型に近く、さまざまなくねり、
うねりを備えている。まるでオリンピックの体操選手の
アクロバティックな動きに似て。
山火事にて黒く変色した部分すらまるで必然性を持つかのようだ。
小さいながらも内エネルギーを秘めているように見えるのはこの木の持つ本質のせいか。
心や魂を恍惚に運ぶパイプの素材であるのも何か根拠があるのかもしれない。
こんな自然の力に毎日触れる作家の心は自然の鼓動と繋がっているに違いない。

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by jamartetrusco | 2010-01-17 22:30 | Arte di Ale(アレのアート)
2010年 01月 13日

猫のミヌー

我が家の新しい一員であるミヌーはまだ子猫であるので好奇心旺盛である。
地元の住民で娘の友達のペアトリーチェがある日突然と連れてきた。
あまりにも可愛い生まれたばかりの子猫であるので断るわけにもいかない。
長い間子猫をほしがっていた娘は当然ながら大満足にてこの子猫の受け入れ
人となる。
その後の様々な問題(長期間不在するときはどうする?)を理解していながらも
断れないのが人間の性である。
生き物の尊さと愛おしさを子猫は体現しているのだから。
というわけで9月末から我が家の一員となっている。
外からなんとなく出入りすることとなったビルバは当初はかなり不満気であったが
そのうちに母性本能が芽生えたのか、まるで我が子のように謹んで世話するように
なった。ビルバは母になったことがないので母たることがなんであるかわかっている
のか不明であるものの、小さい存在に対してのいたわりの心は本能であるようである。
とは言え嫉妬なども本能的な感情であるらしく、ミヌーが来て以来ビルバもどこか
子供の甘えが生まれている。今まで口にもしなかった食物もミヌーと負けじとばかり
食らいつく。この辺の猫の心理は不思議である。
愛情と反撥が並存しているかのようである。
ミヌーの好奇心は家の隅々まで知ることから、庭の隅々を知ることから始まり、
とりわけアレのスタジオの環境はとっておきの冒険である。
冬の間に彫刻するアレののみの音につられて毎日のようにその動きを眺める
様子は忠犬ハチ公のようである。
猫の不思議はまだまだ奥深い。

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by jamartetrusco | 2010-01-13 23:58 | Natura (自然)
2010年 01月 10日

嵐の後

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昨日土曜日の明け方信じられないほどの強風を伴う嵐が我が集落を訪れた。
家が飛ばされそうな風の音。とても寝られるどころではなくテラス
に置かれているすべてのものが跡形もなく消えているのではと床から
想像する。風と雨の轟音があまりのも圧倒的で物の飛ぶ音など全く聞こえない。
そのうちにやや風が修まったのか少しうとうとしてから起床してテラスを覗く。
プラスティックの椅子や外履きの靴から何かからなにまですっとんでいる。
風の力の強さをそのまま顕すテラスを被い尽くす葉っぱや土や壁の一部の
漆喰やら。やれやれ、というため息。
そしてなんだか光が違うのに気づく。雨模様であるから光は限られているけれど
なんだかいつもと様子が違う。はて、と思い右側を眺めると目に入るはずの杉の
木が見当たらない。そこにはすっぽり遠景まで見渡される景色が広がっている。
アレが「杉が風で倒されたんだ!」と叫ぶ。
未だ残る雨風の中雨着をすっぽり頭からかぶってテラスに出てみるとなんと
今まであった杉の木がざっくりと倒れて庭を被いつくしている。
風が左から右に吹いたおかげでテラスに倒れかからなかったのが不幸中の幸いである。
でなければテラスも壊れていたかもしれない。

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午後になってやや雨も修まってきたので下に降りてみて強風の被害をまざまざ
と目にする。林立していたためあまり育ちが良くなくひょろひょろとやせた杉3本が
ドミノのように倒れしなだれている。根子が土台である石畳をざっくり押し開けて。
無惨な杉3本、通りに向けて飛出している頭の部分は消防隊が来て切り落とした。
我が家の出入り猫ビルバと最近我が家の一員となった子猫のミヌーがこの
目新しい光景に驚きながらも興奮して走り回る。

改めて自然の力の強さを見せつけられた。我が家の庭の杉3本の他にやはり同線上に
位置する家の木が倒れたらしい。そこにも消防隊が入って家に倒れかかった木の
撤去を朝から行っていた。強風の通り道がこの集落の我々の側面だったことは明白
である。
今まであった木が忽然と消えるのは淋しいものであるが、遠景をふさいでいた木が
消えて突然に現れた広々とした光景に不思議な感動も覚える。


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by jamartetrusco | 2010-01-10 20:00 | Natura (自然)
2010年 01月 08日

一体どこまで?

新年早々あまり明るくない話しでニュースは一杯である。
クリスマスにアムステルダムからデトロイトまでの便内でのテロ未遂から
飛行場の荷物、身体、靴のチェックに次いでついに人体スキャナーを導入すると言う。
アメリカへの便の搭乗口に限ってかどうかはまだわからないが、少なくとも
イタリアではすでにローマ、ミラノ、ベネチアの飛行場のアメリカ便のターミナル
にてこのスキャナーの機械を3月から入れることを政府は明らかにしている。
イタリアですら行うのだから私が利用せざるを得ないロンドンの飛行場で人体スキャン
が行われることは間違いない。
この機械は昨日のイタリアのニュースで10台導入に2百万ユーロ(3億ぐらい)
かかると言う。こんな大金を他の有意義な目的のために使えないのか?
そしてこのようなスキャナーによる人体への弊害はないのか?

一体どこまでテロ対策過剰を続けるつもりなのか、自分のしっぽを噛むためにぐるぐる
無意味にまわる生き物のような無駄なエネルギー。
今回のテロリストの目的の一つはまた恐怖と混乱を生み出し、
さらに過敏な反応を西欧諸国におこさせることではなかっただろうか。
9/11のテロから十年間経った2010代をまた混乱させるために。
右往左往する西欧諸国の反応にほくそ笑む主犯を想像できる。
もちろん乗客の安全、テロ対策、それは必須のことであることはわかる。
しかし本当にテロを実施しようと思うのなら、飛行機に限らずどこででも可能なのである。
列車でもバスでも空港内でも。2005年のロンドンでの地下鉄内での自爆の悲劇の後、
地下鉄に乗る前にボディチェックなどないのは、そんなことは事実上不可能だからだろう。
ところがフィレンツェの市庁舎に入る前に住民は荷物チェックをするために列を作らなければ
ならない。単に住民票をとりに行かなければならない住民すら、である。
これによってフィレンツェ市民がどれだけ不都合を被っているだろうか。
美しい15世紀の建物内に醜いXrayの機械が置かれる状況。
そして市民がどんどんとプライバシーと自由をおかされていく現在の状況。
ボディースキャナーの次は何が出てくるのか。

テロリストの攻撃に真に答えるには全く動ぜずに今まで通りの生活と自由を享受する
べきなのである。テロに屈しない姿勢に相手もまた反応を変えるはずである。
恐怖をあおり、翻弄される西欧諸国の対応をいいかげんにやめるべきではと思うのである。
人間が恐怖政治のもとにどんどん微小化、矮小化し、思考体系の鈍化を進めていくような、
言いようのない憤りを感じる。


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by jamartetrusco | 2010-01-08 19:56 | Vita (人生)
2010年 01月 04日

Migliori auguri

謹賀新年。

2010年の始まりを祝って、ローマで過ごした大晦日の花火の光のごとく
輝かしい新年となってほしい。


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by jamartetrusco | 2010-01-04 22:12 | Vita (人生)