<   2010年 05月 ( 6 )   > この月の画像一覧


2010年 05月 26日

あひるの子と猫

田舎に住むことの良さは生き物や自然と生活をともにできること。
原住民であった赤猫のビルバは年ごとに新たな住民の存在を
受け入れるしかないのを本能的に分かっているようである。
ハムスターのレミーが昨年6月に加わり、そして9月には拾われて
きた灰毛のミヌーが転がり込む。そしてつい最近登場したのは
アヒルの子、ダッフィーである。グレーベの川辺で親とはぐれて
危険な目に合っていたのを娘とその友達が救い連れ帰ってきた。
アヒルの子をまじかに見るのは初めてで、鶏みたいなものかと
思っていたらとんでもない、とても賢い。そして人懐っこい。
人の歩く後お尻をふりながらついていくその姿はことの他愛おしい。
なんでも食べるのでさほど苦労はしないし、暑い日には川辺にて
水遊びをさせるのもなかなか楽しい。忘れていた子供心がよみがえる。
夕暮れ時になると自分の住処の篭の中に自ら入っていく。
奇麗好きで毎日何回も行水。

生き物の命の価値と共存することの重要さを猫もアヒルも教えてくれる。

f0097102_23464072.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2010-05-26 23:47 | Natura (自然)
2010年 05月 21日

黄昏の雲

夕焼けの雲
夕刻8:30。
一日一日と長くなる日。
こんな雲を見るのは初めてである。
自然の偶然の素晴らしさ。

f0097102_349755.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2010-05-21 03:50 | Natura (自然)
2010年 05月 13日

記憶にある形

アレの彫刻は彼の遠い「記憶」の中から生まれ出てくるかのようだ。
オリーブの木の形でも、石やアラバスターの彫刻でも常に反復される
有機的な形がある。
人体にも見える独特の艶かしい形である。
エトルスキの横たわる人型にも見える。
もっと彫り込んでいけばくっきりと見えてくる具象の形体にならない
一寸前であるから尚想像力を駆り立てられる。
だからこそ未完の美があるとも思える。
アレ独特の香りがある。

昨晩久々に生き方について、物を作る意味について、何故に我々は
存在しているのかについて、アレと語った。
このところ随分と忘れていたように思える存在の価値を考えた。
生きる勇気を得た。

f0097102_2120838.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2010-05-13 21:24 | Arte di Ale(アレのアート)
2010年 05月 09日

5月病

火山噴火の影響で日本に行きそびれていなければ土曜日の今日帰宅した
ところである。
短期間の忙しい日本滞在もこの歳になるとあまり気が進まないとは言え、やはり
日本の空気を吸うことができなかったのは結構体に堪える。滞在中にしようと
思っていた様々なこともそのままになっている。夏に向けて展覧会の企画も
相談しようと思ってがそれも今となってはメイルでやり取りするしかない。
直接会って話しをするのとはだいぶ様子が違うものだ。
そしてこの1週間の悪天候。つい先週の初夏のような天気とは打って変わって
毎日雨と曇りばかりの涼しい初春に逆戻り。今年の天気の悪さにはもう体も
心も辟易している。
こういう状態を五月病というのだろうか。5月は春真っ盛りのつもりでいても
案外天気が悪いことが多いと言う。五月晴れというのもそんな不安定な天気の
中で訪れる快晴の日の有り難みから来た表現と聞いたことがある。大都会で
暮らしていれば天気の善し悪しなどあまり気にならないのかもしれないが。

このところのギリシャ国の経済破綻に始まり、ヨーロッパはユーロ導入以来の弊害が
じょじょに露見し出しているような気がする。ギリシャ、イタリア、スペイン
など、ユーロ導入以前はさほどお金などなくても豊かな自然と食生活で
楽しく生きていた地中海地方の人々の生活。その後のユーロ統一にて貨幣も失い、
生活費も上がり、一体なにが良くてこんなばかげた経済システムに巻き込まれなくては
ならなかったのだろう。潤っていくのはただただ一部の投資家と腹黒い輩のみであるような
そんな世界のどこが良いのだろう。人間本来享受するべき権利など考えると進歩などなく
後退の一歩であるような気がする。
絶対にどこかが間違っている現在の経済社会状況。
ギリシャばかりか他の国もいつかパンクする日は遠くないように思える。
[PR]

by jamartetrusco | 2010-05-09 02:22 | Vita (人生)
2010年 05月 04日

再び木彫

f0097102_18144724.jpg


先日紹介した木彫家ルカに続いて、惜しくも熟年期に亡くなっているGiorgio Picciniー
ジョルジョ・ピッチ−ニの作品展が同サン・フランチェスコ美術館にて開催されている。
作品展といっても彼も含めた10人の作家のグループ展で、手法は違うがグレーベ近くの
集落Lamoleに住むという共通項のある作家達である。
"4 Elementi" (四大要素)という題名に匹敵するような力強い作家は残念ながら彼だけである。
今は亡き作家へのオマージュを兼ねた展覧会である。
彼の作品に初めて遭遇したのはアレとこの地域に住み出した当初隣街のPanzano in Chianti
近くの人里離れたEremo alle Stinche という隠者の住むような僧院を訪れた際である。
薄暗い礼拝堂内に置かれていたオリ−ブの彫刻はキリストを象ったものと思われるが精神性を
強く感じさせる凄みのある人物像であった。
実際に会ったこともある。アレが初めてグレーベにて個展を開いたときに訪れてくれた。
隠者のようなどこか超越した感じの小柄で温和な人柄を今でも覚えている。
彼の作品はこの付近の小さな教会内に置かれている場合があるが、ほとんどの場合ミサのある
日曜日以外は閉まっており、なかなか日常ではお目にかかることはないので今回の展覧会は
貴重な機会でもある。

作品数がもう少しあると良かったがそれでも置かれているオリーブの彫刻はいずれも迫力あるもの。
オリーブの木の歪曲した形体から人間が自ら外に出ようともがいているようなどこか痛々しい作品。
彼はおそらく病を煩い死を予期していたのだろうか、生命と死を強く感じさせる作品ばかりである。
木彫というと仏像である日本とは対照的にカトリックのイタリアではキリスト像や聖母マリア像である。
そして人間を抱擁するかのような仏教に対して痛みのあるカトリック教の精神文化の根本的違い。
生命の誕生もどこか生々しい。赤子を抱く像を取り巻くいくつかの顔面は何を意味するのだろう。
十一面観音と同じような功徳の意味を持つのだろうか。
語るのは今では作品のみである。

f0097102_18121683.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2010-05-04 16:48 | Arte (芸術)
2010年 05月 01日

石畳

家の下の庭の杉の木が倒れ、そしてその根が下水道の管を壊していたことがわかり、
庭の石畳をすべて掘り起こして管の交換を済ませた。
土がむき出しになり、雨が降れば泥だらけ、晴れて風が吹けば土埃となりという
状態が続いていていたがやっと先週からmuratoreー左官ーが入って石畳の再生を
開始。セメントの上に石をうまくモザイクのようにのせていく作業は簡単なようで
なかなか技術が入りそうである。水平にレベルを合わせるための四角い金棒を縁に
合わせてかんかんと石を合わせていく。あっという間に石畳の小道を完成させていく
様子をテラスから見るのも楽しい。形を整えるために石切をするのだろう。大小様々
な形をうまくパズルのようにはめ込んでいく。これもひとつのれっきとした文化である。
石モザイクのシンプルな美しさ。
初夏のような太陽がまぶしい。


f0097102_005881.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2010-05-01 00:01 | Paese (土地柄)