トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2010年 11月 30日

巨匠の偉大なる死

イタリアの映画界でブラックユーモア溢れるコメディ映画で知られる映画監督の
マリオ・モニチェッリが昨晩ローマの病院の上階から飛び降り自殺して亡くなった。
95歳であった。トスカーナ、ヴィアレッジョ生まれ。
95歳という高齢にての自殺。皆一応に彼の映画監督としての業績と突然の
自殺に戸惑っている様子である。癌の診断を受けて入院して直後のことであった。
死ぬときは回りに迷惑をかけずに苦しまずに死にたいと生前から語っていた
監督であるのでこの自殺はどこか彼らしく、死ぬ時まで自身の哲学を通した
ようである。あっぱれと賛したい。
彼の名前はロッセリーニ、フェリーニやヴィスコンティなどの大御所の巨匠と比べて、
喜劇映画の制作のためか世界的にはあまりられていなかったかもしれない。
しかしイタリアの戦後の庶民の生活と人間の喜悲劇を表す作品は一言に値するものだった。
彼の代表作品は原題で"I Soliti Ignoti", "L'Armata Blancaleone", "Amici Miei", "Il
Marchese dell Grillo"など。すべて実に劇的で笑いを誘う名作である。これらの映画を
見るとイタリアのいや、トスカーナのユーモアのエッセンスがわかると言えよう。
テレビでの最後のインタヴューでも実にしっかりした頭を持ち、イタリアはこれから
どうしたら良いのか、という質問に対して、解決策は言いたくない、と言いながらも、
最後に一言、イタリアは過激な革命にて現存のパワーをすべて駆逐するしかない、
過去に一度も革命が起こっていないのだから、と述べた。
最後まで過激に生きた巨匠である。
巨匠のご冥福を祈って。
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by jamartetrusco | 2010-11-30 22:21 | Cinema (映画)
2010年 11月 29日

肯定的な生き方の導く処

アントネッラがトスカーナに戻ってきた。フランスでの20年来の人生に終止符を打ち、
フィレンツェに帰郷した。ビデオアーティスとして制作を始め、当時の詩人であり、
前衛音楽家である夫のアントニーとの作家同士の共同制作の展開とその後の決裂、
その後もさまざまな出会いや別れ、引っ越しなどを繰り返しながらその都度、作家
としてのアイデンティティーを深め、人間として、女性として、母としての
魅力を益々増していく彼女と、長い間知り合いではあったものの、急速に親しく、
懇意となったのは彼女が日本に来る決心をした2008年のことである。
フィレンツェの典型的な富裕階級に生まれた彼女であるが、お父さんはクロアチアの
血縁を持つ。故にフィレンツェが最高の場所と信じて疑わない保守派の”Firenze Bene"
(フィレンツェの家柄の良い子息子女の意味)の同族と違うどこか国際的な感覚を持つ人であった。
それでも深く話し、長く会話したことがなかったのであるが、いつだったのだろうか。
彼女が息子同伴で来日しようと決めたのは。持ち前の対人関係と広報力の手腕でフィレンツェ人
でありながらフランスでのアートの助成金を獲得し、2008年展覧会を開催するという
目的でうまく来日が叶った。
暑いまっさかりの京都で短いながらもビデオインスタレーションを手伝い、2週間程の滞在中
に様々な交流ができたおかげで彼女のひととなりを深く知ることができた。
心を分かち合える友人というのは長く知るということではなく、一回の会話でも即座に決まる
のだと実感したのもこの時である。
その後彼女の住むフランスの古い町トロワのアトリエを訪ね、彼女の公私ともどもの人生に近づいた。
そしてちょうど一年前、フィレンツェを訪れていた彼女が新しい出会いを打ち明けてくれた。
初恋の人であり、数十年ぶりに再会した、フィレンツェに住み働く彼のことを。
10代の初恋の人との久々の再会、そして再び恋に落ちる、なんてドラマチックだろう。
そして現在フィレンツェの新居の改装完成までヴィッキョの彼の家族の家に住んでいる。
フィレンツェ北部の田舎の美しい家で新生活を謳歌しているアントネッラ。
彼女と会うと常に学ばされることがある。それはアントネッラの人生への肯定的な生き方、
常に機嫌良く楽しそうに、笑いとともに明るく生きる、その様である。
彼女の中に不満や怒りのエネルギーを感じたことがない。
常に前向きに生きるその姿勢はまた常に彼女を助ける人を生み出し、良い状況を生み出していく。
2008年に初来日したときもたまたま明きがあったフランス文化会館のアーティスト
レジデンスの家に泊まることができた。素晴らしい環境のヴィラ九条山である。
そしてユーロが円に対してもっとも強く、ユーロを換える彼女にとっては最高の時期でもあった。
8月半ばまで滞在したが、リーマンショックはその約一ヶ月後である。
トロワのアパートもこの不景気な時期に売れた。すべて契約を終えてフィレンツェへの引っ越し。
彼女には幸運の女神が常に微笑む。
それは幸せを身をもって感じ、機嫌良く生きる彼女の肯定的生き方の賜物であると思うのである。
古くから知りそして新しく知る彼との人生を享受する彼女を傍らに、人生の生き方への
心境地をあらためて学ばされた思いである。
Viva Antonella!

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by jamartetrusco | 2010-11-29 18:42 | Vita (人生)
2010年 11月 24日

象徴としてのひまわりの種

ロンドンのテート・モダンのターバン・ホールでのアート・プロジェクト。今回観たのは中国の作家アイ・ウェイ・ウェイのひまわりの種プロジェクトである。彼は一昨年の北京オリンピックの競技場の鳥の巣ような建築をデザインしたことで有名だが、元々はインスタレーション的彫刻作品を作る現代の作家として世界的に認められている。中国大陸のアーティストが時とするとグローバル化した現代アートの傾向を単に模倣的追従するだけのものに終わる中で、異色なエネルギーを見せている作家である。父親が毛沢東に意義を申し立て度重なる弾劾と迫害を受けた知識人であることもこの作家の制作哲学を見る上で見逃せない事実である。
今でこそ資本主義を自国の発展のために利用した経済政策を打ち出し、世界の経済大国にのし上がった中国であるが、国の根底は未だに独裁政権と貧富の著しい落差、人権侵害、言動の自由の制限の上に成り立っている。アイ・ウェイ・ウェイは自国の長い歴史と文化を再評価し、その中にある矛盾と困難を直視する。その表現はアートに興味のないものでも大変理解しやすいものであると言える。

ひまわりの種プロジェクトは過去5〜6年に渡って実現されたもので、要を言えばたひまわりの種をホール一面に埋め尽くしたインスタレーションである。何が特別かと言うとこの原寸大のひまわりの種は本物のように見えて実は磁器製であることである。いったい何個の種かできているのだろうか? 少なくとも一億個はあるだろう。
これらの種は古くから陶磁器生産で有名な景徳鎮にてこの2年半をかけて2000人足らずの職人の手を借りてすべて手作り、手描きにて制作されたものである。制作過程の簡単なドキュメンタリー映画を上映していたが、今では往年の繁栄の見る影もない景徳鎮の寂れた感じの窯業場で、ほとんど家内工業に近い職工達が毎日毎日無数のひまわりの種を作っていく様子はユーモラスでもある。手先の器用さは抜群であるから摘むのも技がいるような種の型をした白地の磁器に筆で上手にひまわり独特の筋を描いていく。内職として家事の傍らに家に持ち帰って作業する女性達もいる。これらの人びとは一律にいったい何のためにこんなにたくさんの数のひまわりの種を作るよう頼まれたのかわかっていないのだが、仕事とお金をもたらすということでこの作家を「ひまわりの種」の人と呼んで歓迎したらしい。あるひとつのダイナミックな芸術形体の制作とそれに協力する無名の人びとの日常作業の超現実的な交わりが面白い。
毛沢東が自身を太陽とし、中国人民はその太陽のある方向に向くひまわりである、と喩えたプロパガンダヘのひとつの異議申し立てとしても取れるこのインスタレーション。当初は種の絨毯の上を人びとが歩き、触ることによって体験できたのだが、踏まれた磁器製の種から細かい粉塵がたちのぼり、それを吸い込む観衆の健康への危惧から衛生法によってその場を歩くことは禁止されてしまった。今はただ外から観賞するのみであるのが残念である。10数億の人民を象徴するひまわりの種、国の力の影に踏みつけられる多数の人民の存在、という意味も含まれていたに違いないから。

ほとんど色のない灰色の世界。灰色の無数の粒からなるこのインスタレーションは寂とした白黒の大海原を視るような美しさがある。。簡素な形体が集まった中から生まれる不思議な光景とそれが象徴する風景。概念的ではなく本能的理解を促す。

大きなスケールのプロジェクトであるが何と言っても中国製であるという事実は過去の多くのプロジェクトよりも費用がかからなかったのでは、と思うのは下世話な想像である。

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by jamartetrusco | 2010-11-24 00:27 | Arte (芸術)
2010年 11月 13日

雨,雨さらに雨

ここのところ一週間雨, 雨、また雨。
どしゃぶり、ざーざー、しとしと。
太陽がこの世から姿を消したかのようなどんよりした毎日。
体も頭も湿気が入って機能を落としつつある。
この大雨の被害はあちこちに出ている。
トスカーナの土砂崩れ、ヴェネト州の川氾濫、カンパーニャ州にサレルノ
での洪水。特にヴェネト州の川の氾濫で家屋、工場など1メートル以上の
床下浸水ですべてを失ったという人々が多くでている。
かのポンペイでもグラディエーターの家がある朝こつ然と倒壊した。
修復のずさんと大雨のせいらしい。
11月はイタリアでは雨期であり、過去にも歴史的に有名なフィレンツェの
11月4日の大洪水などあるのでこれも天災のひとつと言えるのかも
しれないが、どこか違うようにも思える。
どうも近頃の天災の影には人間の愚かな作為が潜んでいるようである。
従来の水の流れを無理矢理に変える、また水の流れがあったところを
コンクリートで埋める。昔は家など建つはずもない山合いの崖を崩して
家を建てる。
アイルランドやスコットランドでも暴風雨が猛威をふるっているらしい。
日本では昔は「鉄砲水」が出るなどという表現を使ったが今では
「ゲリラ豪雨」と言う。
自然までどうもテロリストの様相を帯びてきているようである。
人間社会の歪みが自然にまで及んでいるのだろうか。

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by jamartetrusco | 2010-11-13 17:36 | Natura (自然)
2010年 11月 08日

頭の整理

ここ10日ほど様々な思いが頭を巡る。
アレの作品のプレゼンテーションを用意しなければならず、これまでの制作活動について
の作家紹介文を日本の複数の友人達にお願いした。おかげでアレの過去10数年の営みと、
ともに歩んできた道程を振り返る機会となった。1996年の東京での初個展。
友人の住まい兼展示スペースを壁のペンキ塗りから始めた手作りの展覧会。
いまだ未熟ながら初心のエネルギーに満ちていたその頃。なんと喜ばしいひと時であったか。
そして2001年、京都の初個展であり、その後のアレの制作哲学の起点となった法然院での個展。
私と娘は日本に残り、ひとり帰宅した2ヶ月の間にまるで何かに取り憑かれたかのような
エネルギーと集中力で生まれてきたこの作品群。
法然院という場所の聖なる力も加担したかと思えるほど即興性と精神性に溢れたもの。
今でもこれらの作品は新鮮で力強い。
その後2005年の京都イタリア文化会館での2人展、「大地と大気」。
フィレンツェと京都の姉妹都市提携40周年記念展であった。京都との縁が深まる機会でもあった。
ひとつの人の輪がまた次のひとつの輪につながり大きな輪となり広がっていく過程。
ある段階から次の段階へとゆっくりでも着実に進むためには、情熱をもって
何事も無駄を覚悟で実行し、信じる道を歩んでいくことであろう。
すべての経験が次の展開への糧となり実りを生む。
それなしには今の我々はない。
未知の体験への思いと予感を抱きながら今日の日を有り難く思う。

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by jamartetrusco | 2010-11-08 23:01 | Vita (人生)
2010年 11月 04日

Tusciaelecta

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Tusciaelectaトゥッシァエレクタと呼ばれるキャンティ地方の各都市を中心に開催される現代美術展がある。1996年に発足し、キャンティ領域内の様々な町の中の屋内、屋外の会場に点在した形で企画される広範囲の地域展覧会である。地域の歴史や自然に見合った作品の展示や常設の設置など様々な形でアートを地域に広めていこうという動きである。発足した1996年はかなりの規模で作家もマリオ・メルツなどの世界的に著名な作家も含まれてのものだったが年々景気を繁栄してか小さくなってしまったのはやや残念である。しかし続けることに意義があるとも言える。
今年はインプルネータ近辺に焦点を当てて企画された。インプルネータはフィレンツェ圏内にある小都市で、11世紀建造のサントゥアリオ・ディ・サンタ・マリア教会が広場に堂々と建っている。この教会は基盤はエトルリア時代と云われ、この地域内では特に重要な歴史建築物と見なされている。
この他にインプルネータが有名なのはそのテラコッタ産業である。フィレンツェの大聖堂の円蓋の煉瓦も建築を担当したブルネレスキがこの地域から求めた伝えられている。中世、ルネンサンスの時代から煉瓦造り、テラコッタ造りで栄えた地域ということ。良質の粘土がこの辺りに豊富であるのがまず第一。赤レンガではシエナ圏がとりわけその製造と使用で有名であるが、インプルネータの煉瓦の
方が土質が良いのか寒さに強いと聞く。ひび割れる危険性が少ないということであろう。

この展覧会のメイン会場はインプルネータの町から少し出たところに位置するPoggi Ugo—ポッジ・ウーゴーというテラコッタの工房。この工房は14世紀から存続し、この地域では最も古く大きい窯場と言われる。他にあまり見られない正方形や渦巻き型など珍しい形の植木鉢や壷も生産しており現在の経営者がデザイン志向で、自分たちの工房の特殊性を打ち出そうとしているのがわかる。処狭しと並んでいる大壷の群れ。やや白味がかった赤色の質感は通常のねっとりした赤色とは違ってなかなか美しい。デザインも通常の花や果物のモティーフがふんだんに使われた装飾過多のものは少なく、すっきりしている。

この工房で制作した煉瓦を使った作品としてアメリカ人の彫刻家Alain Sonfistの常設インステレーション、題してBirth By Spearのお披露目があったのだが、自然との共鳴を目指すランドアートとしては幾分力に欠けるように思えた。せっかくの素材と自然を活かしきれていない。この作品よりそのシンプルさと大きさで目に留まるのはイタリアの彫刻家、Staccioliスタッチョーリのテラコッタ製の大円形。空の一部を内包したような大円。スタッチョーリは以前記事にしている。
同じ円形であるが金工の質感と違ってテラコッタ素材の温かみが加わった。

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町中にあるマシーニ工房では年の半分はフィレンツェ近郊の自宅スタジオに住むアメリカの女性作家、ベッティー・ウッドマンの作品が展示されている。工房の内部には古くから使用されてきた煤で真っ黒になった貫禄ある室窯がいくつかあり、その中での展示。この古い室窯は現在は使われておらず、歴史を見せるための展示品のようになっているようであるが、歴史の重みを伝えてくれる圧倒的な存在間のある空間。代々続くテラコッタ生産の情熱を語ってくれた若主人。作家とも長い縁だそうで、彼女の作ったカラフルな釉薬のかかった作品は黒い窯場を背景に効果的だ。


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by jamartetrusco | 2010-11-04 20:00 | Arte (芸術)