トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2011年 10月 30日

冬時間

冬時間に変わった日曜早朝。一時間だけ増えただけなのに一日が長い。
そしてこの時期にしては嬉しいほどの異例な暖かさ。
日中の太陽の日だまりにいるとまだまだ汗ばむほど。
今年の秋はなんと天気が良いのだろう。

とはいえ先日リグリアとトスカーナ圏の一部で雨による大変な被害もあった。
大雨の後の土砂崩れで古いCinque Terreの中の町が泥に埋まった。
水の恐ろしさをまた目の辺りにした。
断崖絶壁のような傾斜にそそりたつ集落である。
集落自体は古くから存続するのになぜ?と思うがやはりコンクリート固めの
水の流れを阻んだ箇所がどこかにあったのだろうか。
水は流れ得る場所へと流れる。土や草があればそこにしみ込んで大量の
水かさにはならないのである。
自然の法則に確実に忠実な水の流れ。それをどこかで
人間が閉ざしてしまうからこのような大きな被害を生むのだろう。

キャンティ地方は温暖な太陽に包まれて冬時間を迎えた今日。
朝からイノシシ狩りが行われているようで甲高い犬の群れの鳴き声と
狩り人達の野蛮な叫び声が耳障りである。日曜日は神聖な安息日である
はずのこのカトリック国のイタリアでなぜ生き物を殺生する狩りが日曜日に
許されるのか未だに疑問である。 大量な人数と犬の群れで数匹のイノシシを
追い込むイノシシ狩りは大嫌いである。狩りとは人と動物との一対一の対決
であるべきである。大人数で少数のイノシシをどんどんと山の角に追いやる
やり方は卑怯だし、醜い。毎年同じ時期に同じことを感じながら何もできない
自分にも腹立たしい。

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by jamartetrusco | 2011-10-30 21:28 | Vita (人生)
2011年 10月 27日

鉱石の世界

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ミネラル、鉱石の世界は広大である。およそ46億年に渡る我々の住む地球の歴史の中で
ひとつの実質的な存在感があるのが化石を含めて鉱石ではないかと思う。
水、空気、光、流動的に動く微生物などなど目に見えるようで実態のない地球の存在に
不可欠な要素の中で鉱石は確固たる存在を残している。
自然史博物館を訪れて様々な生き物の証を見ながら最後に辿り着くのが鉱石の部屋だ。
鉱石の収蔵品と展示の方法で圧倒的に素晴らしかったのはシカゴのField 自然史博物館の
Gems and Mineralsのコレクション。
暗闇にぼーっと浮かぶ美しい極彩色の鉱石の群には驚嘆したものだった。
透明や半透明の様々な色に光り輝く鉱石の結晶の世界は美しいというよりどこか不気味な様相
を見せる。地球の内蔵の断片のようなそんな感じがするのだ。そこに何億年の歳月が
集約されているのだろうと思うと空恐ろしくなるのである。

スペコラ博物館にて現在展示中の結晶石の展覧会は一見の価値がある。
50年間に渡りイタリアに限らず世界の鉱石を収集するアダベルト・ジャゾット氏の1000点にまたがる
コレクションの中から500点あまりを選んで展示している。
ほとんど観客のいない美術館内の展示室に入ると光り輝く鉱石の世界に引き込まれる。
私が訪れたときには文字通り観客は私のみ。
展示ケースに処狭しと飾られたこの超現実的な塊に対面してありとあらゆる形体、色彩、
結晶の万華鏡に見とれるとともに、これでもかという色彩の輝きと鉱石から放たれるエネルギーと
そのどぎつさに目眩を感じた。
鉱石に内在する地球の地層エネルギーにあてられたのだろうか。

その中で唯一彫刻的な調和のとれた美しさがあったのは銅の塊。
人間が銅を先史時代から生活器具として利用してきた理由が理解できたような気がした。

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by jamartetrusco | 2011-10-27 22:14 | Natura (自然)
2011年 10月 23日

天地創造

10月21日の日の出。
空が2分に分かれて現れた。
天地創造の一瞬のようである。
風景がそのまま物語る。
それ以上でもそれ以下でもない。
エネルギーの結集するところ。

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by jamartetrusco | 2011-10-23 04:00 | Natura (自然)
2011年 10月 17日

再びLa Specola


フィレンツェにLa Arti Orafeというジュエリー制作を学べる私立の専門学校がある。1985年に設立された学校で、3ヶ月から3年まで、それぞれの生徒の希望にあったコースが選べ、ジュエリー制作、宝石のはめ込み技術や彫りの技術などなど様々な角度からジュエリー作りを目指したい人を助ける学校である。日本からもここにて学び作家として活躍している人が多いと聞く。
この学校では毎年Firenze Preziosa と題してジュエリーの秘める可能性を追求するための展覧会を企画している。今年の会場は「ラ・スペコラ」博物館の「ガリレオの間」。薄暗い博物館の一階に上がると突然と美しい照明に当てられた展覧会場が現れる。回りを囲むルネサンス建築様式との調和を崩さないすっきりとした展示。

今年はドイツで活躍する京都生まれの日本人ジュエリー作家Mari Ishikawaさんの作品展がひとつ、そして恒例の若手作家の選考コンペのPreziosa Young 2011のふたつの展覧会が見られた。Preziosa Youngのコンペでは世界各国からの180人の応募者の中からまず30名が選考され、その後関係美術館の専門家達からなる審査員パネルにより最後の8名が選ばれた。
Mari Ishikawaさんの作品は自然のモチーフを繊細に描きだした詩情あふれるもの、細かい技術的卓越が感じられる質の高い作品群である。
あまりジュエリーのことは詳しくないものの、個人的に思うのはまず「身につけてみたいな」、と感じさせるのが第一条件ではないかと思う。形などは面白くても素材の選択や大きさ、重量のせいでとても体につけたくない感じの作品も多いのが現代ジュエリー作品の難点と感じる。その点日本の作家の優れているのは身につけることを考えて形を追求していることだ。木々や葉っぱの息づき枯れ行く様をそのままひとつの結晶に捉えて金銀細工の造形の中に吹き込んだような彼女の作品は印象深いものだった。

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by jamartetrusco | 2011-10-17 06:31 | Arte (芸術)
2011年 10月 16日

土が火と出会う時

フィレンツェの剥製と解剖学の宝庫であるLa Specola博物館の人気のない館内の一角で
美しい焼き物の作品展を見た。
焼き物とはいえ壁にかけて鑑賞する平面作品群である。
作家の名前はジョヴァンニ・マフッチ
ピストイア圏内の標高1000メートルの山奥に住むようである。
焼き物の土も周囲の森林から掘り出し、窯も地面に掘る原始的な野焼きの焼成方法にて、すべて手練りで作る。
最近では容易に買うことのできる粘度や電気窯などあるにも関わらずあえてすべて自身の力と手を持って
焼きものを作り上げる理由は自然と人間の原始的な関係に帰還するためである。
10,000年前から人は土と火を使って生活容器を作ってきた。
その本来へ目を向けて、土、水、火、気の4元素が関わることによる土の変容を自身で体験する。
この作家はたぶん毎日の生き方もかなり原始的なものではないかと想像する。

作品はそういった原始的な容貌の器から平面作品まで。
平面作品は自然の葉などを火によって土の表面に現像するような手法のもの。
火による絵画、火による写真印刷、Firepaint, Fire Photography、そしてImpressionと彼は呼んでいる。

夏場はワークショップがあるらしい。来年は是非参加してみようかと思う。
今夏の日本滞在で焼き物作りに関心を示した娘を連れて。
来年の楽しみがひとつ増えた。

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by jamartetrusco | 2011-10-16 17:05 | Arte (芸術)
2011年 10月 09日

言葉の重み

私は大のMac派である。たまたま友人がMac派で、コンピューターのコの字も
わからない時に友人に勧められてそんなものかと思って購入した1997年以来
のことであるのでさほど年期は入っていないが、Macを信奉している。
この度惜しくも56歳という若さ(若さ、というざるを得ない、こちらとそんなに年齢差が
ないのだから)にてなくなったスティーブ・ジョブス氏。ニュースで見た彼の姿は
いかにも病いに侵されているようで死はそんなに遠くないと思っていたものの
やはり本当に逝ってしまったとなると感慨無量である。
個人的な関係など何もないのに、Macというコンピュータ−を通してそして次々と
発明してきたデザインのかっこいいi pod , I phone, I padなどなど見るにつけて
なんとアイデアに満ちた人だろうといつも感心していた。
Macの凄いのはすべてがわかりやすいことである。すべてがグラフィックで
見てすぐにわかること。複雑な過程を経ることなく操作が簡単なこと。
コンピュータ−の使う領域はあまりにも限られていて私など一言なす資格もないのは
わかっているのだが、それでもPCと比べてその操作の単刀直入さには有り難い
としか言えない思いであった。とにかく「かっこいい」の一言である。
Macになれた者はWindowsは使いにくい。説明過多、操作過多。
本能的でない。肉感的でない。視覚的でない。要するにセクシーでない。
Macはすべてセクシーだ。

ジョッブス氏の発明の源となっているのは彼がヒッピー時代に得た興味とインドとの
遭遇など、突拍子もない体験から来ているのであると聞いた。
そして彼の言葉が印象深い。Stay hungry, think different, think foolish.
まさに思うこと。
いつまでも次に進むことを考えること。現状に満足するのでなく。
常に変わっていくことのエネルギー。
そして常識にこだわらないこと。それがThink differentの本質であろう。
皆がするから、とか、前例がありませんから、とか最悪の人生判断だろう。
別に回りがすることと逆をいくことを勧めるのではない。
要するに自分の思いをつらぬけということだ。
そしていつまでも初心をわすれるな。
なんと愚かなと思われることも自分の信じるように、ということ。

自分の好きなこと、信じること。それを突き進めていけばいつかは道は開ける、
それは大なり小なり。

Jobs氏のような大成した人物がいう言葉であるからこそ重みを持つ。
しかしこれらは生きる上で真実のなにものでもない。

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by jamartetrusco | 2011-10-09 04:14 | Vita (人生)
2011年 10月 05日

夏、まだまだ夏

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1週間のロンドン出張から帰ってきた。
仕事はすべて順調。そして驚くべきほどの快晴のロンドン。
9月末10月初めの気候とは思えない。
連日28、9度という夏日である。
もちろん朝夕は気温の差はあるものの、夜外で食事が
できる暖かさである。
前代未聞、記録的な高温と聞く。
おかげで10月頭の週末はイギリスの海岸線は人波で砂浜
が見えないくらい。
だってハワイより暑いという日なのだから。
7月、8月と例年のごとく冷夏であったらしいのでその反動も
あり人々の浮かれようは納得が行く。
ロンドンはどんよりした気候が多いせいもあるがこのような快晴の
日には街全体がまるで違う国のように輝いてみえる。
自然の緑が青碧として、そして花まで鮮やかに見える。
幸せが空気に満ちあふれる瞬間である。

そしてイタリアに帰ってきた昨日はフィレンツェの気温も31度。
イタリアで最も暑い町。この地もこの1週間毎日夏のような
日差しと暑さが続いているらしい。
今日も素晴らしい青空。
10月にこんなに暑かったことは私の滞在する16年間でも一度もない。
ワインを買いに行く農家のおじさんのセルジョによるとこの猛暑の
8月、9月で葡萄がすっかり熟してとてもアルコール度の高い
良質のワインができるそうだ。というのも彼の所の葡萄は古木であるから。
それに対して最近古い葡萄の木をすべて取り去り刷新したような大型
葡萄園は対照的。若い葡萄の木はこの水の少ない高温続きの夏に耐えきれず
枯れてしまったというのである。
やはりなんでも新しくすれば良いというものではないのだ。
古い木を大切に育てること。そういう昔ながらの葡萄農家こそがどんな
自然の試練にも耐えて生き残れるのであろう。
古きを大切に、という最近忘れさられつつある真実はここにも生きている。
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by jamartetrusco | 2011-10-05 00:18 | Vita (人生)