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2012年 04月 24日

Culmine

ピーター・ハミルの20代半ばの素晴らしい動画をみた。
声に艶があり、ものすごく力強い。
感動、感動、感動。
この引きつける力は今はないのは現実である。
どんなにファンでも今のハミルを見るとややがっかりする。
声に張りがなくなり、高音になると頂点に到達しない。
声がかすれてしまうからである。
70年代当時の若々しい彼のパーフォマンスを見れなかったこと
は実に残念だ。

人間の年齢のピークーCulmineはいつか?
20代がピークであるとすればその後は一体、どちらの方向に流れるのか?
上に行くのか下に行くのか。歳をとって良くなることなどあるのだろうか。
若い時には全く考えない議題である。
歳をとるにつれて味がでるとか歳相応の魅力とか言うけれど、本当はそんなことは
ないとも思える。
若い時の方が美しいに決まっている。すべてにおいて力も満ちあふれている。
失敗も恐れない強さもある。体力もある。
頭の中身は?  しかり。 
重苦しい3時間続く映画も見れる、分厚い文学も読める。すべて若いときに
できることである。すべて若い時にやるべきことであると思う。
若い時に限界まで試さなければいつ試せると言うのだろう。
若い時こそすべてに挑戦するべし、とますます言いたいこのごろである。

今ちょうど人生次の段階にさしかかりやや心が揺れている。
4月24日、誕生日、そして仕事でロンドンに発つ。
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by jamartetrusco | 2012-04-24 04:05 | Musica (音楽)
2012年 04月 15日

フィレンツェを訪れた日本ー美意識の違い

今週末から1週間イタリア各地で開催されているSettimana della Cultura—文化週間の期間は国立の美術館がすべて無料となる。毎年大体4月の半ば前後に始まる週間で、いつも観光客の列ではいりにくいフィレンツェの美術館などに入場できる良い機会だ。住民はわざわざ並んで入場料を払って行くには面倒なのでこの時とばかり私たちも家族でウフィツィ美術館に行ったりした。今年は特にピッティ宮殿内で始まったばかりの日本美術展を見るのが目的であいにくの冷たい雨降る土曜日足を延ばした。

ウフィツィ美術館の銀博物館内に設けられた一階会場にてまず見られるのは日本の古い美術品の数々。桃山から江戸にかけての屏風、絵巻、掛け軸、焼き物、鎧兜、刀、装束などなどフィレンツェではなかなか見ることのできない質と種類の日本美術の展観である。京都の細見美術館からの出展の屏風はその意匠の斬新さで目をみはる。そして国宝の刀や重文の茶釜など、一般のイタリア人がみても「何故これが国宝?」とたぶん理解できないだろう日本文化の粋と極めを見ることができる。問題は展示。この展示をイタリア文化とのコントラストとしての面白さと見ればまあ諦めもつくが、豪華絢爛なバロック的天井壁面装飾と厳かで繊細な日本の工芸美術はあまりにも違いすぎて戸惑いを感じざるを得ない。もちろん背景である建築の内装がそうであるのでそれは仕方がないことだ、しかしその後の展示ケースのデザインが問題。なにしろ展示ケースの外も内もすべて薄紫色、いわゆるライラック色の布地で張られているのだから。黒漆とか、彩色豊な装束やまたは寂びの美の象徴のような本阿弥光悦のお茶碗が薄紫色の背景では映えないのは当然のこと。日本側の学芸員の専門家の方々も展示の背景は白かグレーにしてくれと再三頼んだらしいのだが、展示担当のデザイナーの意見が大で全く聞き入れてもらえなかったそうだ。

そして二階の第2展示会場では日本の近現代の工芸が一同に紹介されている。
まさに日本の伝統とモダン工芸を代表する作家達の作品群であるが、これも展示が残念の一言。日本の色と思ったのか強い藍色のような展示ケースと背景。焼き物も金工も木工も漆もすべてこの強いブルーでかき消されてしまっている。白っぽい作品はまだ救われるが、微妙な色合いを出す金工や自然素材の木工作品に至っては悲劇。素晴らしい作品が集まっているだけにあまりにももったいない。作品の良さが半減する展示である。

この今回の展示をみてつくづくとイタリア人の日本美術に対する、いや日本文化に対する理解がないのだな、と実感した。すこしでも日本の美意識を理解しようという態度があればこんな色彩の選択をするわけはないのである。他の文化を理解しようとせず、自分の趣味を押し付ける、それを良しとせよ、という強引な態度にイタリアの国際性のなさ、地方主義的な意識の低さにがっかりした。こんなに素晴らしい内容の展覧会がフィレンツェ止まりというのも実に残念なことだ。
フィレンツェという土地柄もあるだろう。なにしろ15世紀メディチ家の恩恵に未だに頼りながら生き抜いているのがこの街である。他の国の文化の理解どころか自身の現代にも目を向けていない過去に生きる街の限界を
見る思いがした。様々な文化、美意識を理解することが実は自分の文化を理解することでもあるのだから。

あーあそれにしても光悦の「村雲」の茶碗が可哀想。

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by jamartetrusco | 2012-04-15 00:01 | Arte (芸術)
2012年 04月 10日

Un mese passato e tanto successo

最後に投稿してから早くも一ヶ月以上が経ってしまった。
3月は大震災の1周年の日に日本に帰国。
それから様々な出来事があり、仕事をして4月2日に戻る。
そしてロンドンの姉夫婦が7年ぶりに我がキャンティの田舎を
訪れる。
余り広くはないがなんとか我が家に泊まってもらい、毎日
よく食べ、よく飲み、昼寝をして、という心身リラックスの
数日を過ごす。
都会に住んでいる人が田舎に滞在するとよくあることだが
なぜか食欲がすすみ、そしてよく眠る。
空気のせいか、静けさのせいか。
おかげでこちらまで久々に田舎の良さを味わいながら楽しい
時間を過ごすことができた。
自分の家にいながらの休暇気分。なかなかおつなものである。

今年の日本の3月は春とは思えない寒さで梅がやっと五部咲き、
桜はいつのことやらという感じであったが、こちらが発つ頃には
少しずつつぼみがほころんできたらしい。
くらべてイタリアは不在中には何回も25度を記録するような
まるで初夏の気候だったと聞く。
帰ってきたら数日は春らしい気候ではあったが、イースターの
日が近づくにつれて天気は下り坂。4月8日の日曜日は雨模様、
そしてイースターマンデーのパスクウェッタは天気は回復するもの
のかなりの寒さ。アペニン山脈の近くではすこし雪まで積もったという。
イースターの日はどういうわけか天気が良いということは滅多に
ない。ヨーロッパに住んで記憶する限りいつもうすら寒くて雨が多い。
日にちもその年によって3月後半だったり4月前半だったりする
のだが、それには全く関係なく悪天候である。イースターの
ジンクスである。

我が家の工事もおおむね終わりに近づいたようではあるが、雨が
なかなか降らないので埃ぽい。
寝室に中二階を造るという案も座礁した。大家さんに念のため相談したら
簡単にNo!という断り。やはりあまり重い材木を導入するのは家の安全上
怪しいらしい。断らないでやるわけにもいかないので仕方がない。
せっかく楽しい週末の行事であり、また完成も後まじかのところだったのに、
とても残念である。

庭の藤棚も今年は雨不足とずっと工事の埃をかぶり続けてきてどことなく色あせてみえる。
それでも美しく香しい。

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by jamartetrusco | 2012-04-10 22:32 | Vita (人生)