トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2012年 05月 30日

綱を渡る男

Man on WIre
と題される2008年制作のイギリス人監督James Marshによるドキュメンタリー映画を観た。
何も期待せずになんとなくつけたテレビでやっていたのであるが、観るうちにどんどんと
引き込まれ終了する頃にはとてつもなく感動していた。
期待せず、と言うのも映画の簡単なあらすじに綱渡り師を扱ったドキュメンタリーと
書いてあったのでサーカスの曲芸師かなにかの話かなと思ったからである。
もちろん主人公は綱渡りに人生をかけた曲芸師と言えるかもしれない。
小さい頃から曲芸や魔術の技に魅せられたという導引からドキュメンタリーは始まる。

彼の名前はフィリップ・プティ。1949年生まれ。よく考えるとこの世代には大変魅力的な人々が
多いような気がする。大好きなピーター・ハミルも1948年生まれだ。もうひとり日本に
知っている尊敬する方がやはり49年生まれ。

さてこのフィリップ氏はフランス人。
ドキュメンタリーでは1970年代の若い彼と彼の同士のインタビューの画像をふまえながら
次々と彼らの軌跡を映し出す。
フィリップ氏のパリ、ノートルダム寺院でのパーフォーマンス。ふたつの塔の間を綱渡り
するその様子。
この映画の中心となるのは1974年に彼らが行ったニューヨークのウォール街のツインタワーの
綱渡りへの道程である。
今は亡き高層のツインタワーの二つのタワーの間を綱渡りするーそれこそ不可能な、考える
だけで恐ろしいパーフォーマンス。
最上階に昇り綱をふたつのビルの間に渡すだけでも大変な技である。どうしたら綱を渡せるか
それも試行錯誤で考えていく過程が実写で残っている。
凄いことである。

70年代だからこそ可能であったハプニングでもある。
現在のテロ後の世界ではそんなことは考えられない。昇る前に捕まってしまうだろう。
銀行強盗のごとくにどうやってビルの上に警備に気がつかれずに行くか、それがひとつの
要となるドキュメンタリー。
見つかりそうになりながらもなんとか必死に実現するその綱渡りの極限の一時。
死か生かの瀬戸際のパーフォーマンスの持つ人間の存在を見つめるその一瞬。
そして実際に綱渡りするのである。
それは芸術以外何ものでもない、真の感動を呼ぶものだった。
綱を渡るということが彼にとって体の一部になっているかが徐々に如実に
理解できてくる。
そしてその傍らに支えるかけがえのない友人と女性の存在も。
一つ間違えば友人の死に貢献することになるだから。「信じる」ということの凄さも
見せてくれる。人間の可能性の限界の向うに見えてくる「何か」。

とにかく素晴らしい映画。 久々に真のアートを味わった。
バックグランドの音楽としてのエリック・サティのピアノ曲も実に合っている。

皮肉なことにフィリップ氏はこんな大それたパーフォーマンスの後まだ健在であるのに
ツインタワーは今では存在しないことである。
彼もなんとも感慨無量な気持ちでいるに違いない。


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by jamartetrusco | 2012-05-30 04:24 | Cinema (映画)
2012年 05月 24日

Finocchio selvaticoー夏の香り


季節の良い今の時期になると必ず採集しにいく香草が野生のフィノッキョ、
日本語ではウイキョウ(茴香)。散歩がてら歩く土道があり、石壁の回りに生えている。
新芽も新葉もふさふさした緑、目に鮮やかな春の色である。
これがだんだんと成長すると固い灰色の枝となり黄色の花をつける。
この花の種は香りがアニスに近い独特なもので、肉や魚料理に好まれ使われる。
普通にマーケットでも売られているフィノッキョは根っ子の白い部分。
これは野生フィノッキョとは同種ながら別物である。形から雄雌の区別があるのが面白い。
細長いタイプは女、まるっこいのは男。人間世界の形体とは反対。
雄のほうは筋があまりなく肉厚でサラダなどにして生で食べるのに向いている。

さて野生のフィノッキョの新芽。地中海地方独特の植物でその歴史は古く、エジプト、
古代ローマの頃から食用として使われていたそうだ。胃腸整腸作用など薬草としての効果もある。
野生フィノッキョの料理法を教えてくれたのはシチリア人の友人ピエトロ。
春先に出てくるこの柔らかい新芽を野原で集めてトマトとともに煮込んでパスタのソースとして
出してくれたのが最初。それ以来やみつきに。

地中海海岸近くの気候が一番適して野生するので、シチリアで多く食されるのは納得。
内陸のキャンティ地域周辺では採集する人もあまりないようである。
シチリア料理ではイワシとトマト、松の実、干しぶどう、そしてこの野生フィノッキョの
たっぷり入ったパスタが有名だ。

トスカーナのリヴォルノ沖の島カプライアに1週間ほど滞在した際にその元気な育ちぶりに驚いたものだ。
夏の暑さと野生フィノッキョ独特の香りーイタリアの海の風と強い太陽の日差しでほんのり香って
くる独特の野草の香りは五感に感じられる夏の象徴である。ぞくぞくするほど官能的な。

今年の夏は久々にトスカーナに残り、夏の風物を満喫したいものだ。


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by jamartetrusco | 2012-05-24 15:59 | Natura (自然)
2012年 05月 18日

どうなるかイタリアーEURO危機

ギリシャがまた大変なことになっている。
先日の選挙では極左だけでなく極右が大幅にその数を増やした。
極右のプロナチの政党などその会見でハイルヒットラーの腕をかかげ
ジャーナリストも部屋から駆逐したと聞く。
現在のヨーロッパは100年前ならまさに第3次世界大戦が起こりかねない
状況と思う。
というのはドイツが一人勝ちをしている状況だから。 いつものパターンである。
ヨーロッパ共通通貨のEUROになって以来経済的に潤っているのはドイツ
だけである。
すくなくとも地中海諸国はスペインが一時バブルに湧いた以外はあまり
恩恵は被っているとは思えない。
一部の資産家はそれでも資産が倍になったわけであるから良いこともあったろう。
一般庶民はなんら良いことなどゼロのEURO時代。マイナスこそあれ。
一体こんなおかしなことが許されて良いのだろうか。
イタリアはまだ産業が多少あるにしマフィア的社会のどろどろがあるとしても
ギリシャには美しい大地と海と古い奥深いギリシャ文明以外何があると言うのか。
そして何が必要というのか。
そのような国が今の国破産に直面し、国がおぼつかなくなっている、
一体誰がこんな状況にギリシャを追い込んだのだろう。
一般庶民でないことだけは確かだ。
一人一人の人間の生きる権利は一体どこにあるのだろう?
これhが民主主義というのなら全くおかしなことである。民主主義など今の
資本主義社会にはない。経済、金融独裁主義である。

そしてイタリアは? 今急激にベッペ・グリッロのチンクエ・テッレの政党がのびている。
先日の地方選挙で市長も生むぐらいの勢いである。
ベッペ・グリッロはそのブログも世界で多くの人に読まれ、正当で過激な権力
や不正打倒の演説でイタリア内でも多くの支持者を確実に得てきている。
左も右も駆逐、従来のイタリアのぬるま湯につかったような政治家と社会
状況に活を入れる、庶民の声をまさに100%反映するような政党。
そしてマスメデアは極力避ける。マスメディアの表面的な偽りの顔には
乗らないというモットーのもとに地域ごとに草の根の支持者を延ばしてきた。

今イタリアに必要な力である。古い力、左も右もすべて保守政権であるという
矛盾した社会状況を根底から覆すのは彼の政党しかないとおもう。
そして皮肉なことに共産党寄りの左翼もすべてグリロに批判的だ。
己の首が怖いのだろう。

次の総選挙にてグリロの党が圧勝してイタリアは変わるかもしれない。
そう成ってほしい.その前に暗殺などされないことを祈って。
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by jamartetrusco | 2012-05-18 04:29 | Paese (土地柄)
2012年 05月 14日

花、果実、そして猫

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4月はだいぶ悪天候が続いたけれど恵みの雨のおかげで5月に入って急速に花が咲き始めた。
今年の芥子の花の赤の色の美しさ、そしてその咲きぶりは例年を上回る美しさだ。
そしてアレの世話をする上の庭の杏の木も過去になく多くの実をつけている。
このまま熟してくれたら6月には大収穫となる。
雨の量、その後の太陽の具合が花や果実の実りに最適だったのだろうか。
本当に春の色満ちあふれる野原である。

今年の夏は帰郷せずにここで過ごす予定である。例年アレの展覧会やらなにやらで夏は
京都で過ごすことが多かったが、今年は久々にイタリアの夏を謳歌することになる。
テラスで過ごす美しい時間を残して帰郷するのはやや心残りであることは確かである。
夏のイタリアはやはり一番好きだから。イタリアの美しさ、香り、音、すべて一番絶頂に
達するのはなんと言っても夏である。
イタリア、夏、太陽、光、海、地中海の空気の香り。そして夕暮れ時からテラスで過ごす
時間の美味しさよ。
これを楽しまなくてはイタリアに居る価値は半減するというもの。
特に文化的な刺激の少ない田舎暮らしの我が家では。
気候の悪い時は大都会にいるほうが刺激もあり数倍も楽しい。

さて4月24日にロンドンに発った日、その日以来モモが姿を消している、という知らせを
ロンドンで聞いた。帰ってきてももちろん戻っていなかった。
そうこうしている内に2週間経ってしまった。最初は雄猫だから雌猫を追いかけて遊んでいる
のだろう、そのうち帰ってくるよ、と言い聞かせていたけれどあまり姿を見せないとさていよいよ
だめか、とも思えてくるものだ。
そうしたら数日前突然と夜戻ってきた。
大型の猫であるので、もつとずっしりした体重が半分になったかのようにがりがりに痩せて。
母猫も妹猫も胡散臭いこの猫は誰?と半信半疑。牽制するような態度。
これだけ痩せて帰ってきたということはとにかくあまり食べていなかったということ。
雄は雌を探すときは食べないのだろうか?それともただ単に迷っていたとか。
やっと昨日から3匹で遊び駆け回る。またグループの一員に受け入れられたらしい。
唯一変わったのはその鳴き声。失踪前はミャーという高音が低く押しつぶされたような
だみ声になってしまった。
はて、声変わり?


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by jamartetrusco | 2012-05-14 23:52 | Vita (人生)
2012年 05月 11日

Wordless

言葉が出ない時。
何を語ろうかと思っても何も語れない。
言葉が空しく響く時。
説明すらする余地がない。
今ただ単に美しい光が生きることの
価値を教えてくれるだけである。

否定的というのではなく、なぜか
「無」という感覚。

そんな大それたものではないのだが、
空を見て光を見てそれだけで価値が
あるような、そんな気分のこのごろ。
言葉とは?

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by jamartetrusco | 2012-05-11 04:09 | Vita (人生)
2012年 05月 02日

ベス神

大英博物館でベス神に出会った。
エジプトの巨大な神々やスフィンクスに混じって展示ケースの上の方に
踊っていた。
そのにらみをきかせながらも楽しそうな風体に思わず目を奪われた。
エジプト神というと厳かで静寂とした鷹の様相のホルス神や
猫を象ったバステト神など人間世界を超越した感じの神のイメージがある。
ところがこのベス神はどこかコミカルである。
怖い顔をしてにらんでいるように見えるのだが、笑いを誘う。
まるで太ったおじさんが懸命に舞台で踊っているような。
布袋様に近い朗らかな神様。
調べて見るとこの神は子供を孕んだ女性の守り神。
要するに家庭を守る守護神である。
故に他のエジプトの神々が常に横顔の抽象表現であるの対して
このベス神はいつも正面を向いている。
神というよりそばにいるおじさんに近い。

この神様に出会ってとても嬉しい気持ちとなった。
博物館や美術館の本当の存在価値はこういった有名でなくても心に残る
古代からの人間の営みの証に出会うことであると思う。
今回の旅で得た嬉しい出会いのひとつーベス神。

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by jamartetrusco | 2012-05-02 04:03 | Storia (歴史)