トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2015年 03月 24日

Morte della mia amica

初めて親しい友人を失った。
自分とほぼ同世代。病気であったわけでもなく。
今まで存在していた一個の個性が突然消失する。
もう二度と会えない。
一緒に過ごした時間は遠方ということもあり合計すれば
そう長いわけでもなかった。
でもこの10年、一番記憶が新しく、自分の最近の道程を
共にしてくれた友人。
近しい心持ちの人だった。

3月初めにその死を知らされて、呆然となった。
でも人間生きていくしかないのだから、そして
毎日やるべきことをこなしながら、
心をよそに向けながら
通常をよそおって暮らしてきた。

悲しみには時差があるような気がする。

涙、涙、涙。

でも生前の想いを刻みながら
彼女のために倍ぐらい生きてあげたいと思う。

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by jamartetrusco | 2015-03-24 05:50 | Vita (人生)
2015年 03月 21日

今年のOpen Studio

土日のFesta di Frittelle(サン・ジュゼッペの揚げ菓子祭)に合わせていよいよ
オープン・スタジオの開幕である。
昨日までの春らしい陽気ではないもののなんとか雨降らずにいてほしい。
3月21日、春分の日と重なって。
昨日は日食、この地ではやや光が暗くなったかな、ぐらいであったが
イギリス以北はかなり完璧な日食だったと聞く。

月と生き物との関係は大である。
月により人の生命、営みのサイクルがある。

今年のオープンスタジオはどんな出会いがあるだろう。

これから一気に忙しくなる。
ロス、東京、京都、そしてフィレンツェにての写真展。
4月26日オープン予定の写真展はアレと私が過去20年に渡り日本にて撮り続けた
写真を選りすぐって展示するもの。
アレの制作の源泉となるようなイメージの数々。
アレの心を揺さぶった日本との出会いの結晶が集結する。
写真家でないから専門家の画像とは違うが見るものの「眼」が活きる写真である。
そこから彼の絵画がどのように生まれてきたかを知ってもらうためもある。
Firenzeの元は監獄だった場所、Le MurateのCaffè Letteraraioにての展示となる.
普段の展覧会とはまたひと味違ったものとなるだろう。

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by jamartetrusco | 2015-03-21 23:05 | Arte di Ale(アレのアート)
2015年 03月 08日

Idoli

Idolo という言葉は日本語に訳せば「偶像」なのであるがどうも意味が偶像崇拝の
ように否定的な暗喩があるようで雰囲気が違う。
また英語でIdol-アイドルーと呼べばその使用があまりにも限定されていて、本意から遠のいてしまう。
イタリア語で言うIdolo-イドロはどこか太古の香りのするひとがたの像。
神でもあるような人でもあるような、そして神聖さの中に土臭さのあるようなユーモラスな
像である気がする。
だからアレの彫刻はあえてIdoloとのみ呼びたい。
先日セルジョから貰い受けてきたオリーブ木片はどんどんとIdoloに変身しつつある。
次々とひとがたのような動きのある形体へとなり、それが増えれば増えるほど力を
増していくような気がする。
3月19日のサン・ジュゼッペの聖日に合わせて行われるこの集落の祭りにまたオープン・
スタジオを開幕させようと計画中。
杉の木の彫刻と合わせてこのオリーブのIdolo達も顔見せできるだろう。
冬眠の穴蔵からのっそり起き出したかのように。

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by jamartetrusco | 2015-03-08 17:34 | Arte di Ale(アレのアート)
2015年 03月 08日

Madh、ミュージシャン

16歳の娘のおかげで去年の秋イタリア版のXFactorをフォローする機会を得た。
毎年放映されるX Factor、日本では全く根のつかないマルチナショナルのTV番組の
ひとつ。ビッグ・ブラザーなどに端を発した最近のリアリティーTVの一つと言える。
オーディションから選ばれた音楽の道を夢見る候補達がそれぞれのカテゴリーに当てられた
審査員の元で毎回選ばれた曲をこなしながら視聴者、審査員の判断で選ばれ、残って行き、
最後優勝者が選ばれる、という形式の番組である。オーディションからフィナーレまで
3−4ヶ月かかる。
毎年放映されているものの全く興味なくて、馬鹿にしていたのに、去年はなぜかはまって
しまった。
なぜかと言うと娘がファンとなったMadhがいたからである。 フィナーレ二人に残り2位に終わった。
第一印象は全く興味なし、の感じのちんぴら風の若者だったのに、毎回観て行くにつれ
どんどんとその良さを見直してしまった。なぜだろう。
趣味から言うと真反対な感じの音楽と風貌のこの若者に、どこか魅力を感じ始めたのは
彼が日本のファンとわかったからだろうか。
自分で作曲した最後の切り札となる曲は
Sayonara
「さよなら」という曲である。
すべて歌は英語、これもイタリアの一般観衆には受けが悪い。
めざすのはムンバトンというラップとボリウッドを混ぜたようなのりの良い旋律。
そして全く一般うけしそうにないビデオとともに発信。一部のファンはいるものの今後は
どうなるだろう。 これからが勝負だろう。

まだ21歳のMadhは今までイタリアにいなかったタイプのミュージシャンだと思う。
音楽の中に政治プロパガンダも恋愛の甘いメロディーも関与しない、純粋に音楽を追求
しようとする。
誰にも屈しないという若い情熱が感じられる。
少し正統から離れたマイナーなこの歌手に惹かれた娘にもやや安心する気がする。

将来日本でコンサートが行えると良いのに、と思う。
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by jamartetrusco | 2015-03-08 05:25 | Musica (音楽)