2013年 09月 23日

一言

樂茶碗はコンセプチュアルアートである。

能の面はコンセプチュアルアートである。

今に言うコンセプチュアルアートとは何かを間違えていると思う。
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# by jamartetrusco | 2013-09-23 04:00 | Arte (芸術)
2013年 09月 11日

2ヶ月の滞在を終えて

6月末から8月末までの日本滞在。長いようで短い2ヶ月の滞在を終えてイタリアに
戻りすでに2週間が経った。
帰ってから雑用と片付けと気ぜわしい毎日。幸い真夏の日差しと暑さが残る晩夏の
トスカーナ。日本から帰宅した後に太陽の日差しは有り難い。太陽のエネルギーで
時差ぼけも飛んでしまうし、また暑いとホームシックにかかっている暇もない。
これがもし薄ら寒く雨などで迎えられたら、本当に気が滅入ってしまうというものだ。
蒸し暑い京都の夏に比べれば日中35度近い暑さのこの地もそのからっとした気候で
過ごしやすく感じる。
9月に入ってもずっとテラスで夕食を取ることができて、半分休暇気分を味わえた。
なにしろ今年の春から6月出発までのイタリアは雨が多くてほとんどテラスで食べる
日などなかったので、最後の最後で挽回である。
今日から娘の新学期が開始。いよいよ仕事、日常の再開という気分で、これから
一挙に涼しさが増して、夏よさらば。

日本滞在中は大阪と有馬での2回の展覧会で忙しい滞在で、ゆっくりした気分になれた
のは最後の10日間ぐらい。夏の帰郷と展覧会が重なるのは善し悪しである。
言葉が不自由なアレなので私が2倍の活躍をしなければならなくなるので。
甘えもあるだろうが、しかし言語能力のない人間というのもいるものである。
何回も日本往復を繰り返しているのに片言の日本語も話せない。
今更とあきらめてはいるが。
本人曰く、言葉への重みをあまり感じていないそうな。
確かに言葉を超えた意思疎通というのもあるので、アレに対して話はできなくても
心を通じてとても親しみを持ってくれている友達が数人いる。
なまじ余計な話しを繰り広げるよりだまっている方を好むという。
物つくりの者が持つひとつの論理かもしれない。

風景の表現にて一つの境地に入り、そして次の道に展開するすべを模索中のアレ。
次回の展覧会はたぶん風景をひとつ超えた何かを見いだした表現となってほしい。

2015年は京都とフィレンツェとの姉妹都市提携50周年。
それを記念してたぶん京都のいずれかの場所で作品展を企画するつもりである。
最初に京都での個展をもった2001年の法然院での展覧会。
そして2005年のまだ京都在だったイタリア文化会館での2人展。

はや娘も15歳となるこの10月。
歳月は矢のごとし。


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# by jamartetrusco | 2013-09-11 18:43 | Vita (人生)
2013年 08月 07日

有馬温泉での展示

有馬温泉にある歴史深い宿坊、御所坊館内と御所坊グループの経営するギャラリーGaleria Retiro D'Ouro、そして昭和初期の趣きの堂加亭にてアレの作品が8月7日より13日まで展示される。

和の空間に違和感なく展示できた作品群は画廊展示の様相とやや異なる主張をしてくれている。

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神々の黄昏。
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# by jamartetrusco | 2013-08-07 17:22 | Arte di Ale(アレのアート)
2013年 07月 11日

大阪での展覧会

暑い暑い京都にきている。
6月末に到着してやや過ごしやすい数日の後、梅雨開けも早い今年の
夏の猛暑、全開のこの数日。

アレッサンドロ・ヌティーニの個展が2年前と同じ画廊にて大阪にて開催される。
以下ご案内。

レオナルド・ダヴィンチの陰影からインスピレーションを受けて。

Leonardeschi – Ombre Sfuggenti
ダヴィンチ憧憬 — 幽か朧々たる陰影

Quando il sole è occupato da nuvoli tutto s’illuminano
dal lume universale del cielo e dall’ombra universale della terra.  (Leonardo Da Vinci)
「太陽を陰らす雲の下、万物は天の普遍的なる光源と地の普遍的なる陰影により昇華される。」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)


アレッサンドロ・ヌティーニ展
2013年7月22日(月)〜7月28日(日)
開廊時間 11:00〜18:30
会期中無休
作家毎日在廊

550-0015
大阪市西区南堀江2丁目13-30サンイーストビル2F
Tel/Fax : 06-6531-8436


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# by jamartetrusco | 2013-07-11 09:04 | Arte di Ale(アレのアート)
2013年 06月 18日

プラハにてVDGG

VDGGのコンサートを見についにプラハまで行ってきたこの週末。

プラハも素晴らしかったし、VDGGも素晴らしかったし、言うことなしの
3日間。

至福の気分。
プラハの天候は快晴、暑すぎるぐらい、でもエネルギーをもらった。

そして戻ればイタリアも35度。待ちに待った夏、夏、夏!!!!

帰郷までのあと1週間、忙しいけれど集中して、体調アップのこのごろ。

あーーーーーーと感動を叫びたい、70年代以降初めて演奏したA Plague of
Lighthouse Keepers, 最高だったピーターハミル、感謝。

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# by jamartetrusco | 2013-06-18 21:39 | Vita (人生)
2013年 05月 28日

心を新たに

今年の5月はいったいなんだろう。友人が訪れていた最初の2週間ぐらいは時々初夏のような
良い日和があったが、このところの悪天候には辟易である。
5月は年によってはすでに30度なんて言う日が続いてテラスで夕食をとるのが普通であるのに
今年はもう5月末だと言うのに気温はまるで3月。良い天気は一日ほどしか続かず、やっと
晴れたと思うと雲がもやもや、雨、そして風が強く肌寒い日々がずっと続く。
春も良くなかったのでこのまま夏なんてくるのかな、という感じである。
天気が気になるのは歳をとった証拠と言うけれど。

2013年はイタリアの政治がやや変わるかな、という期待のもとに始まり、それも全くの
夢の夢という今の政権。左派の党やインテリの御仁などが今まで悪の権化のように非難してきた
ベルルスコーニ元首相の率いるPDL党と共産主義の慣れの果てであるPD党との連立政権である今の
イタリア。自分達の護身からかなんだかわからないけれど、結経現状を覆されるのを恐れて
既存の政党をなにがなんでも維持しようとするマフィアの集団と思える。全くなにも変わらない
イタリア。
この数ヶ月すっかり振り回されてきたがもうどうでも良い。結局「政治家」とも呼びたくない「政治や」の集団はそういうものなのだろう。
グリッロの率いる純粋に改革を志す新参者達には太刀打ちできない強靭な「政治や」の壁を感じる。

アレも私もイタリアが少しでも良い方向に変わるかな、と期待しながら過ごしてきたこの数ヶ月
だったので、すっかり幻滅して、でももう心をそちらに向けずに行こうという気分になり、数ヶ月の
空白な時間を取り戻そうという気になっている。

大阪での今年の夏の個展に向けて、2012年の作品群を見返してみるとなんと多くの作品を
制作したのだろう。
いよいよ展覧会のための作品選び、タイトル、画像、実践的な諸々を決めていかなかればならない。

雨上がりに太陽が少しだけさしてダブルの虹となった、いつも虹が発生する位置が決まっている。
そこには何か宝があるというイタリアの言い伝え。彼方の丘の麓には何があるのだろう。
エトルリアの神殿の跡かもしれない。


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# by jamartetrusco | 2013-05-28 16:44 | Vita (人生)
2013年 05月 11日

セルジョの工房

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2005年アレが京都フィレンツェの姉妹都市提携40周年記念のため京都にて
京都の作家の友人と2人展を開催したときに知り合ったN氏。広義のデザイナー。
ひとつの感性を拠点として様々に自身の生活、生き方などのデザインを展開していく
方である。
旅とデザインというテーマで世界のあちこちに旅をしながらその都度の体験と
見たもの、感じたものを集約して制作した作品を展覧会としてまとめておられる。

突然にトスカーナの焼き物の町で絵付けの制作をしたいのだけれど、と連絡が
あったのは4月頭ぐらいだっただろうか。
同じ大きさのお皿に滞在中の10日ぐらいの間に絵付けをしたい、どこか良い
工房を探してもらえないか、という連絡。
私は焼き物に関わりがないわけではないが、イタリアの、またトスカーナの焼き物
工房にはあまり通じておらず、さてどうしたものか。まずは焼き物の町である
モンテルーポ、またはテラコッタの赤煉瓦で有名なインプルネータ、その辺りの
工房をあたるしかない、と思いながら、知っているところをあたってもそういった
受け入れはあまりしていない、というところばかり。
さて困った、と思っていたら、アレが以前仕事場をともにしたマヨルカ焼きの
制作工場を経営するリッチェリ氏を思い出した。さっそく連絡してもらったが
彼のところは無理、しかし従兄弟は個人工房なのでもしかするとできるかもしれない、
と連絡先を教えてもらった。ちょうど良いことに我が家からも遠くないインプルネータ。
インプルネータはほとんど外に置く釉薬なしのテラコッタの壷や花壇用の鉢植えなどで
釉薬の色づけをするお皿などを制作しているところはなかなかない中でこの従兄弟さんの
セルジョは唯一のそういった食器も制作する工房ということ。
なんと幸運なことか。そして訪れてみたら、いかにも職人気質、作家の心意気のある
感性豊かなご主人とわかった。
快く日本からの友人を受け入れてくれると言う。

そして今週の水曜日から制作開始。その前に下準備で素焼きの皿を20枚すでに轆轤で
ひいて作っておいてくれた。
初夏の日差しの強いこの2日間。N氏はセルジョとの気もあったのだろう、そして工房の
静かで集中できる環境のおかげか、予定していたよりずっと短期間でお皿の絵付けを
終えられた。

作る者同士の暗黙の了解、感性の類似、言葉を超えた心の通い合いというものをつくづく
感じた。

大阪で夏に展示される予定のお皿達。
来週セルジョが再度窯に入れ、新たなる色に変貌して生まれあがる。

セルジョとN氏との協力のもとに生まれた作品が日本へと旅発つのは間近である。
10,000キロの距離を超えたふたつの文化から生まれた作品。
久々に心躍る嬉しい体験である。

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# by jamartetrusco | 2013-05-11 03:54 | Vita (人生)
2013年 04月 18日

アスパラガスと藤

冬はさほど寒くなかったとはいえ3月に入ってからの天気が最悪、毎日雨、肌寒い日々が
続き、春の息吹が一ヶ月近く遅れた。
4月に入ってからもすっきりしない天気が続いていたが、ついに先週の土曜日から
すかっとした快晴が訪れ今までの天気が嘘のように感じられる。
遅れていた藤棚の莟もやっと花咲いた。
去年の藤棚は3月末には満開だったことを思うとかなり遅れての春の訪れである。
ツバメもイースターが終わって4月3日にアフリカからやってきた。
自然とはいかに素晴らしいか。
3月半ば過ぎる頃には現れるツバメが今年はおそかったのはやはり3月中の嵐のような
気候がわかっていたからだろう。

毎年恒例の野生アスパラガスを採集した。
アスパラガスのパスタ。濃厚な野生アスパラガスの前には市販のアスパラガスなど
薄れてしまう。

明日からロンドン、天気はいかに?

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# by jamartetrusco | 2013-04-18 23:22 | Natura (自然)
2013年 03月 28日

想像−創造 

ロンドンにあるWellcome Collectionという異色な財団美術館にて開催されている
日本からのOutsider Art展の記事を読んだ。

最近富みに現在の美術界への懐疑心が増殖して、いわゆる現代美術館で行われる現代アートへの
興味が薄れつつある中、精神と想像、創造について再考できる展覧会のようである。
存在する知らなかったこの財団美術館はヘンリー・ウェルカムという19世紀のアメリカ生
の英国人の薬剤事業を手がけた先駆け的人物の収集したコレクションを常設。
薬学に関するすべてを集めているようだ。従来の液状や粉末状の薬から錠剤を発明した
のはこの人らしい。次回渡英時には覗いてみようと思う。

アウトサイダー・アートという題名からもわかるように、展覧会は通常のアーティストの
作品を紹介するのではなく、社会福祉施設に住むか、もしくはデイケアーの世話になっている
心身障害のある方々46人の約300点の作品展である。作ることがセラピーとしての効果
を持つことから「日常の時間」イコール「ものを作る」というような状況から生まれた作品群。
その表現はプリミティブであるかもしれないが、魂のエコーのような直裁な表現である。
誰かのため、市場のため、展覧会のため、と言った「大義名分」の存在しない、ただ作るため
に作られた、作り手の心、魂、頭脳の作用するままに、自ずと発生した想像力の賜物である。

想像と創造の関係は密である。
無心の力、生まれてからだんだんと失われていくこの不思議な人間の力をどうやったら維持
できるのだろうか。
東京芸大美術館にて開催されていた尊厳の芸術展で見た、「作る」ことで「生きる」、または日常の
必要から生まれた様々なオブジェに共通する無心から生まれた「もの」自体の力。

アレの木の彫刻のデッサンもどこか無心である。

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# by jamartetrusco | 2013-03-28 20:02 | Arte (芸術)
2013年 03月 15日

神聖の崩壊

3月13日、コンクラーベが開始されてから異例の早さにて新法王が決まった。
ローマ法王フランチェスコ、アシジの聖人フランチェスコから取った名前であるが
史上初めての法王名なので「何」世という番号もない。次にフランチェスコを
名乗る法王がでて初めて2世となる。
貧しき人々の見方の聖フランチェスコを模範とすると思えるこのアルゼンチン出身の
新法王は贅沢を避けて普段はバスを使って動き、草の根の教会活動をしてきた大司教
と聞く。元々イタリア系であると言え、初めての欧州出以外の法王。
すべてが初めてというある意味でカトリックを総括するシンボルとしての新鮮な始まりと言えよう。
前法王であるベネデット11世が高齢を理由に辞任するという異例の決断をしてから
あっという間に新法王が選出されている状況とは対照的に、2月の総選挙からすでに3週間
経っても未だに先の見えないイタリアの政治はまさに混沌の様を呈している。

さてこの前法王の辞任の決断について一言。別段カトリック信者でもなんでもないが
日本にて幼稚園から大学までカトリック系の学校に通った者として、今回の法王
辞任は今ひとつ納得できない。
法王というのは職業ではなく信仰の究極のシンボルである。カトリックの信義と様々な
儀式とすべて担って全世界のカトリック信者の支えとなる神木、大黒柱である。
その法王がまるで普通の仕事人のように高齢になったら引退して余生を静かに過ごす
(新居にてピアノを弾き、本を読み余生を送っているということ)というのは
まるで自身の教義と存在自体を否認したようなものと思える。
信じること、極めて悟ることは身体の問題とは別のはずである。
高齢で思うように職務がこなせないというのは普通人の言葉であろう。
1世紀ローマ時代に始まり266代目の現法王までの長い歴史がひとつ変わってしまった。
心が物質に屈した、神聖さを崩壊させたとしか思えない。

カリスマなき時代、神聖がどんどんと薄まっていくこの21世紀ならではの結末と
言えようか。
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# by jamartetrusco | 2013-03-15 20:19 | Paese (土地柄)