2008年 11月 11日
ロンドンにて11月30日まで見ることのできる不思議なインスタレーション。 アートをギャラリーや美術館、劇場などの限られた箱を越えて公共コミッションの展開として社会に促しているArtangelの企画。Archangel(大天使)を文字ってArtangelとしたのだろう。象徴的な名前である。 今回の企画は1975年バーミンガム生まれのRoger Hiornsによる時間の経過が必要なインスタレーション作品Seizure。 作品というより時を経た空間創造である。Seizure(占有)というタイトルがまさにびったりであるのは60年代の古びた小アパートの室内空間を硫酸銅の青色のクリスタルが被い尽くして、まさに空間を占有しているからである。天上か壁から床から風呂桶まで。すべてがイブ・クライン・ブルーの一色に染まり、まるで宇宙の不思議な生物がこのアパートへ移り住んだ趣きである。光も控えてあるため、暗闇に輝く超現実的なクリスタルの城に足を踏み込むようである。 化学の実験に近い試みであるこの奇異なインスタレーション。硫酸銅をここまで育てるのもある程度の時間が必要であろう。 制作プロセスはアパートの上階の床の隙間から硫酸銅を溶かした温液を75,000リットル流し込み冷える段階でこの液体が接触したすべての部分がクリスタルに変容して行くのを待つ。不要な液体は吸い取り、出来上がったのがこのインスタレーションである。 洞窟探検、鉱物の煌めきへの憧れ、一色に染まった世界を前にする畏敬の念、海、空にも象徴される「青」という色への太古からの憧憬、一般の人々の深層心理に訴える極めて効果的なインスタレーションである。そしてなによりも美しい。 Seizureという宇宙のミクロの侵略を連想させるタイトルとともに自然の化学的現象の恐るべき繁殖能力に驚きを覚える。この作家の真の目的はこの空間への入城から喚起される視覚的、体験的色彩のインパクトであるに違いないが、生き物の存在の儚さへの言及でもあろう。 自然が突然狂気と化して地球が硫酸銅のやしろとなったらもう生きるものの住処などなくなってしまうであろうから。 それにしても会期が終わった後このクリスタル城はどうなるのだろう。 どこかに移築されて永劫の展示となるのか。アパートの構造自体は朽ちてもこの クリスタルは残ること間違いない。 #
by jamartetrusco
| 2008-11-11 22:16
| Arte (芸術)
2008年 11月 10日
2008年 11月 06日
ロシアの誇る映画監督アンドレイ・タルコフキーの映画は20代に初めて観てから常に頭の片隅に光の残照のように残るものであった。 殺伐たる寒さの冬の日に生きる勇気を与えてくれるいくばくなる光のような、子供の中にある恐れと憧憬を映像化したような、人間の、あるいわタルコフキーの奥底に潜む痛いばかりの感性の鮮明なる露出のような。人間の魂の悲壮感を根底にしながらそこに見いだしうる神々しい歓喜の混じったような。 代表作は「アンドレイ・リュブロフ」、「惑星ソラリス」、「鏡」、「ストーカー」 「ノスタルジア」「サクリファイス」。 「アンドレイ・リュブロフ」「鏡」と「ストーカー」の3作は人生の様々な岐路に観たい作品である。 つい先日「ストーカー」を久々にDVDにて見た。 そして驚いたのに、20代当時記憶していたのはタルコフキー独特の自然や人間の生き様の細部の映像のひとつの完成された視覚的体験であり、内容はほとんど理解していなかったのである。20代の感性と今の感性の違いと、置かれた立場の違いによる理解力のレベルの違い。名作は年齢を経てさらに名作となる。 水の表現や捨てられた塵屑や壊れたガラス片でさえひとつの美的映像の頂点へと導いてしまうこの監督の映像の素晴らしさには以前と同様の感動を得た。 しかしそれ以上に感動したのは、映画を通して語られる静かでありながら脈々とした人間の存在の長編詩である。生きる意味を新たに噛み締めることのできるその言葉の数々である。その中で心にずっしりと残ったのはもっともたやすい言葉でありながら実行するにもっとも難しい真実である。このように生きることをモットーとしたい。 思うがままに行くがいい、 信じるままに。 情熱などあざ笑え。 彼らの言う“情熱”は心の活力ではない。 魂と外界との衝突でしかない。 大切なのは自分を信じること、 子供のように無力となること、 無力こそ偉大なのだ。 力には価値はない。 人は無力かつ無防備に生まれ、 死ぬ時には乾いて固まる。 木もそうだ しなやかに育ち、 乾いて硬直し枯れてゆく。 硬直と力は死と隣り合わせだ。 柔軟さと無力さは生の源、 硬化したものに勝利はない。 万物には価値がある、意味と理由が。 #
by jamartetrusco
| 2008-11-06 22:44
| Cinema (映画)
2008年 11月 03日
Barbagiannaという名前で知る人ぞ知るの現代アートを紹介する田舎家がある。 フィレンツェから15キロほど行った高台の丘の上の家。 18世紀から建つ農家であるが、そこはMorgana Edizioniというアレッサンドラが営む芸術関係の書物の出版局でもあり、また季節の良い半年間はさまざまな展覧会、ミーティング、コンサートなどなど開催される文化センターともなっている。 11月だというのに異例の暖かさである昨日、作家友達のエレナ夫婦とともに初めて この場所を訪れた。散歩がてら坂をてくてく登っていって辿り着いた場所は遠景に 典型的トスカーナの風景が開けるまさに桃源郷。 古い農家もあまり手を加えずに、床も扉も壁もすべて朽ち果てた美しさを残している。 今展示されているのはフィレンツェに移り住んで長いカロリーヌ・ガロワというフランスからの作家の作品。 19世紀のフランスの象徴派詩人ランボーのVoyelles「母音のうた」からインスピレーションを得て描いたという。「母音のうた」はフランス語の母音であるa, e, i, o, u「アエイオウ」の五音とその音から連想される色を歌った詩である。 音声と色との関連は音楽と絵画との関係のようなつかみどころがないようで明確な 絆である。 色とりどりの美しい装丁の本が多く置いてある空間であるので彼女の作品とも静かな調和を醸し出している。 本と言うオブジェの美しさ、紙質や色合いから読みたくなる本が並んでいる。 「素材」というものの真の価値を見せてくれる芸術の住処である。 秋の色の移ろいと永劫なる美に囲まれてゆったりとした時を過ごした。 #
by jamartetrusco
| 2008-11-03 18:30
| Paese (土地柄)
2008年 10月 31日
私の今の考えをまさに代弁してくれるかのような素晴らしい記事を読んだので ここに紹介したい。 1959年、ナイジェリア生まれ、英国育ちの作家である。1991年の作品、 The Famished Roadにてブッカー賞を受賞している。 Ben Okriの記事 彼のmy spaceにて以下の画像も掲載されていた。不思議な余韻が心に響き渡る。 #
by jamartetrusco
| 2008-10-31 19:50
| Vita (人生)
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