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2009年 03月 09日
フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の「緑の回廊」にあるパオロ・ウチェッロのフレスコ画。Diluvio Universale. 大洪水、あるいはノアの箱船。 長い年月を経て、またフィレンツェの大洪水の被害も受けて、残念ながら状態はかなり悪い。 ぼんやりとフレスコ画独特の色調が残っているのみである。 それでもなんと存在感のある繪だろう。 パオロ・ウチェッロは遠近法に生涯拘り続けた画家である。 そして動物、特に鳥の絵を描くのが好きだったので「鳥(Uccello)のパオロ」という 愛称にて呼ばれたフィレンツェ生まれの画家。 この絵においても目線は箱船の形を中心にドラマチックに奥へとつながっていく。 雨風の大嵐で吹き飛びそうになりながら仕事を続ける人々の肉体。焦点となる稲妻の 走る暗黒の空。その中でただひとり悠然と立ち尽くす老人ノア。作家の視線を感じさせるような その眼差し。一人の作家の異様な拘りと精神の作用がそこにはしっかりと感じられる。 先週は一週間雨が降り続けてまるで洪水さながらであったトスカーナ。 やっと太陽が顔を見せたこの土曜日、フィレンツェにて開催されていたArtour-oというアートイベントを見た。サンタ・マリア・ノヴェッラ広場にあるGrand Hotel Minerva というホテル内のアートフェアを中心としてフィレンツェの歴史的空間やギャラリーにて様々な現代アートの展覧会が開催された。 ホテルの客室を使ってのこのアートフェアは参加ギャラリーのレベルの低さのせいか全く力のない展示であった。作家の存在などまるで感じられない名無しの作品ばかり。 イベントを総括する名目として「現代アートの都市としてのフィレンツェの再生」という歌い文句があるのだが、どこが?と反論したくなるような質である。 こんな中途半端なアートフェアを行うぐらいなら、この客室を様々な作家に貸して個展を繰り広げたほうがまだ効果的だろう。 アメリカにて発祥した近年の現象で日本でも大阪堂島ホテルのアートフェアを去年の夏見たばかりである。アート=商業=販売、という構図の最先端のようなホテルアートフェア。実に「つまらない」の一言である。 ウッチェロの「大洪水」の感動の後ではますます勝ち目なしである。 現代アートというカテゴリーは一体なんなんだろう。およそ心の琴線に触れることのない大量生産の現代アートととはまさに消費文化、マスプロダクション、大衆文化、広告文化、などなどの60年代からの我々の社会の生み出した産物である。そこには作家の心に秘められた神秘の影、心の 憂鬱から生まれた生と死への内省など感じられない。公の面前にどうどうと脚光を浴びる作品、作家のエゴの塊のような。秘められた暗黙の力の不在。見えないものへの微かなる言及などない。 説明過多または説明なしのコンセプトのみにて固められたぺれぺらの表現である。 どこかが違うのである。今そこらじゅうにころがる「現代アート」というものが好きでない。 大洪水ですべて洗い流してあらたな再生が必要であるとつくづく思った。 ![]()
by jamartetrusco
| 2009-03-09 18:47
| Arte (芸術)
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