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2009年 08月 09日
Torcelloというヴェネチアのラグーナ内にあり、ヴェネチアの母と呼ばれる島がある。 5世紀のフン族、アッティラ王の侵略を逃れてヴェネト人が本土からこの島に移り住んで 以来7世紀頃から栄え始め10世紀には最盛期を迎える。しかし12世紀以降ラグーナが 沼化していきマラリア病が蔓延して住民が島から本土に逃れて15世紀以降はヴェネチアの 影に衰退してしまったという栄枯盛衰を生きた島である。ヴェネチアの源となったという 歴史的に重要なこの島には最盛期には20,000人ほどの住民と10数の教会があったという。 今では数えられるほどの住民しかいない。歩道もフェリーからホテルやレストランのある 一角までをつなぐものだけである。ビザンチンのモザイク壁画が素晴らしい7世紀ロマネスク、 ビザンチン様式の教会、カテドラーレ・ディ・サンタ・マリア・アスンタとその鐘楼がその 最盛期の面影を唯一残す。 ヴェネチアに人々が移っていった際に建築物を築き上げていた石などすべて持っていった というのであるから、遺跡のようなものも見当たらない。あるのは教会の前にあるいつくかの 石。無造作に置かれた石座はアッティラ王座と呼ばれるが。 島全体にどこかメランコリックな空気が漂う。ここで流れる時間は日常を超越しているかのように。ヘミングウェイがこの島を愛し執筆のため少しの間滞在した。 本土から離れて作家が静かに制作に集中できる、そんな時空間がある島である。 この島にあるラグーナをつなぐ唯一の橋の名前がPonte di Diavoloー悪魔の橋。あいにく修復中でその全姿を見ることはできなかった。 8月6日に修復後のお披露目をしているはず。 この橋はPonte chiodoと同じ欄干のない石を積み上げた橋である。ヴェネチア ではこの種の橋はこのふたつだけである。その両橋に出会えたことはどこか運命的 だが。 Ponte di Diavoloという名前の由来は? 世界でも数十の同名の橋が点在する。キリスト教圏にだけであるが。 様々な伝説がある。古い逸話によると悪魔と石職人が契約を交わすが、その内容は 悪魔が石橋を造る代わりに初めてその橋を渡る人の魂を彼に譲る、というもの。 結局は悪魔退治をして国は平穏にて終わる、という結末であるが。 要するに悪魔の手を借りたと思わせるほど石だけを積み上げた橋作りの技術がすぐれて いるということを象徴して生まれた名称であろう。 13世紀に礎が築き上げられたこのトルチェッロの悪魔の橋。 その簡素な姿から悪魔の名前は想像しにくい。 ![]()
by jamartetrusco
| 2009-08-09 00:13
| Storia (歴史)
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