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2009年 08月 14日
![]() 屋外に置かれた彫刻作品というのは大体の場合、彫刻公園、彫刻の森と行った公開入場スペースに 行って観賞する場合が多く、パブリックスペース(公共空間)に忽然と置かれて周りの環境や自然と共鳴している彫刻と出会うことはなかなか難しい。その意味では高層ビルの森林であるニューヨークやシカゴの近代建築の町並みに置かれた彫刻は現代という美意識の切り口に調和した美しい空間を作りだす稀な例である。シカゴで見たアニッシュ・カプールの彫刻などは周りの景色や人々をそのメタルの表面に映し出し作家の意図がなんであれ、公衆の関心を集めることにおいて成功していた。思えば頻繁に訪れるロンドンの町中でそういった彫刻作品に出会った覚えはない。 イタリアの町にも様々な彫刻が広場や川沿いに置かれているが、たいていの場合歴史上の人物で古くからそこに置かれているかもしくは現存の地元の作家の作品で、大体の場合、人の形をしたオブジェである。そしてたいていの場合ない方が良いと思わせるものが多い。 抽象彫刻に出会うことはすくなくともフィレンツェの場合は稀であり、またその効果の善し悪しも 議論の余地を多く残す。 そんな中で自然の中に置かれ、周りの自然を侵さず、そればかりか周囲の自然に力を与えるかのような力強い彫刻作品に出会った。ヴォルテッラへ導く街道の途中、見晴らしの良い高台のカーブに忽然と目に入ってくるマウロ・スタッチョーリの円形の物体である。今年の9月13日から生地であるヴォルテッラの美術館にて回顧展が開かれることもあって今年5月から来年の5月までの1年間、ヴォルテッラ付近の街道に彼の作品が点々と置かれることとなったらしい。これは後で調べてわかったのだが。 この円形のシンプルこの上ない物体はその巨大な内円の中に遠景を取り込んで佇む。 遥か彼方の一点はいったいどこを示すのか?もしかするとそこにも彼の作品が置かれているのかもしれない。この円形は周囲の美しい自然を単なるドライブの背景ではなく一瞬にして切り取られたひとつの宇宙として永遠化するかのようである。 この円形は実はヴォルテッラに入る前(どこから来るかに寄るが我々の町から来ると前になる)に 赤いシンボルとして現れ、そしてヴォルテッラを下った街道のほぼ壊れかけた教会か何かの建物の遺跡の付近に再度現れる。今度はソリッドな円形の塊として。まるで陰と陽のように。 残照として残るこの円形の源はこの土地を知るものには明白である。 ヴォルテッラの大地の多くが麦畑や干し草畑であり、干し草を刈った後に丸めて保存するその 円筒形のイメージである。 夏の枯れた土地にこの形が点々とまるでデザインされたかのように置かれたその風景は私の中の イタリアの美の一つである。 その美しさのエッセンスをこのヴォルテッラの彫刻家は心底理解しているに違いない。 自身の生まれ育った自然と彫刻の形の調和がいかなるものかを知っているに違いない。 そして愛する土地に力を与えるようなエクストラとしての作品を作りたかったに違いない。 屋外彫刻の意味とはそこにあると思う。 ![]()
by jamartetrusco
| 2009-08-14 23:33
| Arte (芸術)
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