2009年 12月 19日
映画監督タルコフスキーの数少ない著書のひとつ、Sculpting in Timeを読んでいる。 「時間を彫りおこす」とでも訳せようか。自身の映画に対する美学、哲学ばかりでなく芸術の在処を語るタルコフスキーの詩人たる側面が浮かびあがる一冊である。中でも特に興味を持って読んだのが"Art - a yearning for the ideal"ー「芸術ー理想への願望」という一章。私が常日頃感じながらも言葉足らずで思うように表現できない芸術に対する把握、思想を端的に綴ってくれている。芸術というのはいかなるメディアー絵画、彫刻、音楽、詩、文学、映画などなどーであっても多かれ少なかれ真実の発見に向けての表現をするものには共通する神的なインスピレーションがあると思う。 しかし芸術とは一体なんであるのか?という問いかけに対して答えを求めるのは難しい。この未知にして無限なる広がりと底知れぬ力のある芸術の意義と認識に関して、映画という一芸術の中で「本物」の作り人であるタルコフスキーがその答えを模索する。 「すべての芸術の目的は<消費者>対象に売り物という意識で作られたものでない限り、芸術家が自身と自身の周りの人々に対して、いったい人間は何のために生きているのか、自身の存在の意義はなんであるかについて問いかけ、答えを解き明かそうとすることにある。」 芸術の役割とは「知る」という試みである。終わりなき「完全なる真実」追求の旅。 「芸術は精神性、理想を求める時を超越した飽くなき願望の中から初めて生まれる。その願望こそ人々を芸術に惹き付けるのである。現代アートがどこかで道を間違えたかに見えるのはおそらくそのような存在意義の追求を捨てて、自己意志の表現のみに基づく一個人の価値の是認を知らしめるためだけに走っているからだろう。」 そして真なる芸術は美と醜、生と死、調和と緊張など、相反する2元性を内包するものである。 「無限という概念は言葉で表現したり、解釈したりすることは不可能であるが、芸術を通して認知することができる、芸術を通して無限を感触することができる。」 「創造を目指す葛藤の唯一の条件は自身の営みを信じること、自身を捨てて無になること、そして妥協しないこと。」 自己表現などと言うのは真の芸術たるものに成り得ないのである。ここに60年代以降のアート界の嘘と無理が隠れている。作家の意志、個の表現を表そうとすればするほど真なる美は遠ざかっていくのであろう。 人間の個や自我を超越して、存在の過去、現在、未来を抱擁する無限なる芸術の美を発見する。そこには生と死を内包する人の存在の真実が刻まれている。それでこそ真なる芸術は人の心を震えさせるのであろう。
by jamartetrusco
| 2009-12-19 03:01
| Arte (芸術)
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