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トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2010年 03月 08日

芸術考

20世紀後半の美術において神秘は失われてしまった。今日のアーティストは即時の
そして完璧なる承認を得ようするーそれも魂の領域にて起こることに対しての即時の
代償を求めるーーー中略ーーーー今日、芸術として通用しているものは大部分、
フィクションー虚構である、なぜなら手段が芸術の意義と目的になり得ると思うのは
誤信であるから。
にもかかわらず現代の作家達は思うままにその手段を示すことに時間を費やしている。
「アヴァンギャルド」という事自体、精神性を着実に失いつつある20世紀という
時代に特有のものである。芸術における「前衛」は無意味である。たとえばスポーツなどに
前衛という言葉を使うのは理解できる。芸術に「前衛」を当てはめるのはまるで芸術に
進歩があるかのようだ。進歩が存在するのは技術においてのみである。芸術において
どちらかが進んでいるなどと言うことはあり得るだろうか?
「前衛」ということに関して話すとき一般的に「実験的」とか「探索」とかの意味で語られる。
それは一体どういう意味だろう。
芸術において実験などできるだろうか。失敗すれば制作者の落ち度しか見えないというのに。
ーー中略ーー
芸術作品というのは完璧なる美的,哲学的不変性を内に孕んでいるのである。そのもの自体の
法則により生き、変貌する生物のようなものだ。子供の誕生について実験などという言葉が
当てはまらないのと同じだ。新たな審美の構造が理解できないために、自身の範疇も
見いだせないために、間違えるのが怖いために、目新しく感じられ、
容易に理解できない物に対して「前衛」と十把一絡げにしたいだけだろうか。
ピカソの逸話が面白い。彼の目指す「探索」について質問を受けたときに、
ピカソは明らかに不満げに「私は探索するのではない、発見するのだ」と語った。

                 タルコフスキー著、"Sculpting in Time"より抜粋。


芸術に進歩などないのである。あるのは宇宙の本質の表象である。
その神秘を発見することが芸術である。


芸術考_f0097102_2139771.jpg


by jamartetrusco | 2010-03-08 21:43 | Arte (芸術)


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