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2006年 03月 31日

キャンティ(Chianti) とガッロ・ネーロ(Gallo Nero)

キャンティの名前はワインの銘柄として世界中に知られていますが、その歴史や
ガッロ・ネーロ Gallo Nero (黒雄鶏の意で、キャンティワインの検定付き品質保証を表すDOCGーDenominazione d' Origine Controllata e Garantita ーラベルのシンボルマーク)の由来についてご存知の方は少ないのでは? 


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現在のキャンティ地方、緑の部分
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Chiantiの語源はエトルリア語で人の名前をさす"Clante"か、ラテン語で狩りの始まりに鳴らすラッパの吹音を表す”Clango"のいずれかではないかと言われています。
歴史も古く、紀元前3世紀頃のエトルリア人の存在を見てとることができます。キャンティ地方の気候の良さ、豊穣な土質、また丘に囲まれた立地条件など定住するに最適な場所だったようです。実際エトルリア人の存在を証明するお墓の遺跡などいくつか残っています。カステリーナディ・キャンティにあるTomba Etrusco(エトルリアの古墳)などその一例。
この辺りの町の名前で ...naと終わるのエトルリアが起源だそうです(Olena,Russenaなどなど)。 もちろんその後ローマ人が入ってくるのですが。

それから時は下って、11世紀に端を発するフィレンツェとシエナの長い抗争に巻き込まれます。キャンティの都市を配下に入れようとするフィレンツェと自らの都市とその境界線を守ろうとするシエナの戦いです。結局はフィレンツェの優勢で終わるのですが、その境界線を決めるにあたって出てくるのがガッロ・ネーロ(黒雄鶏)の逸話です。
    
     「フィレンツェ、シエナの両都市の騎馬が朝、雄鶏の第一声で出発し、
     お互い出会った地点を境界線とする! と決めた。
     シエナの雄鶏は美食で太っちょ、しっかり寝坊。
     フィレンツェのは腹ぺこの盛りだった黒雄鶏、暗いうちにコッケコッコー。
     かくしてフィレンツェはシエナにずっと近づいて領土を広げたそうな。」  

13世紀半ばにはキャンティ地方は自治の同盟(Lega)を結び、14世紀にはその紋章として金地に黒のガッロ・ネーロのシンポルを選びました。そして良質のワイン管理のために9月29日前のブドウの収穫は禁止したと伝えられています。

グレーベにあるGallo Neroの彫刻
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キャンティの歴史のほんの一面です。


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by jamartetrusco | 2006-03-31 18:46 | Storia (歴史)


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