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2011年 06月 27日
6月24日(金)はフィレンツェの守護聖人ーPatrono−の祝日である。イタリアではどの町にも守護聖人がある。フィレンツェのパトローノは洗礼者聖ヨハネ。 もちろんこれはカトリック教会が主流となった時期以降のことで、ローマ時代のフィレンツェの守護神は戦神マルテであった。大聖堂の目の前の八画形のジョバンニ・バティスタにちなむバティステーロ(洗礼堂)の建物ももともとはこのマルテ神に捧げる神殿だったと言う。6世紀の東ゴート王のトーティラがフィレンツェの町を破壊させる図を描いた写本にこの洗礼堂が描かれているのはフィレンツェの歴史を語る興味深い資料である。そしてヴェッキョ橋の入り口に1333年までマルテ像があったそうだが、アルノ川洪水にて流されて今は存在しない。13世紀以降6月24日を守護聖人の祝いとした。 この日は朝から様々な行事が繰りひろげられる。まずは旗手による旗投げ、当時の衣装をつけた4区代表者のパレード、そしていわゆるcalcio storico, 別名calcio in costumeと呼ばれる古代サッカーの決勝戦がサンタ・クローチェ教会の広場で開催される。サッカーという名のもとで呼ばれているが、現在のサッカーとはほど遠く、ラクビーに近いもの、手足とも使ってよし、取っ組み合いもよし、というようなかなり荒っぽい試合。丸い球を相手の陣地ゴールに入れると得点。選手達の剛力の比べ合いと言った感じの、ときには血を流しての原始的な格闘ゲームである。フィレンツェの4区、白(サントスピリト)、空色(サンタクローチェ)、赤(サンタマリアノヴェッラ)、そして緑(サンジョバンニ)を代表する選手は皆15世紀の衣装を身にまとって争うのであるが、シエナの歴史的競馬パリオに比べるといささか野蛮な感じがする。個人的にはシエナに軍配を挙げたい。 そして試合が終わってから夜10時過ぎにはミケランジェロ広場から花火をあげてお祭りは幕を閉じる。 今年の24日はもうひとつの出来事があった。今年で就任2年目を迎える30代の若いフィレンツェ市長の レンツィ市長が市内の歴史地区の一部を再び交通規制の地区に設定したのである。再び、というのはすでにドゥオーモの近くは歩行者のみの区域となっており、そのおかげでバスの路線をかえたり、開始当初はいろいろな渋滞の問題もあり困惑も否めなかったが今では車が通っていたのも忘れてしまうかのようである。今回の交通規制地域は有名ブティックの並ぶトルナブオーニ通り、そしてピッティ宮殿の前を通る通りで特に後者はかなり車の通りも激しかったので歩行者にとっては通りやすくなる、というところであるが、しかし問題はかなり残されている。というのも中心の歴史地区に住む人たちは身動きできな状況になりつつあるからである。そんな便利な地域に住むだけでもラッキーだから文句を言われる筋合いはないと言えばおしまいだが、彼らもフィレンツェの別の地域に仕事や用事に車で行かなければいかないことが多いだろうから、その際に不便は出てくること間違いなし。 古い町を歩行者天国にしてしまうと町のダイナミズムが段々と失われ、観光客のみ優遇されたディズニーランドに成り代わる危険性もある。フィレンツェ市民が一番暮らしやすいようにするのが市長の役目であろうし、 またそうでなければ町の意味がなくなってしまう。世界からの観光客数があまりにも多くそしてその割に 小さい町であるフィレンツェは多くの問題を抱えているのが現状である。 ![]()
by jamartetrusco
| 2011-06-27 04:19
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