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2011年 11月 12日
![]() 国立現代美術館MAXXI、そして現代美術館のMACROの別館。 ローマのフラミニオ地区に昨年開館したばかりの建築とアートのための美術館。名前はMAXXIーMuseo Nazionale delle Arti del 21 secoloー国立21世紀美術館。21世紀美術と建築にコレクションと展示を当てた国立の財団機関で、イタリア初と言える。半分は現代建築に当てられているというのも特徴的である。建物自体がまさに現代建築の集結と言えるような斬新な新建築となっている。設計したのはイギリスで活躍するイラク出身の女性建築家ザハ・ハディド。この建築デザインは開館同年の2010年に王立英国建築家協会により与えられるスターリング賞を受賞している。 プロジェクトは1998年に発足されたということであるから有に10年以上の年月をかけてやっと完成した、といういかにもイタリアらしい展開であるが、その間に何回政府が交代していることやらと思うと開館したこと自体が奇跡のようなものである。 イタリア事情はさておきこの建築空間は途切れることのない空間の広がりの美しさがある。既存の古い建物から派生したような形で設計された新建築部分はザハ・ハディド独特のゆるやかなカーブのある筒、楕円、角形などなどの形体が縦に横に組み合わさりひとつの一体となっているような感じの構造である。上から下まで見下ろせるような高さと広がり。空間の美しさのみを追求するという意味では建築としての効果は最大限に発揮されていると言えるが、いざ美術作品の展示空間となるとやや疑問が残るのも事実である。ひとつずつの部屋が横長に繋がっているため、ひとつの展示ギャラリーから次のギャラリーまでかなりの距離を歩くことになり、下手をすると展示されている作品自体を見過ごしてしまう場合もあるからである。建築家が自分の創造的願望を謳歌するための建築はともするとその中に展示する芸術作品や観客を忘れてしまう恐れも否めない。建物が主かその中に展示される作品が主か、という問題であろう。まあ現代美術は最近では大きさとインスタレーションが主体であるからこういった広々とした空間こそが適していると言えるのであるが。 卵と鶏の構図。建築があり中に収まる作品が決まるのか、それともその逆か。 現代建築の力と弱点。 これに比較して過去は牛の屠殺場だった建物を展覧会空間にしたMACROがある。 この場所はまず「空間ありき」、である。 芸術のために造られてはない建物である。空間はまた広大である。 ところがその空間が凄い力を発揮しているのである。 屠殺された牛が吊るされていただろうという鉄具もそのまま残されている。 生き物の死がそのまま血の匂いを想像の中に残してただ「在る」。 その生の「在る」姿が妙に新鮮であり、それだけで有効な創造的な空間をなしている。 何も中に展示されていないのになぜこんな力があるのだろう。 作品なき中の美と力。歴史が刻まれているからこその重み。 まるで無に何かを見いだす禅の世界のように。 茶の世界の見立てのように。 建築家の自身の思いの強い美を追求するために 生み出した作為的な空間と、対する屠殺場として生まれた美などとはほど遠い 無作為な空間と。 明の美しさと暗の美しさの違い、 どちらが心に訴えるものがあるのだろう。 私の中では軍配は上がっている。 ![]()
by jamartetrusco
| 2011-11-12 05:12
| Arte (芸術)
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