2006年 06月 12日
ミラノから15キロほど北北東に向かうとミラノ県内の重要な市であるモンツァに辿り着きます。 以前トスカーナに住んでいた友人家族が引っ越した街。いままで名前のみ知っていた街が身近になったわけです。 モンツァはF1レースのサーキット、Autodromo Nazionaleがある街としても有名です。 このサーキットも実はモンツァの広大な国立公園の端にあるのです。 この公園、囲いのある公園としてはヨーロッパ一の大きさ、ニューヨークのセントラル・パークの2倍以上の規模だそうです。当時北イタリアを保護国として配下におさめたフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが1805年に公園として指定したとのことです。狩猟などにも使われた敷地でところどころに猟のために使った古い屋敷が残っています。 この広大な領地はもともとは18世紀ロンバルディア地方を配下においていたハプスブルグ家、オーストリア大公フェルディナンドが1777年から80年にかけてミラノとウィーンをつなぐ領地に建てた宮殿の一部でした。その後オーストリアの支配からサボイヤ王のもとに戻った際にVilla Reale(王宮)と名称を変えました。 ベルサイユ宮殿をモデルに建てられたと言われており、ハプスグルグ家全盛の頃はまさにきらびやかな華やぎがあったに違いありません。残念なことに、今ではかなり荒れ果ててしまって往年の面影は失われ、修復の費用も不足しているとか。 去年の年末、雪の降る寒い時期に大晦日を友人家族とともに過ごすために初めてモンツァを訪れたのです。そのときは美しい純白につつまれる景色は素晴らしかったものの、零下5度というあまりの寒さでどのような木々や植物、動物が生息しているか、また公園の広大さなどもわからなかったのですが、今回はうって変わって緑青々と見違える風景。 かなり先まで歩き、F1のレーシングカー独特の爆音のエコーも遠くに聞こえました。 そこで一休み、広々とした野原にて思う存分友人家族の愛犬クーも遊べました。もちろん子供達も。こんなに広大な野原にひっくり返るのは久々です。 公園での今回のもうひとつの発見はまるで「となりのトトロ」に出てくるような巨大な木。圧倒的な存在感をもって臥座しています。 すべてが一木ではないのですが、互いに枝が絡み合っていて、一塊の森に見える。小さな入り口から中に入ると、そこは外の光を遮断した森の暗闇が訪れます。子供達の想像力を駆り立てるに違いない隠れ場。 そしてところどころにあるねじ曲がった木の幹の跡。何故こんな形で残っているのかわかりません。 モンツァという街はミラノヘの通勤圏でもあり、店なども、どれもピカピカしていて住む人の物質的豊かさが感じられる反面、北イタリアの産業地帯を支える移民も多く、どこか富と貧がちぐはぐに共存している、という印象を受けます。友人曰く、とても住みやすくて人々も当たりは良いが、どこか表面的でトスカーナの底知れぬ深さがないように思う、と。 そしてとりわけcampagna(田舎)の力、自然からの知恵がトスカーナでは大である、と。 それは私も同感です。そして、新し土地を知るには時間がかかるのも真実でしょう。 ミラノからの帰りの汽車がナポリ行きでそこに乗り合わせたナポリの家族。親戚が見送りにきていたのでしょう。そのさよならの挨拶のドラマチックさと言ったら、ナポリ以外の人には考えられない。汽車の発車寸前までキスとさよならとよろしくの連続。そしてお昼のお弁当も袋一杯に詰めて。南イタリアの一幕を象徴する光景です。 一概にイタリアと言うけれど、北と南とでは人種が違うよう、またトスカーナにはその特色があり、シチリアはまた独自の歴史があります。それぞれの地域がそれぞれの歴史をかかえて今に至っているのです。違ったイタリアの街角をますます探索したくなりました。 ☆以下のランキングに参加中です。クリック2回 ご協力ありがとうございます。 人気blogランキングへ にほんブログ村 美術ブログ
by jamartetrusco
| 2006-06-12 00:28
| Natura (自然)
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