2007年 03月 16日
![]() エトルリア人の起源の新説についてのやや苦笑を誘う記事を読んだ。 エトルリア人がどこから来たのかを解明するのにあたり、トスカーナ地方に特有の白いキアニーナ牛(かのビステッカ・アラ・フィオレンティーナの牛)のDNAがいわゆるアナトリア半島や中近東の牛のDNAと一番近いというのが調査で明らかになったことから、トスカーナ地方近辺に栄えたエトルリア文明の起源はここにあり、というのである。500頭にわたるこの牛種を検査したところこのキアニーナ牛と一番近いDNAを持つのは地理的に近いヨーロッパの他の地域や北アフリカの牛ではなく、アナトリア、中近東の牛であり、また牛に限らずトスカーナ地方の住民の5%のDNAが遺伝子学上中近東の人々のDNAに近いこともわかった。特にそれが顕著なののはエトルリア人の街として有名なムルロ(Murlo)やカゼンティーノ(Casentino)の住民であるそうだ。 ![]() キアニーノ牛の存在は古く、すでに2200年前からトスカーナ地方にて飼育されていたらしい。元々の先祖はラスコーなどの洞窟絵にも描かれているBos Primigeniusであるという。 どうりでトスカーナのこの白牛、その純白の肌と相まってどこか神聖な感じの面持ちである。 牛のDNAの類似点だけであるなら、当時商業的にかの地から持ち込まれたのではないか、という疑問も残ったのであるが、人間のDNAもしかり、ということで、この時代にアナトリア地方から移住してきた民族がエトルリアの先祖であるという説が堅くなってきた。それも陸地移住ではなく海から渡ってきたらしい。陸地つたいであるなら必ず通るはずのトリエステやアルプス山脈沿いの街にこの遺伝子の種子の跡が全く発見されていないことがその理由である。 エトルリアの彫刻の顔つきからしてもギリシャのヘレニズム期の微笑みに似ているのでいずれにせよギリシャか小アジアとのつながりは美学的に一目瞭然である。 ここにきて牛のDNAにてエトルリア文明の起源が解明、というのではあまりにもあっけないというか、味気ないというか。 なんでもDNAで解明しようという現代科学の良いのか悪いのか、神秘性を残していて欲しいというのが率直な感想である。 でももしもこの古代から存続するこの牛のおかげでエトルリア人の起源がわかるのであれば まさに牛神の神話もまさに生きて真なり、ということであろうか。
by jamartetrusco
| 2007-03-16 00:33
| Storia (歴史)
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