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2007年 05月 02日
フィレンツェに隣接する繊維産業で古くより栄える町プラート。人口は20万弱。 ここはフィレンツェでは長年話されていて未だに実現していない現代アートを見せるセンター Centro Per L'Arte Contemporanea Luigi Pecciがあることでも有名だ。 さてこのプラートは旧市街はイタリアの14世紀,15世紀に栄えた古い町がいずれもそうであるように、城壁に囲まれて中心にはドゥオーモ、大聖堂がある。その名はサント・ステファノ大聖堂。 ![]() この大聖堂内にあるフィリッポ・リッポ作のフレスコ画の修復が生誕600年を記念してついに終了したという吉報を読んだ。フレスコ画は聖ステファノと洗礼者聖ヨハネの生涯を描いたもの。特に有名なのはサロメが舞うところを描いた「ヘロデ王の宴会」のフレスコ画である。 ![]() パドヴァにあるスクロヴェンニ礼拝堂内のジョットの聖母マリアとキリストの生涯を描いたフレスコ画やアレッツォの聖フランチェスコ聖堂にあるピエロ・デ・ラ・フランチェスカの「聖十字架伝説」のフレスコ画の修復の後に継ぐ重要な修復大事業であった。 ![]() フィリッポ・リッポ(1406〜1469)はフィレンツェ生まれの修道僧であり画家である。 そのためフラ・フィリッポ・リッピとも呼ばれる。幼いときに両親とも失い貧しい家庭であったために14歳にしてカルメリティ会のカルミニ修道院に預けられる。しかし勉学にはまったく向かず常に学ぶべき書物にデッサンをしていた少年だったらしい。彼の学習意欲の欠如に根をあげた修道院長はついに絵筆への傾倒を許した。そのおかげでフィレンツェ、ルネサンスを代表するもうひとりの大画家が生まれたわけである。 ヴァザーリによるとフィリッポは女性好きで修道士としての身分のかたわら女性を追いかけていたらしい。1452年から1465年までの13年間、大聖堂のフレスコ制作のためにフィレンツェからプラートに移り住むのだが、その際に修道院に見習い尼として身を寄せる(サウンド・オブ・ミュージックのマリアみたいな存在だろう)フィレンツェの美しい娘、ルクレツィア・ブーティに惚れ込みモデルとして描くために自分の家に監禁してしまった、という逸話も残っている。 ![]() 彼の描く聖母マリアやこのフレスコ画のサロメはこのルクレツィアがモデルであると言われている。画家としての彼のミューズであろう。 そしてその落とし子が後に画家となるフィリッピーノ・リッピであるという。これもヴァザーリの伝によるもので、かれは先達の画家達の生涯を多分にスキャンダラスに語る傾向があるので信憑性は確かではないが、なんとなく楽しい逸話である。ちなみにフィリッポ・リッピはボッティチェリの師匠であり、ボッティチェリはその息子のフィリッピーノの師匠という関係である。画風がどこか似通っているのも当然である。 それはさておきこの精彩を取り戻したフレスコ画。フレスコ画でしかあらわせないなんとも淡い色調、そしてルネッサンス初期の遠近法を忠実に表した室内風景。 次回プラートに行って是非観てこようと思う。あまり混まないことを望んで。
by jamartetrusco
| 2007-05-02 18:31
| Arte (芸術)
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