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2007年 05月 14日
![]() 夜の闇の中でともす蠟燭の光は格別である。 電気とはまったく違った空気感と静謐さをたたえ、幻想、夢、太古の記憶を呼び起こす。 電気の存在しなかった昔は一日は太陽のある昼間と太陽が隠れる夕刻に単純に分けれたのである。 ロバート・ハリスのベストセラー「ポンペイ」の小説にもローマ人の一日の時間の分割の呼び名が使われている。古代エジプト、ギリシャ、中国、ローマにおいてすでに日時計は存在していた。太陽の陰の移り変わりで一日の時間をダイヤル状の絵柄の上に示すものである。イタリア語ではMeridianaと呼ばれる。 ローマ時代に完成されたこの日時計であるが、ローマ人の一日は夜明けから日没までが一日という概念だったらしい。故に夏至と冬至では一日の長さも変わってくるわけである。 hora prima(1時目)ーすなわち夜明けーから始まり、hora duedecima(12時目)ーすなわち日没ーまでが一日である。 もっと面白いのは夜の8つの分け方である。夜は日時計が使えないのでその呼び名はもっと詩的であり、肉感的である。 Vesperaー現代イタリア語ではverso sera, 夕に向かう時間といった意味。 Prima faxーこれは私の勝手な想像だが、初めて火をともす瞬間ということでは、というのも、faxはラテン語で火をともす、の意である。 Concubiaーこの言葉は寝床の意なので、そろそろ床に向かう時間ということか。お妾さんのことをconcubina というのはベッドを共にする愛人という意味かららしい。 Intempestaーこれはcuore della notte, 深夜であるが、営みにむかない時間ということらしい。 Inclinatioーinclinatoというのにはタリア語では傾く、の意味であるが、なぜ深夜の後にこの言葉が来るのかよくわからない. Galliciniumーこれは文字通りGallo(雄鶏)が鳴く頃。確かに夜1時から3時ぐらいの時間に雄鶏というのは鳴くのである。これは今住む田舎家の下に鶏小屋があり、夏窓を開放して寝ていると雄鶏の鳴き声が夜明けを示すわけではない、というのを発見したことからまさに納得のいく言葉である。 Conticiniumーこれは静けさの意で鶏も鳴き止む夜明け前の一瞬の静けさ、であろう。 Diluculumーまさに夜明けの意味である。 日本の時刻も江戸時代は十二支で表していた。十二支がそれぞれ2時間の配分があったので24時間である。草木も眠る丑三つ時、、、という表現は恐ろしい気配がどろどろと現れる感じが彷彿とする。 先日のテラスでの夕食、ろうそくをつけたのはもう陽が落ちて暗くなった10時頃だったか、まさにprima faxの時間帯である。ろうそくをつけた瞬間に五感が敏感になるようである。ろうそくの光とテレビの音は全く似合わない。ろうそくの光には美しい音楽しかなじまない。 炎の反映はすべての物体をひとつの静物画に変貌させる。水のボトルも光の映る被写体と化す。 ![]() 以前にも紹介した蠟燭画家、シャールキンの実物にルーブル美術館で対面できた。 光と闇の幻想を表したジョルジュ・ラ・トゥールと並ぶ数少ない画家であろう。彼の蠟燭画には、しかしラトゥールにあるような宗教性や瞑想感はない。たぶんろうそくの灯火が喚起する眩惑、神秘、魔性を追求したキャンドル・マニア。 ![]() ある本で読んだのだが、ペルシャ発祥とされる善悪二元論を唱えるゾロアスター教もイスラム化された形では光と闇は2元ではなく、光がだんだんと弱くなり、消え行く究極の一点が闇であり、故に光と闇は別々のものではなく、闇が光の中に取り込まれている、という哲学であるという。闇と光が同一である、と理解した瞬間、悟りの境地に到達するのだろう。 蠟燭の光は自然と人間の心を内向的、哲学的思いに促すものである。 電気を消して初めて光と闇の本当の姿が顕われ見えてくる。
by jamartetrusco
| 2007-05-14 19:12
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