2007年 05月 26日
Il Club dei Borghi più belli d'Italiaーイタリアで一番美しいボルゴ(集落)のクラブ。 イタリア全国の州から選出された小さいながら美しい玉石のような町。巨大な観光産業のルートからも外れて人が訪れることも少ないが、しかし歴史、文化、芸術、人々の生活が今に至るまで受け継がれている歴史的な価値に満ちたボルゴ。 町によっては若者が外に出てしまって人気がなくなり、廃墟のごとくになっているものもあるらしい。 そういったイタリアに山ほど存在する小さな集落をクラブの一員に任命することによって保存のための財政を集めたり、観光プロモーシォンに力を注いだり、減少してしまった住民に取って代わる新たな住民を勧誘するなどの目的のもとにできた全国レベルのクラブである。 このたびわが町モンテフィオラーレもその一員に選出された、という案内の手紙がグレーベ市長より届いた。実はグレーベの市長は国営放送Rai3の土曜日に放映されるBella Italiaという番組も担当しており、イタリアの小さな町の歴史や文化を保存しよう、という常からの情熱がある。そのせいで地元推進のために尽力を注いだに違いない。 さて、これを機会に私的な此の町への思いを綴りたい。 私はモンテフィオラーレのresidenza (住民票)をもって10数年である。 この町の良さも悪さもかなり見て来ている。 代々この町に住んでいて外国人に対してかなり排他的な地元の人々との真の意味の交流の欠如。「我々」対「よそ者」の図式は決して簡単に払拭されるものではない。 主人もフィレンツェ出身であるから私とそう変わらない「よそ者」である。 13年もこの地に住んでいったいどれほどの人が私たち夫婦の名前を知っているだろうか? おそらくアレのことはPittore (画家)、わたしのことはせいぜい moglie del pittore,画家の妻、もしくはGiapponese,日本人、東洋人の区別のつかない人たちにはCinese 中国人と呼ばれていることは間違いない。 どこまで行っても地元の人々との表面的な交流は平行線を辿るであろう。 これは国の違いというよりは都会と小村の人々の生活様式と精神性の違いに他ならない。 しかし小さい町であるからある程度誰もが誰もを知っている世界であるので、住所の番地がなくても郵便物が届く便利さはあるし、子供達は親がいなくても集まって広場で遊んだり、行き来したりして、子供同士の小さな世界を心置きなく享受している。また夏の夜など広場で夜遊びをするのも至って安全である。 子供達はあたかもこの町全体の人々の宝のように目をかけてもらい、大事にされている。大きな集落の家族の一員のような感じだろう。娘もそのひとり。 そして面白いのはこの新世代にとっては私たちは「よそ者」ではなく、彼らの親友の両親、であるからにして、彼らと同レベルでの交流の対象である。そして名前もしっかり覚えてくれている。だからこの新世代にとっては娘はもちろんのこと、我々も彼らの世界に属するメンバーなのである。小さな町のこのあたりの構造は至って流動的である。大都会のような隣はなにをするひとぞ、のわれ関せず縁のドライな関係ではない。排他的でありながら無限の広がりの可能性も含んだ面白い世界。 私自身、東京生まれで大学卒業後ロンドンという大都会に住んでいたという生まれと育ちの関係上、このような小集落的住処は初めてである。 だから戸惑いや窮屈さや意思疎通の欠如など多少のメンタリティーの違いは否めない。 しかしそれを補ってあまりあるほどの田舎の生活のもつ純粋さ、自然に即した生き方への同調がある。 それぞれの空間を侵さずに、静かに、この町の掟の調和を崩さずに暮らす。 出る釘は打たれるとあるが、まさにその感あり。 この13年間、小さな村での生き方を学んだ。 長年の付き合いで愛着がでてきたこの町、ボルゴクラブに選出されてますますその美しさを磨いてほしい。
by jamartetrusco
| 2007-05-26 23:50
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