2008年 04月 10日
フランツ・X・メッサーシュミット(1736〜1783)、ドイツの南西部生まれ、ミュンヘンにて育ち、後ウィーンのアカデミーにて彫刻を勉強する。 この時代にこんな表現を残した作家が他にあるだろうか。Character Headsー性格百面相と呼べるだろうかーを多く制作したことで有名である。ほとんどの作品がウィーンのベルヴェデーレ宮に収まっている。 一般的に肖像彫刻というのはある人物の理想像である場合が多いのに対してメッサーシュミットの頭像は人間のありとあらゆる顔の表現を表している。日常のあらゆるアングルにてお目にかかる人間の本能的、動物的、ごく自然の表現、表情であるのに、彫刻として冷却され凝縮されると、どこか居心地の悪い不穏感、醜悪感を及ぼさせるのは何故だろう。他人に見せたくない顔。。 ほくそ笑む顔、あくびをする顔、しかめっ面をする顔、傷みをこらえる顔、悪臭に辟易する顔、溺れかかった顔、憂鬱顔。。。 目の前にして苦笑を自然と誘う表現豊かな表情のサンプル。 現代であればいくらでも目にする生々しく、露骨な表現方法。ほぼブラックユーモアにも通じるような。この時代には珍しい。 近いのはゴヤ晩年のブラックペインティングやオノレ・ドーミエの風刺画であろうか。 いずれも人間の暗の部分を露出させている。ゴヤの場合は自身の心の葛藤の現れと言える。 神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世シュテファンや皇后のマリア・テレーザのブロンズ胸像も制作したくらであるからオーストリアの宮廷にも出入りをしたことがある作家である。この性格頭像を制作し始めるのはしかし70年代半ばぐらいからである。 この時期からどうも幻覚症状などの兆しが見え始め、心身不適当ということでアカデミーの教授の席も追われることとなる。 この頃から突然と人間の人前にて見せたくない表情、人間の醜悪さばかりが見えてきたのだろうか。 心の不穏がそのままこのような顔の見本として表出してきたのだろうか。 「顔」に執着した彫刻家。 この初めて見る機会を得た作家の時代を先取りした不可思議なる作品を前に心から驚嘆を覚えると同時に、この作家と現代彫刻家のトニー・クラッグとの組み合わせを考えた展覧会監修者の偉大も感じた。 トニー・クラッグの彫刻も有機的な形体が多かったが、この作品群はまさに顔のデフォルメ、飴細工のようにどろーと溶けて行くような顔のフォルムである。 ほとんどすべてがブロンズ。 バロックと現代が互いに共鳴し合って妙な調和を作りだしている。新鮮さがある。 美術を時代に分けずに見せる。根本的に同質の表現を抽出して並列する。 芸術自体が時代を越えたものであるので、当然のことであろう。 これからの新しい美術の見せ方の切り口となっていくに違いない。
by jamartetrusco
| 2008-04-10 18:48
| Arte (芸術)
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