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2008年 12月 10日
バルセロナと言えば町の象徴のように思い浮かぶアントニ・ガウディの未完成の巨大建築サグラダ・ファミリア。ガウディの晩年のオブセッションの記念碑かのように天に向けてそびえ立つ。ゴシック、アールヌボー折衷様式とでも言える外観である。 建築施工開始から1世紀以上経ち、そろそろ完成へ向けての最終段階。 しかし今この進行中の建築に対して「待て」をかけようという運動が興っている。 カタロニアの知識人、芸術関係者を含めた約400人ほどのグループが声を挙げている。一言で言うと、この建築はガウディの本来の精神から逸脱してバルセロナの単なる観光集客のためのディズニーランドと化してしまっている、という批判である。 設計図もスペイン内戦時に焼失しているためますますややこしい。今ある設計案はガウディの元々のものに基づき現代の建築家の立案のもとに進行されているのである。 故に当然のことながらそれはガウディの手によるものではない。 サグラダ・ファミリアは近現代の建築史上、100年以上その建築過程が続き未だ完成していない、という極めて異例なケースであろう。 世界一の高層ビルですら数年で完成されてしまう現代の状況の中で100年以上かけて 未完成ということはたぶんその建築技術もかなり素材に拘った職人的な施工方法を取り入れているに違いない、そして、スペインの状況はわからないが、イタリアに近い精神構造からすると、現場の建築家グループ間の軋轢や、さまざまな業者の利権交錯、政権交代の度の人員交代や進行ストップなどなど想像するにやさしい。 サグラダ・ファミリアはガウディが事故による不慮の死を遂げた1926年の時点で 終わりとするべきだった、という反対グループの意見。 純粋な建築的価値から言うとそのほうがガウディの精神をそこに凍結できる意味で 確かにより良い判断だっただろう。その後の別の建築家の介入はガウディの精神から 遠ざかる危険性は多いにある。 しかし人類の建築史、モニュメントの存在価値を思うとそれぞれの時代の巨大建築は 一日にして成ったわけでないので、オリジナルの構想から外れたものも多々あるあに違いない。すでに完成した形で残る建築物(近しいところではフィレンツェのドゥオーモ、ローマのサン・ピエトロ大聖堂、ヴェネチアのサン・マルコ教会など)に対して現代の我々は口を挟む余地はない。しかし当時の関係者はおそらく進行中の建築を見てそれぞれうんちくあったに違いない。 絵画にしても弟子の手が加わったものも多い。 しかし、である。以上のような正論に聞こえる一般論については反対議論の知識人達はとっくに理解しているはずである。それにも関わらず今この時点で400人あまりの美術関係者が反対しているということは何かしっかりとした根拠があるに違いない。 たぶん使用している素材の粗悪化も含め、ガウディのオリジナル案に追従して平々凡々の建築家が悪趣味と化すような追加建築を施工しているという状況とか。 天才は真似はできないのである。故に真似て完成させようとすれば当然キッチュなものと変貌していくだろう。ハリウッド製の模型建築に遠からず、という問題が出てくるに違いない。この批判論はたぶんその辺を言っているのではと思う。 思うに、ガウディの息のかかった部分はそのまま手を加えず残しておき、そしてその後の追加建築は現代の優れた建築家が自身の設計案に基づいた現代に生きる建築様式を打ち出すべきではなかったか、と。ガウディの20世紀初頭の折衷的な様式の背後に対照的な現代様式があっても良いのである。 その意味で私はパリのルーブル美術館前に忽然と現れるガラス張りのピラミッド賛成派である。 伝統保存、継承、新たなる創造、革新。 建築に関わらず、すべての美術に当てはまる大変むずかしい論点である。 ![]()
by jamartetrusco
| 2008-12-10 20:20
| Arte (芸術)
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