トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2006年 06月 12日 ( 2 )


2006年 06月 12日

Duomo -San Bartolomeo Scorticato 剥皮のサン・バルトロメオ

ミラノの話題の最後。ミラノと言えばかの有名なDuomo di Milano, ミラノ大聖堂を語らずにして終わることはできない。イタリアには珍しくゴシック建築であり、ヨーロッパにおけるカトリック教会大聖堂として第2の大きさを誇る(一番大きいのはスペイン、セビリアの大聖堂)。長さは157m、40,000人は収容できるというからその大きさは想像できる。
現在修復中で、見事な正面がテントに被われてしまっているのが残念だ。
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1386年に大司教のアントニオ・ダ・サルッツォが、フランス建築様式の特徴である後期ゴシック様式を採用してドゥオーモ建築に着手する。おりしも従兄弟のジャン.ガレアッツォ・ヴィスコンティが同じくヴィスコンティ家である前任者、バルナボを駆逐してミラノ統治への力を得ることとなる。バルナボの独裁的な支配に苦しんでいた市民たちにも絶好のアピールチャンスということでこのふたりによる大聖堂建築プロジェクトが始まったわけである。その後、数々の技師(主にフランスから)の力と、それぞれの時代の統治者ー16世紀のルドビコ・スフォルツァ、スペイン支配、ボロメオ家、そして19世紀初頭のナポレオンに至るまでーがその力の限りを尽くして、建築ディテール,ファサード、内部装飾などなどに手を加え、最終的に今の形となったのは20世紀に入ってからというから、始まりからすでに600年以上経っての完成ということ、何とも気の長い話ではないか。バルセロナのガウディ設計のサグラダ・ファミリア教会も未だに建築続行中であるのは当然のことだろう。


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大聖堂内に入ると、そのゴシック式天井の高さにまず目をみはる。威圧的と言えるほど、暗い。そこにぼんやりと光る色鮮やかなステンド・グラスの美しさも忘れられない。


しかしわたしもアレも目をうばわれたのはマルコ・ダグラーテ作の聖バーソロミューの像。イタリア語ではサン・バルトロメオ。この聖人はキリストの12使徒の一人で、宣教中のアルメニアにて殉教したと伝えられている。殉教の仕方も壮絶で、生きたまま、生皮を剥がれて逆さまに十字架にかけられたという。というわけで、この像も自分の皮をまるでマントのように体にまわして凛と立っているのである。

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見てすぐに彫像の力強さに惹かれたのだが、よくよく見ると、皮のない解剖学の肉体如く筋肉露わである。そしてその表情も厳しいがどこか超越した趣き。

アレもこの彫刻をuomo scorticato (皮を剥がれた男の像)として裏覚えていただけだったので、一体誰だろうね、と話していた。そして後で調べてみたら、サン・バルトロメオであることがわかったのである。そしてよく考えてみたら、かの有名なミケランジェロのシスティナ礼拝堂の「最後の審判」の中に抜け殻をぶらさげた人物がいたではないか。サン.バルトロメオそのひとである。

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こうしてみてみると、ヨーロッパの美術を知るにはキリスト教に関する常識やそれにまつわるアレゴリーなどへの知識が必須である。背景がわからずしては半分しか理解できないだろう。もちろんもっと直感的に、本能的に美術の美しさの善し悪しを語るのも本望であるが。日本にてカトリック系の学校に通った唯一の利点はおかげでヨーロッパの宗教画の基本的な知識を得ることができたことであろうか。

最後に高級店の並ぶSpiga通りで見つけた時計屋さんのウィンドーディプレー。
面白いのでカメラにおさめた。何か思い出しませんか? この発想、ロンバルディア地方出身の16世紀の奇異な画家アルチンボルトの絵にインスピレーションされたことに間違いない。
アルチンボルトについては、前から書こうと思っていたので、それはまた次回にでも。

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by jamartetrusco | 2006-06-12 23:10 | Arte (芸術)
2006年 06月 12日

モンツァー 広大なるParco Reale

ミラノから15キロほど北北東に向かうとミラノ県内の重要な市であるモンツァに辿り着きます。
以前トスカーナに住んでいた友人家族が引っ越した街。いままで名前のみ知っていた街が身近になったわけです。
モンツァはF1レースのサーキット、Autodromo Nazionaleがある街としても有名です。
このサーキットも実はモンツァの広大な国立公園の端にあるのです。
この公園、囲いのある公園としてはヨーロッパ一の大きさ、ニューヨークのセントラル・パークの2倍以上の規模だそうです。当時北イタリアを保護国として配下におさめたフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが1805年に公園として指定したとのことです。狩猟などにも使われた敷地でところどころに猟のために使った古い屋敷が残っています。
この広大な領地はもともとは18世紀ロンバルディア地方を配下においていたハプスブルグ家、オーストリア大公フェルディナンドが1777年から80年にかけてミラノとウィーンをつなぐ領地に建てた宮殿の一部でした。その後オーストリアの支配からサボイヤ王のもとに戻った際にVilla Reale(王宮)と名称を変えました。


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ベルサイユ宮殿をモデルに建てられたと言われており、ハプスグルグ家全盛の頃はまさにきらびやかな華やぎがあったに違いありません。残念なことに、今ではかなり荒れ果ててしまって往年の面影は失われ、修復の費用も不足しているとか。

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去年の年末、雪の降る寒い時期に大晦日を友人家族とともに過ごすために初めてモンツァを訪れたのです。そのときは美しい純白につつまれる景色は素晴らしかったものの、零下5度というあまりの寒さでどのような木々や植物、動物が生息しているか、また公園の広大さなどもわからなかったのですが、今回はうって変わって緑青々と見違える風景。
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かなり先まで歩き、F1のレーシングカー独特の爆音のエコーも遠くに聞こえました。
そこで一休み、広々とした野原にて思う存分友人家族の愛犬クーも遊べました。もちろん子供達も。こんなに広大な野原にひっくり返るのは久々です。
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公園での今回のもうひとつの発見はまるで「となりのトトロ」に出てくるような巨大な木。圧倒的な存在感をもって臥座しています。

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すべてが一木ではないのですが、互いに枝が絡み合っていて、一塊の森に見える。小さな入り口から中に入ると、そこは外の光を遮断した森の暗闇が訪れます。子供達の想像力を駆り立てるに違いない隠れ場。
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そしてところどころにあるねじ曲がった木の幹の跡。何故こんな形で残っているのかわかりません。
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モンツァという街はミラノヘの通勤圏でもあり、店なども、どれもピカピカしていて住む人の物質的豊かさが感じられる反面、北イタリアの産業地帯を支える移民も多く、どこか富と貧がちぐはぐに共存している、という印象を受けます。友人曰く、とても住みやすくて人々も当たりは良いが、どこか表面的でトスカーナの底知れぬ深さがないように思う、と。
そしてとりわけcampagna(田舎)の力、自然からの知恵がトスカーナでは大である、と。
それは私も同感です。そして、新し土地を知るには時間がかかるのも真実でしょう。

ミラノからの帰りの汽車がナポリ行きでそこに乗り合わせたナポリの家族。親戚が見送りにきていたのでしょう。そのさよならの挨拶のドラマチックさと言ったら、ナポリ以外の人には考えられない。汽車の発車寸前までキスとさよならとよろしくの連続。そしてお昼のお弁当も袋一杯に詰めて。南イタリアの一幕を象徴する光景です。
一概にイタリアと言うけれど、北と南とでは人種が違うよう、またトスカーナにはその特色があり、シチリアはまた独自の歴史があります。それぞれの地域がそれぞれの歴史をかかえて今に至っているのです。違ったイタリアの街角をますます探索したくなりました。


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by jamartetrusco | 2006-06-12 00:28 | Natura (自然)