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トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2006年 04月 09日

キャンティの一番高い山から

キャンティ地域とVal d'Arno(アルノ川沿いの平地)を隔てそびえるキャンティ山脈の中で一番高いのSan Micheleサン・ミケーレの山で標高892mです。そしてフィレンツェ方向にはミネラル・ウォーターの一名称で有名なチントイアCintoiaがありその背後には手つかずの山の峰が隠れたピラミッドのように広がっています。

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このサン・ミケーレのそばに鉄の十字架が立ったもうひとつの山頂がありますが、この十字架の上まで上ると180度の展望が開けるので、目の覚めるような快晴の日にはよくここに来ては遠くの景色を望んでいたものです。昨日はまさにそんな日。

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透き通るような青空とスカッとする空気と光と影の対照をひときわ極めるような日差し。午後5:30頃友達の家に遊びにいった娘を迎えに行きがてら久々にこの山頂に寄ってみました。

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景色、光は最高だったものの、がっかりしたのは十字架の上に登ることができなくなっていたことです。階段は朽ち果てて立ち入り禁止のマーク。こんなに素晴らしい場所をこんな荒れ果てた状態にしてしまうなんて、もったいなすぎる。

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日本だったらそばに屋台やお見上げ屋が出て、家族のピクニックの場所になっていることでしょう。それも困るのです!でもこれも困るのです!イタリアと日本とあわせて半分に割ったらちょうど良いのかも。

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光と青空と朽ち果てた石造りの味わい深さ ー イタリアの自然の象徴です。










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# by jamartetrusco | 2006-04-09 00:09 | Natura (自然)
2006年 04月 08日

Piccoli Indiani del Nonno Lapo ラポ特製おもちゃ

昨日久々に娘に見せるために古いおもちゃを箱から出してきました。

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このプラスティックでできた小さなインディアンや鳥たちはアレのお父さんラポの特製です。残念ながら孫の顔を見ずに亡くなってしまいました。アレと弟のレオナルドが小さい時に一生懸命心をこめて作った人形たちです。

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アレのお父さんはボタンなどを作る職人でした。ですからこの人形の素材も当時のボタン作りに使われていた硬質のプラスティックです。仕事の合間に子供たちのために作ったのでしょう。とてもユーモアあふれて洒落たおもちゃ。

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アレにとっても大事な宝物として取ってあります。ときどきMinaが見たいといって出てくるのです。義父のことは残念ながらあまりよく知ることなく逝ってしまいましたが、このおもちゃを見ていると彼の人柄がわかるようです。

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# by jamartetrusco | 2006-04-08 20:51 | Vita (人生)
2006年 04月 07日

私とイタリア

今日は少し私のことを書こうと思う。イタリアへの情熱の始まり、何故イタリアへ、そして主人との出会いなど。あまり感傷的にならずに。

話せば長くなるが、最初にイタリアに惹かれるきっかけはイタリア・ルネッサンス美術である。
小さい頃から絵画を見るのが大好きで、家にあった西洋美術図鑑と日本美術図鑑を毎日のように眺めていた記憶は鮮明である。その内15歳頃か、高階秀爾著
ルネッサンスの光と闇―芸術と精神風土という本を図書館で借りた。この本がある意味ではフィレンツェ・ルネッサンスへの開眼となった本である。とてもわかりやすく書かれており、ルネッサンスの人文主義について、ボッティチェリについて、またイコノロジー(図像学)について書かれていたと思う。私はロレンツォ・イル・マニフィコ、ボッティチェリの虜となった。
そしてその頃テレビにてレオナルド・ダ・ビンチの生涯を表したイタリア、フランス合作のTVドラマシリーズを毎日30分ずつ放映していた。



Life of Leonardo Da Vinci (2pc)

そのためルネッサンスの象徴的存在であるダビンチにものめり込んでいった。それからはとにかくルネッサンスに関係する、イタリアに関係する著書はかたっぱし読んでいった。




辻邦生のボッティチェリの生涯を小説風に書いた「春の戴冠」
春の戴冠
そして「背教者ユリアヌス」(これはローマ時代の皇帝であるが)。



背教者ユリアヌス




たぶん辻邦生が着想を得たのであろうロシアの作家、批評家メレジコフスキー、Dmitrii Sergeevich Merezhkovskii (1866-1941) の歴史小説三部作「キリストと反キリスト」の中の一部でダビンチを語った「先駆者」(これは見つからず代わりにもう一部の「背教者ユリアヌスー神々の死を掲載する)
背教者ユリアヌス―神々の死

今ではベストセラー作家であるが当時は限られた読者ファンをつかんでいた塩野七生著
チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷

同著者による
塩野七生ルネサンス著作集〈6〉― 神の代理人








ブルクハルトのイタリア・ルネサンスの文化〈1〉

イタリア・ルネサンスの文化〈2〉








ヴァザーリ著
ルネサンス画人伝
などなど。



他にも挙げ出したらきりがない。上記の著書はルネッサンスの知識を得る上で第1歩の書としてお勧め。余談だが、私のイタリアの美術の好みも変化し、ジョット、マサッチョ、ピエロ・デラ・フランチェスカなど初期ルネサンスの画家にひかれ、その後はブロンズィーノ、ポントルモなどマニエリズムの作家に興味をもつようになった。今でもダビンチはまだまだ知るべき奥義がある。
このイタリアルネッサンス美術への思いはイタリア語を学ぼうという熱意にも走り、大学では第3外国語としてイタリア語を上級クラスまで取得。その当時中級はたったの4人、上級クラスはなんと私一人の授業。今のイタリアブームを考えると信じられないこと。当時の夢はこのようなルネッサンス絵画と対面できる絵画修復家になること。しかしこの思いとはうらはらに大学卒業後はロンドンに留学。美術史や美術業により興味が出て来て、それなら国際的なオークション会社のあるロンドンへ、ということになった。その後美術の勉強、画廊での仕事などなど紆余曲折を経て、結局一度は日本に戻り、某美術商と仕事をすることとなった。しかしその仕事をきっかけにまたイタリアとのつながりが出て来た。仕事を通して何回もイタリアに足を運ぶことになり、また私のイタリア熱がぶり返した。
常に頭の中に「絵画修復」を試してみたい、という願望があったので93年の夏おもいきってフィレンツェへ「修復」1ヶ月コースを取るため2ヶ月ほど渡った。そしてその夏今の主人であるアレッサンドロと運命の出会いがあったというわけ。
彼との出会いもまた本当に運命的で修復のコースの始まる前に海辺の街オルベテッロOrbetelloにイタリア語学習に行ったのだが、その時に滞在したアパートの大家さんの友達の友達だったのである。それもこのアパートに滞在するはずだったのは実は私ではなくオーストリア人の男の子だったのだが、学校が間違えて私にも同住所をあてがったのだ。ところがせっかちな私は約束の時間より早めに現地に到着。早々にそのアパートに身を落ちつけていたので、おそくやってきたそのオーストリア人がアパートを変えることになったのだ。もしそこに滞在することがなければ今の主人とは会っていない。人生って本当に不思議な縁というのがあるのですね。
美術を愛する私と画家としての道を歩み出したアレとの人生の行程はそこでクロスしその後足並みをそろえ今となっている。
今でも不思議に思うのは小さい頃からの夢だったフィレンツェの街の画家と結婚し、そしてこの地に住むことになったこと。今では花の都ならぬ暗黒の部分もたくさん見え始め、イタリアはすべて薔薇色の国ではないけれど、それでも自分の想いが貫かれたということだけは事実だ。

「夢」は絶対に捨てないこと、これは人生の鉄則のような気がする。


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# by jamartetrusco | 2006-04-07 17:51 | Vita (人生)
2006年 04月 06日

 Vino del contadinoー農家のワイン

キャンティに住み始めて困ったことのないのは赤ワインの入手です。といっても私たちを含め、地元の人々が買うのはボトルに入った市販のキャンティ・クラシコではありません。リットル単位でdamigiana (ワインを入れる底太の瓶、下写真)持参で、ワインを作る農家に買いにいくのです。そして家に帰ってから1本1本ボトルに入れ替えます。その際酸化しないようにワインのための食用の透明オイルを半センチほど入れて保存します。飲むのときにはそのオイルはもちろん取り除きますけれど。

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1994年、12年前のワイン1リットルの値段はなんと1700リラ(当時の換算で100円前後)、まさに水より安い。今ではキャンティ・ワインブームのあおりとユーロの導入で1リットル2ユーロなどというのは珍しくなくなってしまいました。とは言っても300円弱ですが。

この農家で作られボトル詰めすることなくリットル単位で売られるワイン(vino sfuso)はなにが特別かというと、店頭で売られたり、輸出されたりするためのボトルワインに不可欠な酸化を防ぐための加工がされていないので、完璧に自然な状態の葡萄酒なのです。ですから度を過ぎるぐらい飲み過ぎても悪酔いをしない(というわけで私たちもちょくちょく飲み過ぎる)。味もどこか葡萄の自然味を残した荒々しい風味があるのです。農家によってまた味も度数も違います。

私たちの行きつけは今のところ2軒あり、ひとつはキャンティクラシコの地域から少し外れたところの街Cerbaiaの近くの農家。味は全くキャンティワインと変わりませんが、値段が1リットル1.5ユーロということで少し安いです。ワインをつくるご主人、その奥さんで売ってくださるお母さん、その娘さん一家、皆同じ屋根の下にお住まいです。


 Vino del contadinoー農家のワイン_f0097102_21395191.jpgもう1軒はモンテフィオラーレ近くの農家、Falcole. 昔から顔なじみだったものの、ワインを売っているとは知らずに素通りしていたのですが、最近寄るようになりました。そこのご主人は土と自然を相手に仕事をしてきたというなんとも力強いワイルドな風体の方で(私とアレの間で通称Indiano、インディアンと呼んでいた)、話をしてみたらエトルリアや地元の歴史に詳しく、アレと気が合ってしまいました。またオリーブの木の剪定の名人だそうで、何か山の主のような方です。

トスカーナの農家の人たちが魅力的なのは大地と自然の中から得られる知恵にあふれていることです。皆一癖も二癖もあって絶対に自分が正しい、譲らないというような気骨があります。その分気難しいところもあるので、彼らの領域を侵すべからず。

作る現場の人々の顔が見え、彼らのこだわりを語ってくれるとてもパーソナルな味のするワインです。でもどんどん馬鹿げたヨーロッパ共同体の法律が入ってきて、その内にこんな個人的な小世界も消え去っていくのかもしれません。そして昔ながらの手農業のテラス式葡萄畑(terrazzamento)を営む人も減ってきて、大きな資本が入り、トラクターを導入した大量生産型の葡萄畑に代替されるようになっているのが現状です。Terrazzamentoが崩されるのを目の当たりにする度にアレは"Maledizione degli Etruschi!"ー「エトルリア人の呪いがふりかかるぞ!」と怒っています。グローバリズム反対! Microcosmo万歳!

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# by jamartetrusco | 2006-04-06 23:00 | Cibo (食文化)
2006年 04月 05日

Tabernacolo ー聖なる道しるべ

イタリアの街を訪れますと街角に聖母マリアを描いた図が祭壇のようにガラス越しや柵越しに保存されているのを目にすることが多いと思います。これはこちらではTabernacoloと呼ばれています。日本語訳では壁龕と訳されています。

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起源はユダヤ教まで遡り、持ち運びできる神殿を意味するようです。語源はラテン語の
Tabernaculum(テント、小屋)から来ており、やはり神聖な遺品をおさめ礼拝する場所として
生まれたもので、教会の中などにも見受けられます。

Tabernacolo ー聖なる道しるべ_f0097102_21565756.jpg

私の住む田舎の道を散歩しますと、道ばたのところどころに、もっと素朴な形のTabernacoloが佇んでいるのが目に入ります。ほとんどの場合は聖母マリア像、または聖母マリア図です。そしてそばにお花が添えられています。まただれかが土で焼いた現代のマリア像もあります。過去には巡礼者や旅人を守り、その道しるべとなるような重要な役割を果たしたに違いありません。今では人里知れず、花も枯れ、どこか寂しい様相です。
ところで、以前アレと友人カップルとでTabernacolo復活のため現代の作家何人かとともにtabernacoloのために作品を制作して、歩きながら発見する展覧会を企画したら面白いのでは、と話したことがあります。いずれ実現したい企画のひとつです。

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私の友人のフィレンツェ在住のじゅんこさんはこのTabernacoloに比較できるものとして日本のお地蔵様を思い、そのお地蔵様をフィレンツェに紹介しようと今お地蔵様展を企画し、お地蔵さまにまつわる表現をなさっている作家の方、また支援して下さる方の協力をつのっておられます。

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古くから伝わる精神文化というのはどの国も形こそ違え、どこか似た心の住処、よりどころがあるものです。ですからお地蔵様を通して日本とイタリアの交流となるようにと。草の根の文化交流などと一時期言葉がはやりましたが、そんな表面的な交流でなく、文化の神髄にある人間の「心」に関わる、一見目立たない事物を紹介することで真の理解が得られるかもしれません。どうかうまく実現できますように。

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# by jamartetrusco | 2006-04-05 22:21 | Storia (歴史)